デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」の一冊の内容です。

ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。

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'Hyakunin Issho'
Newsletter for fans of David Bull's printmaking activities
Summer : 2010

1年に4回、雨であろうと晴れであろうと、このニュースレターを皆さんの郵便受けにお届けするようになって、もう20年になります!

今回の内容は、「お好みパック」といったところでしょうか。ひとつは、ご想像通り「ブル一家大集合」の記録ですが、後は様々です。自分でするようになったドーサ引きの話、前回予告したように、春に完成した「自然の中に...」シリーズを集めてくださった方たちからのコメントもあります。

また、驚くなかれ、私が青梅のこの家に住むようになって10年になろうとしています。その間に家はどのように変化したか。写真入りでの報告です。

そして、いつものように「貞子のコーナー」で締めくくります。でも最後のページをお忘れなく!ジャケットにネクタイ姿の私をご紹介したのは、もう何年も前のことでした。(今回は、幸い父が予備を持っていたので、今回用に拝借しました!)

家族と共に

このニュースレターを継続してお読みの方々はご存知でしょうが、私共家族は年に1度大集合をするので、ここにその報告をしています。

最後のページをご覧になるとお分かりのように、今年はちょっと特別でした。まず最初に、私たち子供3人と両親が1週間の「小旅行」を共に楽しみ、その後バンクーバーに戻ると、私は自分の子供たちとできるだけ一緒に過ごしました。

より正確に言うならば、「できるだけ一緒に過ごすようにした」となるでしょうか。というのは、日実も富実もかれこれ1年以上もファッション関連の事業を展開していて、それが非常に好調だからです。彼女たちもできるだけ私と過ごすよう配慮はしてくれたものの、来る日も来る日も注文が殺到するので、私は処理に追われる娘達をただ見守るのみでした。


二人の事業は、手に余る段階を遥かに越えているので、私がこうしてこの記事を書いている現在、最初の従業員を雇って生産量を増やす手配をしています。世界的に経済状況が好ましくない現状にもかかわらず、こうして事業規模を拡張しているということは、ふたりがどんなに熱心に働いているかを証明していると思います。

日実も夫のイオアンもフルタイムで働いているので、日々の暮らしはなかなか大変ですが、まだまだ手の掛かる二人の息子の世話は、必ずどちらかが引き受けるようにしています。

それにしても、二人の孫息子たちは猛烈なやんちゃ坊主です!「ちょっと娘たちを休ませてやろうかな」と思い、訪ねていくと……。とんでもない!ふたりの孫息子にはお手上げ状態で、まるで役立たずに終わってしまいました。

同じ年頃の子供二人を育てた経験を持つ私ですが、こんなに大変だったという記憶はまるでありません。娘たちと孫たちの違いは何なのでしょうか。

XY染色体の違いでしょうか?

* * *

染色体と言えば、今回の集合写真はちょっと趣向を変えて、男性だけが1列に並んで撮影してみました。前回、「どれが誰」だか分からないという声が多かったので、今回はキャプション付きです。

左から、弟のサイモン、日実の夫イオアン、父、富実のパートナーのクレイグ、そして私です。よく見てください、偶然にも、この順番で毛髪の量が増加しているではないですか!

女性陣が加わった写真の方は、日実、母、富実、妹のシェリーです。(こちらに関しては髪の毛に関するコメントは不必要ですよね!)

ドーサについて

版画を作り始めてもう何年にもなりますが、その間、先輩の職人さんたちからこんな忠告を何度も受けてきました。「何にでも手を出すのは止めて、彫なら彫に専念するんだよ。そして、他のことは別の人たちに任せたらいいのさ。」でも、実際に彫と摺の作業が必要になると、そんな忠告は無視してきました。作品は「自分の手で」作りたいと心底思っているからです。

もちろん、道具や材料は他の職人さんたちに依存しなくてはなりませんが、近頃は紙の供給に関して不安がでてきました。手漉き和紙はそのまま使うことはできず、摺る前にドーサ(ニカワの混合体)引きを必要とします。これを専門に引き受ける職人さんが、紙を作る人と摺師の間に必要なのです。

現在、伝統木版画を摺る人達がこの作業を依頼できる職人は、たった一人しかいません。しかも、弟子を持たないこの人が引退する日は迫ってきているという実情です。もしこの職人さんが「もう刷毛は持たないことにするよ」と宣言すれば、私のような立場にある者は途方に暮れることになります。仕事に必要な和紙にドーサ引きが出来ないことになるのですから。

それで最近は、ただ手をこまねいてこの日の来るのを待つのでなく、作品制作に欠かせないこの技術を身につけようと、自分でこの作業を始めることにしました。

一番の難問は変動する要素がたくさんあることです。ニカワとミョウバンが正しい割合で混合された溶液を作る「方法」は、天候・湿度・紙の状態・作品による要求などによって、大きく左右されるのです。経験豊富な職人なら、こういったことを瞬時に踏まえて作業ができるのですが、初心者はひたすら、「常識」範囲を逸脱しなければ迷走する心配はないだろうと期待するのみです。

次の問題は、ほぼ解決不可能なもので、必要な道具が手に入らないということです。私は都内にある何軒もの刷毛屋に問い合わせましたが、返ってきた答えは決まって同じでした。「残念ですが、そういった刷毛はもう作っていません。」仕方なく、この作業には遥かに小さすぎる刷毛で間に合わせることになりました。

次のページにある写真で、実際に行った作業の経過をご覧になることができます。まだ自信が付いたとは言えませんが、使用できるまずまずの結果は得られました。現在進行中の「美の謎」シリーズの最新作品は、私がこうしてドーサ引きをした和紙で作っています。

今後も自分でドーサ引きをすると、作品制作に掛かる時間と労力が大幅に増加しますが、現実問題として他に選択の余地がないのです。和紙や版木や絵の具など、他の必需品については、後継者がいるのでなんとかなると楽観しています。

Overview of the process ...

ニカワとミョウバンの混合液を湯煎でゆっくり溶かす。

漉して、不純物や塊を取り除く。

安定した温度を保つために小さな温度計が活躍。

ここが最も難関。紙一面にむらなくドーサを引く。

皺のできないように紙を吊り下げる道具を作った。

重要!ゆっくり乾燥させないと、むときに紙がよれる。

A few more points ...

やっと手に入れた刷毛は幅一尺なので、1枚の紙にひと刷毛でドーサ引きするには狭すぎます。仕方なく紙を半分に切り、作業時間は2倍になりました。(もちろん、紙は小さい方が初心者には「楽」ですよね!)

地元にある板金屋さんは、すべて店じまい。仕方なく、自分で刷毛の幅に合わせて容器を作りました。湯煎用なので、水を入れたホットプレートの中にピッタリ漬かるようにしました。

これは自慢できる妙案です。濡れて柔らかくなっている和紙を吊り下げるのはとても難しいのですが、挟む部分が滑らかになっているランジェリー用の洗濯バサミを利用して、たくさんのハンガーを作りました。この行程に関しては問題なしです!

収集家から

前号でみなさんに、完成した「自然の中に…」シリーズへの感想をお願いしました。その中から二つをご紹介します。収集歴の長いおふたりです。

* * *

マーク・ロバーツさん

「自然の中に…」シリーズの開始を知ったとき、これは収集しなくてはと思いました。このシリーズに出てくる場所は、日本滞在中に得た大切な思い出と合致していたからです。

私がデービッドの作品を収集し始めたのは、カナダから東京に赴任していた1990年代初期です。たくさんの人が賑やかに活動するハイテク産業の盛んな東京は、カナダの小さな町から移ってきた当時の私にとって、かなり重圧がありましたが、木版画などの日本の文化を学んだりするのは楽しいことでした。しかも、こういったことについて母国語で話のできる人と知り合えて、とても嬉しかったのです。

赴任して2年目になると、ほぼ毎週末、町の裏通りを歩いて工芸家の店を覗いたり郊外に足を伸ばしたりして、日本での滞在を楽しむようになりました。そして、私の「独り居の場所」を見付け始めたのです。あまり人の来ない公園や庭園、日光の森の中にある神社、そして友人の山小屋近くにある天然温泉や滝などです。

ですから、デービッドの「自然の中に…」は、日本滞在中に私が最も楽しんだ日々を思い出させてくれたのです。彼が観察したことや感じた事を読むと、私自身が日本で味わった美しい自然の記憶が、彷彿としてきました。多くの日本人は、郊外に広がる自然の良さや、あまり人の行かない道を歩いて、次の角を曲がったら何があるだろうかとワクワクしたりする楽しみを知らない、といつも思っていたのです。都心のオフィス街であっても、あまり開拓されていない「自然」の残された場所や、大都会の喧噪から少しの間逃れられる静かな公園や庭園を見付けたりすることは可能でした。デービッドの「自然の中に…」で書かれた話は、手軽に行けるたくさんの場所への短い旅のことを詳細に記述しているので、こんなことを思い出したのです。

版画を鑑賞しながら話を読んでいると、いつの間にかデービッドのいる場所へと引き込まれていきます。また、話を読むことで版画が生き生きとしてきます。彼は、日本の都市部の風景が異常であることから生じる利点と争点についても言及しているので、読者は残されている自然への感謝の念を新たにすることでしょう。

* * *

有城 重良さん

暑さが身体をいじめる季節に突入しようとしてますが、相変わらず忙しくしてるようで、ブルさんのエネルギーは原子力なのかとも思ってます。

長い「自然の中に心を遊ばせて」 私は山の中で一人では怖くてキャンプが出来ないので、毎回ブルさんの勇気と細やかな観察力にヒヤヒヤドキドキしたもんです。

そして版画家に対してまことに失礼ながら、版画をみるのを忘れるほど文章に入ってしまったりもしました。

オリジナルのブルさんの版画の弱点は地味だと言う事が出来ると思いますが、そこがブルさんの芸術的センスであり、派手な売れるパホーマンスばかりしてる有名な版画家と違いブルさんの版画は、殆ど誰も気がつかない題材を探しだし、それをみごとな作品にして我々のもとに届けてくれる、そんな繊細で誠実なブルさんの仕事を私はいつも楽しみにしてます。

値段に対するブルさんのこだわりも、私にはありがたく、これがブルさんの作品の値段か? と聞かれたら「ノー」としか言いようがありませんが、「得をした」そんな密かな楽しみをブルさんからの小包が着くたびに感じてるのも私一人ではないはずです。手持ちの作品の完売を心より祈ってます!

少数販売も継続する…

私の事業は、いわゆる「ロングテール」運営をしていることになります。毎月たくさんの新作品を発送するだけでなく、過去の作品を集める方たちにもそれを選び出してお送りしているからです。これは喜ばしいことですが、この「ロングテール」システムには大きな問題があります。それは、在庫を抱え続けることです。

青梅の家に住むようになってもう10年近くなりますが、広々として収納もたっぷりあったはずの室内が、少しずつ変化してきています。では、中をご案内しましょう。

玄関は桐箱に入った掛軸を保存するのに最適です。いつも新鮮な空気が入ってきますから!

 居間は、生活するための物でいっぱいです。版画、本、パソコン、あそこにも版画、本……

を混ぜたり、ドーサ引きをしたり……。ここにも本が陣取っ


二階の寝室は、両方共に家の中で一番乾燥している部屋なので、版画ケース・和紙・包装材・完成した作品を保存しています。


一方地下の部屋は、段ボール箱・展示会用器材・包装材。加えて、私の宝物とも言える何百枚もの彫り終わった版木があります。
そして、この家のどこかに、(一体どこでしょうか)版画家が暮らしているのです。


暑い!!

今年の夏は暑い!暑い、暑い、暑い!

元来、暑さ寒さに弱い根性なしの私だが、これほど冷房に頼る年は初めてである。今年は事情があって、乳児の孫が家に来ることが多いせいもあるが、5時半に起床して家中の窓を開け放って新鮮な空気を入れたら、丸一日冷房を稼働する日が続いている。

そんな折りも折り、「エコチャレンジ」とやらの企画で市役所から担当者が家を訪ねて来た。一軒一軒にパンフレットを配り、夏の3ヶ月間の電気・水道・ガスの消費量を記録し、節約の成果を記録せよとのこと。3ヶ月後に回収にくるが、回収の折には領収書との照合までするという。いやはや、このようなことに人件費をお使いになるとは、まことに結構な「エコ」と皮肉のひとつも言いたくなる。自慢じゃないが、冷暖房を除けば、ゴミのリサイクルを筆頭に他所様にひけをとらないエコ暮らしをしているつもりだからだ。弱いところだけを調べて、「お主は努力が足らん」などと言われてはたまらない!

ところで、今年に入り熱中症で死亡した人は、日本国内で現在300人を越えている。救急車で搬送された人の数はこの何倍にもなり、その多くは冷房を使わない高齢者だという。「独居老人、熱中症で倒れているのを発見される。死後**日を経過して……」なんて、クワバラクワバラ!

そんな私でも、無理をして外出をしなくてはならないことがある。炎天下を歩いた後に電車に乗ると、冷房が利き過ぎた車内で持参のセーターを羽織り、再びムワッとするホームに降りて、炎天下を歩いて帰宅。水分を欠かさないように注意していても、頭痛と軽い目眩に襲われたりする。

一体どうなっているのだろう。車内にいる間は、「エコ努力せよ!冷房の利き過ぎだ!」と憤懣やるかたない。「車内扇風機はもう使わないのだろうか?併用すれば設定温度をグンと下げられるのに。」「個人の家庭よりも公共の施設でもっと努力をしたらどうなのよ〜!」と、エコパンフレットを渡されたばかりに電車にヤツ当たりする。

ところで、はい、おひげさんは黙々と自分のペースを守っている。暑さで朦朧となろうが、寒さで鼻の頭がしもやけになろうが、彼の1年は淡々と経過してゆく。勝手気ままに生きる私には雲の上の聖人様のよう。真夏と真冬が来る度に遠い遠い人になる。

数ページ前に家族の事を書きましたが、今年の6月に両親は結婚60周年を迎えました。クルーズを満喫しながらこの特別な日を祝う一週間は、最高でした。

ここに勢揃いしているのは、記念日を祝うディナーに向かう両親と子供たちです。お父さんお母さん、おめでとう!