デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」の一冊の内容です。

ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。

41号から最新号まで

1号から40号まで



Categories:

'Hyakunin Issho'
Newsletter for fans of David Bull's printmaking activities
Spring : 2007

再び春が巡ってきました。今回はとても珍しく、年度替わりと私の企画の切り替えが、たまたま一致することになりました!

もう何年もの間、私の版画制作に関する企画は、いつも年末に完成していたのです。ですから、一月の展示会が終わると同時に新機一転となっていました。

でも今年は、掛軸の完成が数ヶ月ずれ込んでしまったので、事情が変わってしまいました。完成した掛軸を御客様のもとへ発送したのが3月末、そこでやっと「卒業」することができました!咲き始めた桜の花に囲まれて、すぐに次の企画への新入式となった次第です。新生活のスタート!

今回の特集記事は、写真を交えて説明する掛軸の制作過程です。まだご存知ない方たちのために用意しました。また、展示会報告と昨年度の会計報告をし、最後はいつものように、貞子のコーナーで締めくくりです。

展示会報告

前回に較べると、なんても大きな変化です。なにしろ、24作だったのが1作にと、しっかり鑑賞するには多すぎる数から物足りない数になってしまったのですから。私自身は、枚数こそ限定されたものの、質で十分補ったと思っているのですが!

さて、焦点となったのは、もちろん懐月堂安度の掛軸です。2006年内にすべて制作を終えるつもりだったのですが、年末が近づくにつれ、期限内に終了するのは無理なことがはっきりしてきました。ギャラリーの予約は数年前に日程が決まっていて、動かすことはできません。残された道はひとつだけ、とりあえず数枚を仕上げて展示することにしました。そして、予約をなさった収集家の方たちへの作品は、展示会終了後に制作することにしたのです。

作品そのものがいくら豪華で見ごたえがあるといっても、同じ場所に立ち止まったまま、長い間ひとつの作品だけを見るというわけにはいきません。それで、間を持たせるために全制作工程を示すパネルを準備しました。(展示会にいらっしゃらなかった方たちのために、この号では、その要約を掲載しています。)

展示会に出品したのは、掛軸一点だけではありません。「版画小品集」として制作した過去の年賀状10枚を並べましたし、奥の部屋には今までの作品に加えて、新たに「木版館」から出版を始めた版画も展示販売しました。ここは、年毎に商品の数が増える常設コーナーとなってゆくこと間違いなしです。

開催初日は、いつも頭の痛い思いで迎えます。交通会館の利用規程のために、すべての展示を当日の朝にしなくてはなりませんし、ギャラリートークをするためには最も理にかなった日でもあるため、私にとって1年で最も忙しく大変な日曜日となるからです!でも、ひとたび戦場もどきの日が過ぎれば、後はゆったりとした日が続きます。会場を訪れる友人や収集家の方たちと、のんびりおしゃべりを楽しめますし、摺の作業を何週間も続けた後の一週間は、ちょっとした「休息」のひと時にもなるからです。

また、展示場内には、例年通り次の企画を紹介する一角を設け、「自然の中に心を遊ばせて」と題した企画の説明パネルと申し込み用紙を準備しました。この企画は、夏になるまで開始できないのですが、来場者の反応は比較的良かったので、まずはひと安心といったところです。

そんなわけで、第18回の展示会はすでに過去の記録に加わっています。ところで、来年はどんな作品が会場の壁面を飾るのでしょうか。きっとあっという間に時が過ぎて、気付いたらもう展示会、なんですよ!

掛軸制作のあらまし

「展示会報告」のところで、昨年の掛軸が展示会までに完了しなかった旨を説明しました。でも、それはほんの数ヶ月前のことです。現在はすべて終わって、予約なさった方達は作品を手にしていらっしゃいますし、私のバレンは、次の企画が始まって出番が来るまで休憩中になっています。

作品の制作は1年掛かりでしたので、その間、予約をして御待ち下さっておられる方達に、制作の進行状況を数回お送りしました。掛軸の制作工程を知るのは、他の方達にも面白いのではと考え、報告の一部を御紹介します。

* * *

今回の掛軸は、とても大きな作品ですから、用いる版木はとても高価です。自作の専用摺台を使えば、細かな彫のある小さな版木も使うことができます。

主要な墨線だけでなく、模様もすべてなぞって版下を作ってゆきます。… 精度のよい写真を複写して、それを、私のパソコンに取り込みました。… 専用のタブレットの上に高感度の「ペン」で画いてゆくます。… タブレットとペンの間には、恐ろしく精巧な感度があります。ですから、実際の筆で画いたような線を作ることが可能です。

でき上がった版下の部分です。必要となる何枚もの版木を彫るためには、原画にあるどのような細部も画き入れなくてはなりません。

版下画きが完了したら、自分が用意した特別な紙に、その複製を作ります。

次の作業は長い色分けの行程で、どの部分を彫りどの部分を残すかを決めます。

その次は、彫を始めるために版下を版木に貼付ける作業です。その後私は、裏の層となっている紙を剥がし、版木の表面に薄い雁皮だけが残るようにします。

この写真は、私のウェブカメラで捉えたものです。作業台を見下ろす位置にビデオカメラを取り付け、インターネットを通じて、私の作業をライブで公開しています。

これは、模様を摺る版のひとつです。まだ彫は完了していず、小さな四角は全て取り除かなくてはなりません... が、四角の中央にある点は、どれも残さなくてはならないのです!

版木の数は13枚です。でも、摺る領域の数は別なのです。今回は、非常にたくさんの色を使うので、ひとつの版木に違う色を一緒に彫ることができます。
色分けを記した手元の資料では、唇のように小さな部分から背景のように広い範囲まで、42色の領域があることになっています。

材は生きているので、常に見当を調整しなくてはなりません。 それで、しっかりとした材質のマイラープラスチックを利用するつもりです。
色版を1枚ずつ置いて、透明なマイラー上の輪郭線を見ながら詰め木を入れて、版木の位置を調整するのです。

紙が反るように持ち、箱の中の和紙床から版木の上まで手前に移動します。想像できるかと思いますが、大きくて柔らかい紙が湿った状態ですから、思い通りに動かすことはとても難しいのです。はらりと、うっかり下に降りてしまうようなことがないよう、紙の端から端までしっかりと張った状態で移動します。

今までは、比較的小さな作品を制作していたので、これ程大きくなると新たな問題がたくさん出てきて、作業は遅々として進まない状況になってしまいました。
和紙は湿度によって伸縮するので、小さな部分を摺った後には湿り気を加え、広い領域を摺った後にはそれを取り除きます。また、乾燥した日には加湿し雨の日には除湿 ...

摺が終わると、掛軸として表装できる薄さにしなくてはなりません。厚すぎると、皺ができやすくなり、巻いた時に版画を痛めてしてしまいます。
まず、角の部分の繊維を逆立てます。紙が2枚に剥がれ始めたら、裏半分がはっきり分かれるまで剥がします。

最近の表装工房は、接着剤や大型のプレス機械を使うようになっていますが、私としては、のりを用いて自然乾燥するという、伝統方式で表装してほしかったのです。ここにある写真は、中国にいる表装職人の王建方さんに作品の状態を調べてもらい、相談をしているところです。私達は、彼が表装した商品をたくさん見てその技術を高く評価し、彼にお願いすることにしました。

プロの書家でもある、収集家の田内様の御陰で、美しく題が書かれた桐箱に入れて皆様にお届けすることができました。

長くて密度の濃い企画でしたが、やっと完成にこぎ着ける事ができました。かつてないほどの習練となり、しかも面白味の尽きない経験でした。1年前と較べると、遥かに経験を積んだ摺師になった気がします。

* * *

次のページに移って先をお読みいただく前に、お知らせがあります。掛軸は、注文数よりも多少余分に制作してありますので、作品を御希望の方は連絡をお願いいたします。

2006年の決算報告

私の活動を支えてくださっている方たちへの会計報告で、活動の背後でのやり繰りを、数値で掌握することができます。

昨年の報告では、「懐月堂安度の掛軸制作に長期で取組むことにしました。以前行った版画玉手箱のような人気は、とても得られないと重々承知の上です。私の収入はとても落ちることでしょうが...」実際その通りになりました。

ところが、一年もの間、工房から出て行く版画の流れがないわけですから、他の出費も非常に低かったのです。結果的には、例年とあまり変化がなかったようです。

木版館

昨年開業した、「木版館」という名の版画出版事業ですが、お察しの通り、まだ収入源として当てに出来る段階ではありません。実際のところ、摺代に費やした金額の方が販売額を上回っています。でもこれは、将来への投資と考えているので、表のこの部分が黒字に転じるのも遠からず、と期待しています!

本の印税

昨年新しく加わったのは、印税です。雑誌や本の挿絵として採用されたことは、過去にもありましたが、いつもちょっとした額でした。でも昨年の場合は、運良く塗り絵を出版している会社が私の「百人一首」を使ってくれた御陰で、溺れずに切り抜けることができました。

ニュースレター

昨年は、印刷方法を変えたので、ちょっとばかり節約することができました。何年もの間、印刷会社に頼んでオフセット印刷をしていたのですが、デジタル方式に変更したのです。パソコンで作った原稿をCDに焼いて、それを都心の「デジタルコンビニ」のようなところへ持って行き、そこの機械を借りて必要な部数だけを自分で印刷しました。

要約

帳簿を付けて、最終数値を見たときには、ちょっと驚きました。正直、手元に残った額はもっと少ないと思っていたのです。ほんとうに、これほど残額があったのでしょうか?じゃあ、何に使ってしまったのでしょうか?

孫に会うために支払った飛行機代が高かったのは事実ですが、その残りは...、きっとその他は全部食べちゃったのでしょうね!

この表からは見えないのですが、私の両親から娘達に多大な援助を受けていて、そのほとんどは、富実の学費です。喜んで払ってくれているのか、はたまた憤慨しているのか。55歳にもなった息子がまだ援助を必要としているんですから!

予定

次回、この表はどのようになるのでしょうか?残念ながら、まるで予想がつきません。今年も—また!—「ベストセラー」とは縁遠い、やっかいな企画を立ててしまたのですから!それでも、そこそこの人数が集めてくだされば、かろうじで収支がプラスとなる線を維持できることでしょう!

新企画

「ひとつの場所で24時間、静かに過ごしてみたいんだ」テントと寝袋を簡単な食料の入ったリュックの上に重ねれば準備完了。

ハイキングとも違う、近頃はやりのアウトドアーライフとも違う。 自分の存在が周囲に棲息する生き物の邪魔をしないよう、そおっと自然の中に身を置いて環境と一体化するだけ。

24時間後にテントを畳んで数時間もすれば、倒れた草も起き上がって、彼がそこにいた形跡も消えてなくなる。

青梅の住まいから歩いて見つけた、デービッドだけの秘密の場所があるらしい。多忙な日々を送る作者が、丸一日だけ、ポッと日常から消えて自然の中に隠れてみるらしい。そこで一体何を見るのだろう、どんな楽しいことが起こるのだろう。日没を見届けた後の暗闇の中で聞こえる音、雪に覆われた斜面に朝日が差し込む幻想的な場面。

そんな体験を随筆に綴ってお送りします。彼の目に映る自然は、お得意の木版画で表現され、写真では表現しきれない自然の美しさを、繊細な和紙に移しとります。その景色をゆったりと手に取って味わいながら、綴られた随筆を読むひととき。みなさんも、いつの間にか彼と一緒に自然の一部に溶け込むような気持ちになることでしょう。

デービッドが初めて挑戦する、オリジナル版画と随筆は、こうした自然がテーマです。

癒し効果は抜群!どうか参加してみてください!

* * *

企画の詳細:版画を含む冊子は、和綴じ本の形でお送りします(日本語版と英語版のいずれかを選択)。開始は6月中頃、以後2ヶ月おきに配布して、2009年の春に全12冊が完了の予定。

各版画(随筆込み):8,000円(送料、消費税別)

奥様ですか?

私は、デービッドの手伝いをしている。彼はエッセイも手紙もすべて英文で書くので、現在はすべて私が訳しているのだ。その他、時折雑用もする。専任のパートの方にお願いしない、ちょっとしたコーナー付けなどの作業である。おしゃべりをしながら、並んで手作業をするのは、楽しいものだ。加えて、展示会の時は集中的に手伝う。すると、いつも受付にいるので様々な質問をされるのだが、時折、返答に困ることがある。それは、「奥様ですか?」と聞かれた時である。

さあどうする!いつも一緒にいるように見えても、私たちは結婚していない。まるで別々の家に暮らし、経済的に自立もしているのだから。最初のうちは、これにたいして「ムニャムニャ」と答え、そのうち「〜のようなものです」と答え、めんどうになると「はい」と言ってしまったりした。でも、嘘はいけない。それでそのうち、「いいえ」と答えることにした。すると聞いた人は、たいてい怪訝な顔をする。「嘘でしょ」といった顔をする。私の方も負けてはいない。「どうだっていいでしょ!」という顔で見つめ返す。

実際、私達の関係はどう言えばいいのだろうか?それぞれが、一度は家庭を持ち、片方はよんどころない事情で別れることになり、私の方は死別した。そんなふたりが出会い、親しい間柄になりながらも、それぞれ子供たちとの暮らしを大切にしてきた。そうこうするうちに、デービッドの子供達はカナダに渡り、私の娘も独立する年齢に達した。

私達は仲良しである。仕事ばかりでなく、よく一緒に旅行やピクニックに行くし、食事を共にすることも多い。デービッドが私の庭仕事を手伝ってくれることもある。近頃は、デービッドが招待された時には堂々と「パートナー」として同行している。じゃあ一体どうして結婚しないのよ、と不審に思う方もいらっしゃることだろう。正直、私たちには、そのことを考た時期があった。だが、それが、ふたりの関係をより良い方向に導くのだろうか、と問うた時、答えは否と出たのである。

私達ふたりは、とても違う。文化的背景はもちろんのこと、生い立ちも価値観も正反対な部分がある。生活のリズムだって食べ物の好みだって大きくずれる。こうして、ひとつひとつの要素を列挙していくと、あえて結婚する理由が見つからないのである。

もしも、ふたりが協同で作り育てていかなくてはならない家庭という存在があるのならば、話は別で、お互いに大きく妥協をしても一緒に暮らす覚悟がいるだろう。私は、それが結婚という形態の基礎であり、人の子の親となる覚悟であると考えている。だが、ふたりともその時期はとうの昔に卒業してしまった。今は、それぞれが再び一個人として、人生の円熟期を満喫する段階にあると私は考える。この時点で、敢えて己の生き方に束縛を設け葛藤を繰り返すこともなかろう。デービッドにしても、このまま自由気ままに、思う存分版画活動を続ける自由が貴重なはずである。(この点は、私個人の考え方であるので悪しからず)

そんな訳だから、きっとこれからも、ふたりは各々の船を操縦してゆくことだろう。持ちつ持たれつしながらも、2槽の船は、時には別々の流れにたゆたい、又時折は寄り添うように同じ方向に流れてゆく、そんなことを繰り返すような気がする。

「奥様ですか?」「いいえ、パートナーです」これで通じるかしらん?

昨年の秋号で、家族に会うため夏にバンクーバーへ行き、以前の飼い猫だったミミちゃんにも再会したことをお知らせしました。

今となっては、あれが最後の別れとなってしまいました。私が日本へ戻って来て間もなく、娘達から、ある晩ミミが眠るように静かに息を引き取ったという連絡があったのです。17歳でした。

私自身が子供の時には、何匹もの猫を家族で飼った記憶があります。交通事故にあったり、病気になったりして、なかなか長生きしなかったのです。それに較べて私の娘達は、家族の一員である一匹の猫と、ずうっと一緒に子供時代を過ごしたことになります。

そんな関係でしたから、娘達は、私よりもずっと喪失感を味わったに違いありません。でも、共に過ごした数限りない楽しい想い出が、きっと彼らを慰めてくれることでしょう。ミミちゃん、さようなら!