デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。

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奥様ですか?

私は、デービッドの手伝いをしている。彼はエッセイも手紙もすべて英文で書くので、現在はすべて私が訳しているのだ。その他、時折雑用もする。専任のパートの方にお願いしない、ちょっとしたコーナー付けなどの作業である。おしゃべりをしながら、並んで手作業をするのは、楽しいものだ。加えて、展示会の時は集中的に手伝う。すると、いつも受付にいるので様々な質問をされるのだが、時折、返答に困ることがある。それは、「奥様ですか?」と聞かれた時である。

さあどうする!いつも一緒にいるように見えても、私たちは結婚していない。まるで別々の家に暮らし、経済的に自立もしているのだから。最初のうちは、これにたいして「ムニャムニャ」と答え、そのうち「〜のようなものです」と答え、めんどうになると「はい」と言ってしまったりした。でも、嘘はいけない。それでそのうち、「いいえ」と答えることにした。すると聞いた人は、たいてい怪訝な顔をする。「嘘でしょ」といった顔をする。私の方も負けてはいない。「どうだっていいでしょ!」という顔で見つめ返す。

実際、私達の関係はどう言えばいいのだろうか?それぞれが、一度は家庭を持ち、片方はよんどころない事情で別れることになり、私の方は死別した。そんなふたりが出会い、親しい間柄になりながらも、それぞれ子供たちとの暮らしを大切にしてきた。そうこうするうちに、デービッドの子供達はカナダに渡り、私の娘も独立する年齢に達した。

私達は仲良しである。仕事ばかりでなく、よく一緒に旅行やピクニックに行くし、食事を共にすることも多い。デービッドが私の庭仕事を手伝ってくれることもある。近頃は、デービッドが招待された時には堂々と「パートナー」として同行している。じゃあ一体どうして結婚しないのよ、と不審に思う方もいらっしゃることだろう。正直、私たちには、そのことを考た時期があった。だが、それが、ふたりの関係をより良い方向に導くのだろうか、と問うた時、答えは否と出たのである。

私達ふたりは、とても違う。文化的背景はもちろんのこと、生い立ちも価値観も正反対な部分がある。生活のリズムだって食べ物の好みだって大きくずれる。こうして、ひとつひとつの要素を列挙していくと、あえて結婚する理由が見つからないのである。

もしも、ふたりが協同で作り育てていかなくてはならない家庭という存在があるのならば、話は別で、お互いに大きく妥協をしても一緒に暮らす覚悟がいるだろう。私は、それが結婚という形態の基礎であり、人の子の親となる覚悟であると考えている。だが、ふたりともその時期はとうの昔に卒業してしまった。今は、それぞれが再び一個人として、人生の円熟期を満喫する段階にあると私は考える。この時点で、敢えて己の生き方に束縛を設け葛藤を繰り返すこともなかろう。デービッドにしても、このまま自由気ままに、思う存分版画活動を続ける自由が貴重なはずである。(この点は、私個人の考え方であるので悪しからず)

そんな訳だから、きっとこれからも、ふたりは各々の船を操縦してゆくことだろう。持ちつ持たれつしながらも、2槽の船は、時には別々の流れにたゆたい、又時折は寄り添うように同じ方向に流れてゆく、そんなことを繰り返すような気がする。

「奥様ですか?」「いいえ、パートナーです」これで通じるかしらん?

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