デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」の一冊の内容です。
ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。
41号から最新号まで
1号から40号まで
Categories:
今年は、「版画玉手箱」というとても忙しないスケジュールの御陰で、脇目も振らずに制作する毎日が続きました。季節の変化を感じたのは、できあがった作品を玄関から送り出す時だけだった、と言っても過言ではないほどです。
その企画も、そろそろ終盤にさしかかっていますが、このニュースレターを書く時間は、何とか工面できました。今回の内容は、「収集家の紹介」、「デービッドの選抜き」、そして、本来ならばもっと早く掲載するべきであった、「2004年の会計報告」です。遅くなっても、しないよりはいいですね。
そして最後には、いつものように「貞子のコーナー」、「来る企画について」と続きます。最後の記事に関しては、どのような版画を復刻して欲しいか、読者の方たちの声を聞かせていただきたいところです。
このコーナーに話を書くときには、いつも、どなたにお願いしようかと迷います。まず頭に浮かんでくるのは、最近なんらかの形で話をする機会のあった方たちです。でも、収集家の名簿に目を通してみると、そういった人たちの後に隠れてしまっていた名前がいくつか浮かび上がってきたのです。私を煩わせないようにと、遠慮がちな人たちに違いありません。それで、きちんと話をする機会がなかったのです。
そこで名簿の古い方を探り、12年以上も私の作品を集め続けてくださっている方たちを調べて、松井考尚さんを選び電話をしました。どのような方かを知るために、訪問してお話を聞く事ができるか問い合わせたのです。
「訪問」は問題なく決めることができましたが、私の仕事場を見たいという彼の要望の方が強くて、このコーナーを書くためには残念なことに、松井さんが私を訪ねることになったのです。そして、もっぱら彼の方が私に質問する側になってしまいました!でも、いろいろと話をしているうちに、彼がこう言ったのです、「私が集めている版画の中に...。」ここをチャンスとばかり、「お訪ねして、ぜひ拝見したいです!」と切り出しました。そして、( 私にとって)ずっと面白く実りの多い「訪問」が実現したのです。
お父さんと私がゆっくり話のできるように、息子さんたちふたりは自分たちの部屋に入って遊んでいました。でも私は、自身の子供たちが大きくなってしまっているので、近頃の子供たちがどんな遊びをしているのか知りたくなったのです。それで、坊やたちを呼んで、ちょっとおもちゃを見せてもらう事にしました。お父さんは待っていられますからね!
数分もすると、この訪問で予定していた通りになりました。つまり、誰かのコレクションを見せてもらうことになったのです。子供たちが集めていたのは、もちろん木版画ではありません。彼らの関心は、恐竜のモデルや空想的な生き物を描いたゲームカードで、ものすごい量が集められていました。そして、こういった物に関する、もの凄い知識を披露してくれたのです。私が、冗談めかしにカードを拾い、名前の所を隠して言い当てられるか聞いてみると、何度試しても、即座に正しい答えが帰ってきました。もしも誰かが、私の版画コレクションから一枚ずつ取り出して、同じように私を試したら、これほどきちんと答えられるかどうか...。
きっと、こんな風に思う人がいらっしゃることでしょう。怪獣カードみたいなくだらない物に、これほどの労力と時間を費やすなんて無駄なことだと。でも、私はそう思いません。脳の訓練は良い訓練、どんな楽しみも良い楽しみですから。それに、彼らのしていることは、その父親や私のしていることと、本質的に大差はないのです。あるテーマについて掘り下げ、それについての情報を集める。きちんと机に向かって「研究」する、などというのではなく、ただ遊んでいるのです。
その後しばらくは、坊やたちがお父さんと私だけにしてくれたので、ゆっくりと松井さんの集めた版画を見て過ごしました。いろいろと幅の広い収集内容で、私はその中の、春章の役者絵が一番面白いと思いました。自分が、同じ作者の百人一首を復刻しているので、ほぼ同じ頃に作られた役者絵の、柔らかい紙質を味わいながら、当時を懐かしく思いました。こうして、とても楽しく二時間程を過ごしているうちに、いつか復刻して自分の作品集に加えたいと思うほどの版画を、何枚か見つけてしまったほどです。
今回の訪問は、当然ながら、松井さんについてもっと知るのが目的でした。彼は、私の作品をずっと集めていますし、ニュースレターも長年継続して読んでいますから、この二時間程で、この不均衡を調整するのはとても無理ですが、とにかく私達は交流を始めたのです。
このコーナーに記事を書いても良いかどうかを、松井さんにお聞きした時、 ー どなたもほとんど同じようにお答えになるのですが ー ご自分とその家族は、ごく普通の暮らしをしているだけとおっしゃったのです。ご存知かどうかわかりませんが、正にこれこそが、私の聞きたいことです!私の「版画玉手箱」が、誰かの家に飾られている。近くには、その人の浮世絵コレクションや中国の歴史上の人物像も置かれ、そう、恐竜のモデルなども並んでいる。こんな様子こそが、私の作品が社会の中で意味を持つ存在である、と感じさせてくれるです!
松井さんとご家族のみなさん、私の活動を長年にわたって支えてくださり、ありがとうございます!
今年1月の展示会で、「デービッドの選抜き」に展示した、最後のふたつの作品です。
毎年のことですが、「デービッドの選抜きコーナー」に8枚の作品を選ぶ時には、変化に富んだ作品を選ぶようにしています。あちらからちょっと、こちらからちょっと、という風にです。でも、作業場の棚や引き出しの中を見回していると、どうしても明治時代の美人画を入れてあるファイルに舞い戻ってしまうのです。この中から選ばずに、このコーナーができるなどあり得ない事で、今年はそれが2枚になってしまいました。
これは、美術図書でよく見るようになってからというもの、欲しくてたまらなかった版画です。ですから、数ヶ月前にインターネットのオークションでこの版画を見つけた時には、落札のチャンスを逃さないよう目覚まし時計のスイッチを入れました。かなりな高額になっても手に入れようと覚悟していたのですが、関心のある人が他にいなかったようなのでほっとしました。そして、嘘のような安値で買うことができたのです。
昇雲は、一般の人にはほとんど知られていない絵師ですが、彼の遺した美人画は相当な物です。どうか近寄って見てください。髪の毛の彫り、布地の質感、かすかに積もる雪、好対照な右半分と左半分... 見るところはたくさんあります。
昇雲の作品はぜひ復刻してみたいものですが、残念ながら、とてもそんな機会はないでしょう。彼の没年は95歳ですから、現在の法律では、2015年まで著作権が存在します。目下審議中の新しい著作権が執行されれば、それが2035年まで伸びてしまいます。でも考えてみれば ... その時、私はたったの85歳 ... 可能性がないと断定はできませんね!
今年の「デービッドの選抜きコーナー」、最初に選んだのは、私の大好きな作品のひとつで(どれも自分の大好きな作品ばかりなんですが!)今から150年前に作られた摺物です。
皆さんが数えなくてもいいようにお教えしますと、この摺物には118首の歌があります。すべて彫って摺られています。どこかの歌会で選ばれた歌を載せたのでしょうか。
このような版画を目にすれば、私達はいつもこんなことを思うはずです。「たかが何かの記念じゃないか、一体全体どうしてこんなにたくさんの労力とお金を費やしたんだろうか?」と。まず最初の理由は、彼らにとってはとても重要な意味があって、それだけの価値を認めたからでしょう。また、私を含めて誰もが、「こんなにたくさんの歌を版画にするなんて!彫るのにどれだけ長い時間が掛かったんだろう!」と思うはず。ところが、当時このような事は、特別ではなかったのです。思い出してください、昔の本は、頁の隅から隅まで、すべて人の手で彫り摺っていたのです。文字を得意とする彫師がたくさんいて、彼らの仕事はとても手早かったのです。実際、この程度の仕事をするのに、どれほどの時間が費やされたのか、私には正確なところはまるで分りません。でも、どのように作られたかは分ります。文字と絵の画かれた版下を版木の上に貼付けて、彫刻刀を研いで体制を整えたら、集中するのみ!
そして、あっという間に、でき上がり!
昨年のニュースレターで、私の事業における基本的な収支と版画の発送枚数について事業報告をしました。今回はその続きですが、こうした記事を、今後も継続して定期的に掲載していくつもりです。収集家のみなさんは、私の事業を続けるための「株主」のような存在と受け止めていますから、その「経営」状態が健全であるかどうかを判断していただくための資料を用意するのが、道理だと思うからです!
(本来ならば、もっと早くこの記事を掲載するべきでしたが、載せたい事柄が多くてスペースがなかったのです。来年からは、できるだけもっと早い時期にお知らせするようにします。)
御覧になってお分かりのように、「百人一首」と「摺物アルバム」は終了していますが、それでも私の収入のかなりの部分を占めています。実際、こういった過去の作品を集めてくださる方たちがいないと生活していけない、というのが実情です。
「四季の美人」は、自分の予想を遥かに下回る人気で、その数は半分以下でした。でも、これをどう受け止めるかは考え方次第で、棚に残された版画がこれから何年か掛けて少しずつ売れてゆけば、私が溺れずになんとかやってゆく助けとなることでしょう。
収集家たちはどこに?
この表を見て、あまり驚くことはないと思います。まず百人一首は、歌について良く知っている人たちが魅力を感じるので、ほとんどが日本人です。そして、ひとたび作品の題材がより幅の広いもの、詳しく言うならば、歌よりも絵の方に主眼点を置くようになると、海外の人たちからの関心が高まりました。
驚いたことに(失望もしたのですが)、海外の人たちの関心度が「四季の美人」には繋がらなかったということです。私は、どの文化にも通用する作品集で、あらゆる地域に住む人たちに好まれると思ったのですが。
収支決算、2004年
面白い事に、総収入は安定していて、昨年もほとんど同じく1千万円台でした。前の年と比較すると、1%の以内の違いです。この年のシリーズ(四季の美人)の販売数がかなり減っていたので、これは救いでした。なんとか生活していける状態は維持したいものと、気にかけていましたから。
ところが次第に、その安心は心配に変わってきました。包装にかかる費用が急激に増加して、前年の総収入の5.5%から16%に跳ね上がってしまったからです。その他の必要経費は、ほぼ安定していましたが、このたったひとつの例外だけで、最終的に私の手元に残る金額は、表を御覧になればおわかりの数値にまで落ち込んでしまったのです。おまけに、ダブルパンチがありました。日本では、健康保険料や税金が前年度の収入を基準に決められるので、それらの出費が2004年にはとても負担になったのです。
こうした昨年の教訓から、収入と支出の不均衡をなくす方法を考えなくてはならず、その結果、2005年から作品の送料をみなさんに負担していただくことになったのです。この変更を決めた時には、何らかの抵抗があるのではないかと半ば覚悟していたのですが、そんな心配は無用でした。苦情を訴える人はひとりもいなかったからです。こうして送料を払っていただくことで、私の収益の額は大きく変わり、次回ここに掲載する報告書で、その効果を御覧にいれることができるでしょう。年間の郵送料はほぼ百万円近いので、作品発送の費用を埋め合わせていただくことで、なんとか生活していける状態に戻ることができるでしょう。
在庫目録
この報告書に、今まで公開したことのない、もうひとつの統計的資料を掲載することにします。すでに書きましたように、私の事業は、新企画とすでに終了して在庫となっている両方が同時進行しています。そこで、入手可能な版画について詳しくお知らせすることにします。
*百人一首
全百枚のみの販売ですが、現在の在庫は20セットです。また、以前十枚ずつをセットとして販売している時にご購入になられて、欠けている分を補充したい方が対象となりますが、十枚単位でお分けできる分もいくらかあります。
*摺物アルバム
第1集は、ご購入の予約をしている方の分を何部か別にして、すでに在庫がなくなりました。第2集も数が少なくなっておりますが、その他の集はまだたくさん在庫があります。
*四季の美人
すでに書きましたように、在庫はたくさんあります。
どの作品に関しても、購入の方法は、一括でも毎月1枚(2枚)ずつでも、ご希望に沿うことができます。ご相談ください。
全般的事項
以上が、2004年における実際の経理状況です。でも、この背後にある活動はどうなっているのでしょうか?「四季の美人」は、正直大きな挑戦でしたが、自分では、とてもうまくいったと思っています。今までに制作したどの版画よりも自慢のできる版画集となりましたから。実は、秋の部として口絵を復刻しようと決める時、果たして自分に復刻できるものか、まるで自信がなかったのです。あのような作品は、明治以来今日まで、手掛ける人がほとんどいなかったほどですから。でも、でき上がったばかりの作品を手に取って見つめた時には、挑戦したのは間違ではなかったと、自覚することができました。
日々の生活は、さあ、どう言えばよいのでしょうか。私の365日は、いろいろです。ほとんどが好きな仕事で(たくさん)過ごしていますが、貞子さんと一緒の時間もあり(不足気味ですが)、家族と頻繁に連絡を取り合ったり、収集家の方たちや友人との交流もしています。
もちろん、なにもかも満足というわけではありません。室内が凍えるほどの温度になることもありますし、一日の仕事を終えるのが真夜中近くになったりすると、こんなことを思ったりもします。「一体僕は、どうしてこんな生活を続けているんだろう!」でも、全体としてみれば、ストレスの少ない生活です。目下最大の「問題」といえば、来年の企画をどうするかなんですから!制作者側の私と収集家の双方にとって面白く、しかも経済的にまかなえる程度の企画を考えなくてはなりません。
この「問題」だって、きっとなんとか切り抜けられるはず。次回のニュースレターを読んでくださいね!
この記事を書いている現在、今年のシリーズ「版画玉手箱」は、ちょうど4分の3が完成したところです。この企画はとても経過が順調です。お客様たちからの反応は良く、また私自身も、かなりきつい一年間のスケジュールを、きっちり予定通りにこなしています。予想できない出来事が起きない限り、12月の終わりには、ぴったり予定通り終了することでしょう。
それで、気持ちを来年の企画に向けてゆく時期なのです。「版画玉手箱」をもう一度?これには即答です。いつかは企画するかもしれませんが、今は絶対にダメです!このシリーズは、とても楽しく制作していますが、とにかく時間が掛かりすぎて、満足のいくまで丁寧に手をかけるということが、できない事があるからです。
ここのところが、次回の企画を選ぶ上で、大事な点になると思います。来年は、手軽に楽しめるという類いの作品ではなく、がっぷりと四つに組めるような題材にしたいのです。そのためには、ひとつひとつの作品に掛けられる時間がたっぷりと取れるような計画を立てなくてはなりません。
ところが、ここで生じるのが難問です。より複雑で時間のかかる作品を作れば価格が上がる、という結論が避けられないからです。先日、収集家のひとりと、Eメールでこのことについて話し合いました。すると彼は、はっきりこう言ったのです。「手頃な価格帯から離れすぎちゃいけないよ。」
彼に、心配しなくても平気だよ、と言いたくなります。私は、作品の価格を、次のような必須事項を計算して決めるという基本方針をとっていますから。それは、和紙や版木などの材料に支払う費用と、私が雨露をしのんで生きてゆくために必要な金額です。小さな作品(版画玉手箱のように)を作れば枚数が増えて、一枚あたりの価格は安くなりますが、もっと複雑な版画(四季の美人のように)を作れば枚数は少なくなり、一枚あたりの価格は高くなります。ですから、1年を通して考えれば、同じことになるのです。
来年の企画を考える上で、決定が難しいのは、どこまで基準をずらして良いのか(シリーズの枚数を何枚にするか)、そしてもちろん、どのような題材にするか、ということです。でも、ひとつだけはっきり決めているのは、次を「挑戦」の年にしたいということです。それは、版画を迅速に作る能力への挑戦ではなく、特別な作品を生み出す能力への挑戦です!
収集家(このニュースレターの読者も)のみなさん、私の考えについて、何か意見や助言などがありましたら、どうか聞かせてください。でも急いでくださいね、決定の期限は迫っていますから!
今私は、夏の終わりの鬱蒼した庭を眺めながらこの文章を書いている。9月半ば、夏の疲れが体に蓄積しているのだろうか、気力がでない。蒸し暑い夜には、冷房にタイマーをセットして床に入るのだが、すっきりとしない目覚めを向かえる。ギラつく太陽に向かって海へ飛び出していき、日焼けした肌を自慢していた頃の自分を、ボンヤリと恨めしく思い出す。
8月が終わりに近づくと、台風の到来が始まり、そのあとは一気に秋の風が吹き始めた。窓を開け放って自然の風に身を任せる心地良さに、ふと酔いしれていると、庭のどこかに今年も巣を作ったのだろう、ハトがしきりと鳴いている。気怠さを一層深めるように。...と、ここまでで怠惰な私の世界は終わり。
先日、デービッドがこんなことを言った。「僕さ、今日は、ちっとも疲れるようなことをしてないのに、なんだか気怠くってさ、意欲が出ないんだよ。怠慢だよね〜。」あったりまえでしょ!疲れというのは見えないところで蓄積して、ひょっこり出てくるのだから。私の友達はみんな夏の疲れを感じているわよ。ところが、彼は納得しない。その直前に思い当たる重労働をしていなければ、疲れを感じるはずがないという論理を曲げないのである。
傍目と当人の感覚のずれというのは実に面白い。デービッドに言わせれば、のんびり優雅に暮らす自分を時折申し訳なく思うそうである。確かに、目の前の緑に目を休ませながら版画を作っている。そして言う、「さっと視界にはいってくる美しい鳥に心をときめかせたりできるなんて素晴らしいだろう」と。確かに良い環境である。だが、2週間毎に作品を発送し、季刊紙を発行し、帳簿付けからホームページの管理にいたるまで、何役こなしているのだろう。おまけに、そろそろ来年の企画の詰めに入らないと、にっちもさっちも行かなくなりそうである。彼の状況を横目で見ているだけで、私はぐったり疲れてしまう。
ところが私との接点で見せる生身のデービッドは、正直なところ実に優雅である。せかせか動き回るのは私の方で、「ねえ君、ちっともじっとしてられないんだね〜!」と言われる。
先日、彼がこう言った、「君さあ、昨日はすごい瞬間を見逃したんだよ。あと数秒遅く帰ればよかったのに〜!」私は一体、どんな素晴らしいシーンを見逃したのだろうか...。ここ数年、彼の家の南面の壁を覆うヤブガラシを舞台に、幾種類もの蜂とジャンボ芋虫を主人公とした様々なドラマが展開するそうである。私が帰った直後、玄関前でデービッドが発見したドラマとは、こんな筋書きである。「ヤブガラシの蔦を伝って登っていった大きなカマキリが、じっと狙いを定めた。と、その瞬間、長い前足をさっと振りかざしたかと思うと、蜂を捉え、パクリと頭を食べてしまった。そのすごさと言ったら、...。」
あのね、興奮して語るデービッドを見るだけで、私もう満足だわ。あなた自身がドラマだもの。
再びこの時期がやってきました。恒例の展示会に向けての準備開始です。目下のシリーズだけでも、まだまだ版画制作は忙しいのですが、この準備を怠ることはできません。今回は展示する作品がたくさんありますから、魅力のある展示会にするためには、かなり周到な準備が必要です。
展示会場は、昨年と同じく、有楽町駅前にある東京交通会館の地下一階、ゴールドサロンです。日曜日から土曜日までの開催で、ギャラリートークは初日になります。
詳細は、来年1月の初めにお届けする冬号でお知らせしますが、とりあえず、おおまかな予定をお伝えします。