デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」の一冊の内容です。

ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。

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1号から40号まで



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'Hyakunin Issho'
Newsletter for fans of David Bull's printmaking activities
Winter : 2004

今回は、ちょっと内容が変わっています。ほとんどが新シリーズ、あるいは今までお読みになったことのない記事となっています。

このページを書いているのは12月の初め、私のこれからは予定でびっしりです。版画制作を最優先にするのは当然なので、今は「四季の美人」シリーズの4枚目を作っていますが、それと平行して来年の企画についての準備も進めています。現在の仕事を終えてからゆっくりと次の企画を考える、などといった贅沢は許されないのですから!このふたつの大仕事に加えて、1月の展示会準備もあり...

私の工房の窓から小川を見おろすことができるのは、もう皆さん御存じですよね。その対岸には小さな寺があって、近所の人達がよく犬の散歩に来ます。先日、顔見知りの御夫人と立ち話をしている時のこと、「ブルさんは夜遅くまで仕事をしているんですねえ。犬の散歩にあそこの寺まで行くと、どんなに遅くても部屋の明かりが見えるんですよ。作業台に覆いかぶさるようにして仕事をしてらして...」

彼女は知らないでしょうが、昼間は他の仕事に時間をとられちゃうこともあるのです。こうしてニュースレターの原稿を書くとかね!それで、夜の11時になっても仕事を続けていることがあるんです。今回も、面白く読んでいただけるといいんのですが...

メデイアより2004

毎年の展示会では、私の仕事について書かれた記事の切り抜きを、毎年追加して展示してきました。自分の作品を一般に公開するようになって16年が過ぎ、日本国内におけるメディア業界は私の活動についてかなり好意的な反応を示してきているので、展示量はどんどん増えています。

記事として取り上げられるのは、外国人が日本の伝統文化に取り組んでいるから、というのもある程度は理由でしょう。でも私としては、同じ企画をしたのが日本人であったとしても記事にする価値があるとみなされた、と考えたいのです。

毎回、展示会が近くなると、記事として載せてもらうための宣伝用資料をたくさん送付しますが、それとは関係なく、編集者がどこからともなく私のしていることについての情報を得て、それが使えると判断し連絡してくる場合もあります。でも、それがテレビ番組の場合は、慎重になります。というのは、静かに考えながら行う私の仕事とは、控えめにみても、およそ懸け離れた放送目的で依頼してくることもあるからです。

私の作品を気に入ってくださる人達の中には、ことに外国に住んでいる方の場合、私のことが書かれた記事を読んだり出演した番組を見る機会のなかった方もいらっしゃることと思い、ここに紹介することにしました。昨年中にメディアで取り上げられた中から...。

週間求人情報雑誌:ガテン、2004年6月号-- 「和の職人になった外国人」

この雑誌に取り上げられたのは、これで3回目です。この雑誌は、仕事を探している人達に求人情報を提供するのが主な目的ですが、様々な仕事に従事している人達を分かりやすく紹介してもいます。ところが、この号に目を通してみたら、版画職人の募集はなかったんです!

抜粋:デービッドの言葉より 「私の目も肥えてきます。すると、これまでの自分の作品がジャンクになる。今日のベストは明日のジャンク。でも、人生最後までトライ。今日より少しいいものを作る。一つのことをずっとやり続けると、とても上手になる。それがハッピーです」

機関誌:コンセンサス、2004年9~10月号 --「木版画職人デービッド・ブルさん」

これは、NECが発行している機関紙です。彼らの事業内容と私のしている事は、ほとんど関連性がありませんが、私の記事が掲載されたのは「創造のダイナミクス」というコラムで、自分で道を切り開くような生き方をする人達を取り上げています。

抜粋: 「デービッドさんは、江戸時代から明治期の日本の木版画技術が古今東西で最高峰だと信じて疑わない。」

デービッド:『日本の木版画は中国や韓国の伝統とはまったく技法が違う。ヨーロッパにも技術はあったが日本の職人にはとうていおよびません。日本の木版画は日本で生まれた日本独自の技術であり、本当のメイド・イン・ジャパンなんです』

What's Up?、2004年5月号-- "I am a Craftsman, not an Artist"「私は職人、芸術家ではない」

これは雑誌でなく、高校生用の英語の副教材です。伝統文化の職人として生計を立てることは可能なのだ、ということを若い人達に伝えることは大切なことだと思い、喜んで編集者に協力しました。

抜粋: "David moved to Japan to study the skills to produce ukiyo-e when he was in his mid-thirties. He struggled to gain the traditional skills for a long time. Eventually, however, with the help of many Japanese craftsmen, he mastered the skills. Now he enjoys reproducing ukiyo-e. He has finally made his dream come true in Japan."

テレビ東京、2004年10月14日放映 -- 「たけしの誰でもピカソ」

ゴールデンタイムに放映されるこういった種類の番組は、手早く編集して限られた時間内にできるだけ多くの情報を詰め込むのが普通です。ですから、結果として深みのある内容にならなくても、幅広い層の人達が私の仕事についてちょっとでも知る機会となれば嬉しいと思っています。

Q. 「やはり日本の伝統文化を残していきたいですか?」

A. 「あんまりそういった考えは、ありません。なぜやっているかと言うと、自分が好きです。... 物を作る人と物を使う人が両方いると、伝統が自然に続くことになります。それが一番いい方法だと思います」

NHK教育テレビ、2004年11月放映 -- 「みんな生きている」

たっぷり時間をかけて制作された、15分間のミニドキュメンタリー形式の番組です。NHKは実に用意周到で、しかもたくさんの時間をかけるので、私としては費やせる時間がほぼ限界でした。でも放映されてみると、時間をかけただけのことはあったのだとよく分かったのです。視聴者からの反応は好意的で、とても喜ばれたようです。

「人が作ったものとは信じられないですね。繊細な線の彫り、微妙な色、美しい和紙、うそみたいです。私の国にも木版画はありますが、全然違います」

「(彫の線は)1本1本がほんとうにスムーズできれいじゃないとおかしい。丁寧過ぎても、おかしくなります。サ〜ササッと彫ると、自然な線が生まれるんです」

ナレーション: 「百年前の技に挑戦していると、今となっては、どうやって彫ったのかわからないことがあります。たとえば、この筆で画いたような掠れた線。こんな時は昔の本に頼ります」

デービッド: 「この棚の中にあるのは、私の先生ですよ。明治時代の木版画のプロセスが書いてあります。色々と細かい事が書かれてます」

ナレーション:「本には、掠れという技があった事は紹介されていました。でも、どういう彫り方なのかは書かれていません。残された道はひとつ、自分で試してみるしかありません。...中略 ... 知らない技に挑むのはとても楽しい、とデービッドさんは言います」

紙面の都合上、今回はこの程度にしておきましょう。今度は、どんな問い合わせの電話が掛かって来るでしょうか。そして、来年はどんな報告が書けるのでしょうか?

デービッドの選抜き

恒例の展示会では、ここ2年程このコーナーを設けて、自分のコレクションから選んだ版画を紹介しています。訪れる人達はとても楽しんで下さっています。

このコーナーに置く作品を選ぶのは、私の楽しみです。普通の版画展などでは目にすることがなく、「え〜っ、これほんとうに版画なの?」などといった反応を引き出すような、そんな物を選ぶのが特に好きです。東京で開催する私の展示会には、遠くて来ることのできない多くの読者のために、この百人一緒でもいくつかを紹介することにしました。

今回は、今年の展示会で「デービッドの選抜き」に展示した中からふたつを選びました。

  • 題:入谷の朝顔、「美人名所合」から
  • 絵師:尾形月耕
  • 制作年度:明治34年(1901年)
  • 出版:松木平吉
  • 入手:神田神保町の版画店
  • 価格:30,000円
  • その他:この版画は、アルバム用紙にのり付けされていましたが、ボール紙の台紙から救い出すことができました。

とても豪華な作品です。絵師は、明治最高とみなされる中のひとりで、当時最も大手と言われた版元から発売されています。

私は、月耕がとても好きです。彼の人生や仕事について、知れば知る程好きになります。彼はほとんど独学の人、これは私と共通している点です。また、どこかの流派に属することなく、絵師として無からのし上がった人です。私が日本に来てまもない頃、この社会で自分を売り込もうとすると損をすると言われたものです。でも本によると、月耕は絵師として自分にできる事を宣伝するために、自分でチラシを作ってたくさんの版元にくばったとか。彼と私なら、きっと意気投合したことでしょう!

西洋で日本の画家達が認められるようになった初期の頃、彼はその中のひとりでもありました。外国語の本に挿し絵をたくさん画いていましたし、国外での展覧会にも参加していたからです。

美人画は彼の主だった仕事のひとつで、どの絵をとっても素晴らしい宝物のようです。江戸時代、三枚続きの美人画はよくある形式でしたが、たいていは吉原の女性を列ねただけの絵でした。この絵で月耕は、写実的な景色の中央に女性をまとめて配置しています。右端にいる女性の着物にあるぼかし、その繊細さを見てください!なんて贅沢に作られているのでしょう!

  • 題:事務所用の専用紙を印刷するための版木
  • 制作年度:不明(明治?)
  • 入手:インターネットオークション
  • 価格:1,000円(この他、空欄のみの用紙用と碁盤の升目用の計3点)

かつて版画は、美術品を作るという目的以外に使われるのがほとんどでした。西洋から印刷機械が導入されるようになるまで、大量の部数が必要な場合は、版木に彫ってバレンで手摺りをしたのです。

ここにある紙は、その典型的な例で、何かの記録をするために作られた書式でした。このような用紙を必要とした会社は、今日と同じように、地元の印刷業者に頼みました。最近の印刷屋さんは、コンピューターを使ってレイアウトをし、そのファイルを印刷機械に送るだけですが、当時は注文毎に違う版木に彫って、それから摺師の所に持って行く、という事をしなければなりませんでした。

必要な枚数が摺られた後、その版木は、同じ客が次の注文をしてくるまで店のどこかに保存しておいたのでしょう。街場の印刷所では、そんな版木が山のようにたまって大変だったはず、場所が密集した下町ならば尚更だったでしょう。

ちょっと面白い事があります。版木の裏を見ると、丸太状の桜の木から板を切り取る時にできた、大きなのこぎりの後がはっきり残っています。もちろん人の手で引いた跡です。

こうして何でも手作業で行った時代の人達は、すべてを機械にしてもらう私達をどんな風に思うでしょうか?

新シリーズ

このニュースレターで新シリーズを紹介したのは、つい数カ月前のことのように思えます... 実際、その通りなんです!でも、「四季の美人」はもう終わりに近付き、次の企画を進める時期になっています!

「百人一首シリーズ」を始めた1984年の暮、私は予約購買をしてくださっている方達への初めての年賀状をどうするか、決めなくてはなりませんでした。年賀状の習慣を知ってはいましたが、干支を題材として使うのはあまり気が進まなかったのです。(私は、性格や行動に関して言及したり影響を与えようとしたりする占星術の考え方が嫌いです)また、私は手作りの版画を送りたいと考えていたので、市販の年賀葉書は固すぎて使えませんでした。

それで、毎年「新年の挨拶用版画」を作ることに決めました。年賀状と同じ葉書サイズにして、本物の和紙に摺り、封筒に入れて送るのです。幸いな事に日本の郵便局は、年賀と表に印しておけば封書でも年賀状扱いにしてくれます。私の選ぶ絵は、特に新年用というわけではないのがほとんどですが、友人や知人に喜ばれるちょっとした贈り物になるように選びます。すると、お送りした方達が毎回とても喜んでくださり、もっとこういった版画が欲しいという要望がたくさん出てきました。

そこで、こういった希望に答えるべく、2005年は「版画玉手箱」と題して、葉書サイズの版画を1年間作る企画を考えました。

その具体的内容は、

  • このシリーズは全部で24枚。隔週に発送する形式で、到着は1週おきの月曜日。(日本国内の場合)
  • 最初の作品は1月31日に到着、24枚目は12月19日着。(海外の方の場合も日本と同じ日に発送しますので、到着は地域によります。)
  • 最初の版画と一緒に、セット全ての作品が保存できる素敵な箱をお送りいたします。(四季の美人シリーズの時と同じ会社が作ります)
  • この保存箱の蓋には、作品を飾るスタンドが内蔵されています。(このアイデアを出してくれた、シカゴに住む収集家のフリオ・ロドリゲスさんに感謝!)スタンドには、版画を台紙ごと挿入できるアクリル板が付いているので、次の作品が届くまでの2週間、安全に飾って楽しむことができます。飾る必要がない時には、蓋を閉じるとスタンドは内部に入ってしまいます。
  • 毎回、版画は保存紙に包まれて到着します。この紙のそれぞれの見開きには、版画の作者名と短いエッセイが印刷されています。
  • 版画は1枚2,000円で、これに送料(国内は240円、国外はすべて330円)と消費税が加算されます。
  • 隔週支払いをするのは頻繁すぎるので、まとめ払いができます。毎月でも、3回分ずつでも、その都度御自由にお支払いください。次回の作品と一緒に、24枚のどの作品の支払いが済んでいるかを表にして御連絡いたします。

24枚の版画に共通するテーマはありませんが、幅広く様々な作風を選んでいます。また、復刻版もあれば、あちらこちらからアイデアを拝借して構成したものもあり、まったくのオリジナルも含まれるかも知れません!

この企画について、何週間も知人達と相談している時、私がきちんと2週間毎に作品を完成させるのは難しいのでは、と心配する人がたくさんいました。でも、これは大した問題ではないと思うのです。というのは、実際には何枚かの作品を一度にまとめて制作する予定だからです。ですから、私自身の締め切りは、隔週よりも長い間隔になるのです。

そして決まった案がこれです。私自身はとても良い案だと自負しています。隔週月曜日に郵便受けを覗いて、まるで宝物を見つけるかのような喜びがあると思うのです!もしも私がこんな企画を耳にしたら、即予約するでしょう!(発送の仕事をして頂いている市川さんに、私の住所も加えて送ってもらうつもりです。このシリーズに参加する楽しさがどんなものか、実感できるでしょうから!)

ぜひ参加して下さいね!

'Successful Life?'

今日もデービッドの所にインタビューの記者が来た。彼は近頃、若者向けの雑誌に、ユニークな生き方をしている例として取り上げられることが多い。彼のような生き方が紹介されると、それを読んだ若い世代の人達はどのように受け止め、どのような影響を受けるのだろうか。こんな事を考えていたら、20年も前のある出来事を思いだした。

娘達が小学生の頃、学校のPTA役員を1年だけ引き受けたことがある。丁度その年、小中合同の企画で講演会を開く事になった。某大学の社会学の教授が話をするという。企画はしたものの人数が集まらないらしく、ついに私にも召集がかかり、嫌々夜の会場に出向いた。

会場は中学校の教室で、いかにも掻き集められてきたといった風の父兄が、部屋の半分程を埋めていた。こうして講演らしき体裁が整うと、おもむろにふろしき包みを抱えた某教授がやって来て話し始めた。何を話したかというと、どのような子供が、人生の成功を修めたかということらしく、「人生に成功」という言い回しが何度もでてきた。聞いている私は、もうしょっぱなからつまずきである。「人生に成功した人ってどんな人のこと?その定義は?」質問したいのをこらえて話を聞いていると、徐々に判ってきた。彼の言うところの成功者とは、どうやらお金持ちになった人のようである。ここまで見えてきたら、私は話の続きを聞くのが嫌になった。彼の授業を受けている大学生達は、講議を聞いてどんな風に消化しているのだろうかと、不安にもなった。

一方、インタビューを受けているデービッドは、若者達にどんなメッセージを送っているのだろうか。「若い時には、色々な事をやって何度も壁にぶつかり、失敗してもいいじゃないか。そして、これと思うものに出会ったら、とことん力を出し尽くして取り組んでごらん」といったところだろうか。

事実、御本人は、運命の出会いとも言える木版画を続けて、毎日楽しく意欲的に生きている。版画に惚れ込み、これが続けられるのならば、どんな事でも乗り越えてしまうだろう。まるで人生を大海原に見立てて、波乗りを楽しんでいるかのようである。大波を豪快に乗り越えることもあれば、たいして大きくもない波に飲まれそうになることもありながら。おそらく「人生の成功」なんて考ちゃいないだろう。

私は今50代の半ば、人生に昇り坂がありピークがあるとすれば、残りは下りあるのみ、「目下地滑り中」などと悲観的な視点をとる事がある。すると、彼がこんなことを言った「君さあ、考えてもごらんよ。僕は今54才だよね。でさ、84才まで生きるとするだろう、そうすると、まだ30年あるよね。30年もあるんだよ。20才から50才まで生きたのと同じ30年間がまだこの先にあるんだよ。素晴らしいじゃないか!」

この人、84才になったら何て言うか想像できます?「あのさ、104才まで....」

前回、ここに「読者の中に会場設置のお手伝いをしてくださる方がいらっしゃいましたら、どうかお知らせいただきたいのです。」と書きました。この日が空いている方がきっと何人かはいらして、会場で手伝ってくださるだろうと思ったのです。期待した通り、人手は十分集まりました。(下準備は周到に行って、それぞれの分担をしっかり決めておかなくてはなりませんが)申し出てくださった方々に御礼申し上げます。

秋号を発送して1週間ほど過ぎた日のこと、予期しなかった人達が会場設置への協力を申し出てきたのです。それも、ドイツとカナダからです!何が起きたかもうお分かりですよね。ドイツにいる弟がこの記事を読んで、カナダのバンクーバーにいる父母に電話をし、3人が手伝いに来るのです!

もちろん、これだけが理由で来るわけではありません。彼らが最後に日本に来たのは、「百人一首シリーズ」が完成した時ですから、もう丸6年も前のことです。そろそろ日本に来てもいい頃だと思ったのでしょう。残念ながら、今回は家族全員が揃うことにはなりません。私の娘達は両方共来ることができないからです。日実ちゃんはカリブ海のクルーズ船で働いていますし、富実ちゃんはバンクーバーの大学で勉強に追われているからです。

家族がやってきたら、さぞや楽しいことでしょうが、ひとつだけ、伝え忘れてはいけないことがありました。それは、フワフワスリッパと厚手の服を絶対に忘れないようにとの、うるさいほどの警告です。厚着をするのは外出時だけではありませんから...