デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」の一冊の内容です。

ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。

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'Hyakunin Issho'
Newsletter for fans of David Bull's printmaking activities
Spring : 2004

窓から見える梅の木に花が咲いて「百人一緒」の春号の準備をするのが遅れていることに気付きました!

春号の内容は、毎年かなり前から決まっています。恒例展示会の報告はもちろんのこと、「ハリファックスから羽村へ」と「貞子のコーナー」です。今回はこれに加えて、このニュースレターではめったに見る事のない、新シリーズのお知らせがあります!

摺物アルバムは終わりにしちゃったのか?いいえ、そんな事はありません...でも、今年はちょっとお休みを頂いて、かなり以前から暖めていた企画に取り組む予定です。それについては、他に紙面を割いていますので、そのページを御覧ください。

もうひとつ、ちょっと残念なお知らせもあります。私の企画に10年以上関わってくださった方達に「さよなら」を言って、新宿にある私のギャラリーを去る時が来ました...

今回も楽しく読んでいただけますように!

ハリファックスから羽村へ

このところ書いてきた事柄—音楽店に勤めながら趣味で木版画を作っていたこと—は20年以上も前のことなので、当時私が何を考え、どうしようと思っていたのかを正確に思い出すことは簡単ではありません。でも私はしっかり記録をつけるほうで、ここ青梅の地下室には私の記憶を呼び起こすようなものがいくつか眠っているのです!

写真1は私たちの小さなアパートの部屋で撮影したものです。え?カナダのアパートに障子ですか?ええ、もちろん、最初からあったわけではありませんよ!当時私は「日本のもの」に相当いれこんでいたので、窓にカーテンをかけるかわりに、障子を作ってしまったのです。(大変よくできていました。釘も糊もまったく使っていません。すべてがぴったりとおさまっていました。)そしてフルート。はたしてあの小さかった日実ちゃんは、父親が楽器を演奏していたことを少しでも覚えているでしょうか?まず覚えていないでしょうね。この写真を撮って1年くらい後には、フルートは箱にかたづけられてしまって、そのままになっていたのですから....


写真2は、アパートの別の部屋の写真です。私は古本屋で日本に関するものをくまなく探し回っていました。日本の歴史とか日本の芸術とか。それらは棚の中で日に日に高さを増していきました。思い出します。これらの本をどれほど熱心に読んだことか。勉強なんて大嫌いだったのに。もし、先生からこういう課題を与えられていたなら、とっくにやめていたことでしょう。でも自分の興味があるものなら、話はまったく違います!


写真3は、私が懐月堂の絵を複製したものです。これは何年も前からやろうと思っていたことで、日本への旅行中、このために特大の版木を注文しました。この版画は1984年半ばに作ったものです。そして、これがその後の2年間でほとんど最後の作品となりました。その年の冬に作った小さな挨拶状を別にすれば、次に彫刻刀を握ったのは、日本に来てからのことでした...

どうしてでしょうか?日本の版画にそれほど惹かれていたなら、どうしてもっと作ろうとしなかったのでしょうか?私の狙いが少し変わったのです...週末の趣味として版画作りを続けるのではなく、「版画に生きたい」と考えるようになったのです。そこで、版画製作で収入を得る方法を模索し始めました。その結果を、地下室の資料の中に見つけることができます。記録でいっぱいのバインダー...木版画の出店販売の記録です!

音楽店の社長は、私が版画職人として生活したいと模索し始めていることを知っていました。私が日本の版画事情を学びに行きたがっていることをよく知っていて、あの3ヶ月の休暇を与えてもくれたのです。私のこうした行動に文句を言うどころか手助けをしてくれたのですから、実に寛大な人だったことがわかります。

私の住んでいた州のあちこちで開催される工芸品祭りに行くような人たちは、木版画職人が作業をしているところを見るのに興味をもつのではないか、と思いました。そこで私の作品からいくつかを選んで額に入れ、解説資料などと共に陳列できるような組み立て式の展示台を作り、銀行口座を開設、売り上げ税の登録もしました。また、自分が参加できそうな催し物の情報を集めては申し込みを送り、音楽店を休める日と催し物に参加できる日が一致するように予定を組んで、版画職人としてのサイドビジネスを開始しました。

で、どうなったかというと...金銭出納簿の最後のページに、売上総額が書かれています....1年間で133ドル23セント...

さ〜て、どうしましょうか?

展示会の総括

展示会の開催は15回を数えました。百人一首に10年間を費やし、そして摺物アルバムを始めてから5年です。15 x 10 = 150 、これが現時点までに作っているはずの版画の数です。でも、展示会までに最新の集の10枚は完成しませんでした。実は、今なお最後の作品に取り組んでいるところです!とはいえ、会場にいらした方達に楽しんでいただけるだけの展示は、たっぷりありました。

摺物アルバム第5集

展示会は、作品を全部並べて眺められる唯一の機会で、これは私にとっても同じです。今年作った8枚の作品をパネルに並べてみると、第5集は、何かもっと、こう... どう言えば良いのでしょうか... 今までの集よりも「壮観」なのです。ちょっと特殊技法を駆使し過ぎた感があります。金属粉の使用、浮き出し模様、たくさんの色版。こうなった理由のひとつは、私が伝統木版画を始めて25年近くも経ているのに、まるでお菓子屋さんにいる子供のような気分でいるからです。あれもこれも、みんな欲しいのです!

そんな具合なのですが、収集家の方達には楽しんで頂けていることを願っています。展示会場での反応から推量れば、大丈夫らしいのですが!

デービッドの選抜

ここは、私の展示会で定例のコーナーとなってきています。ただひとつ残念なのは、もっと早く始めなかったという事。それまで、展示会は自分の作品をお見せするのが目的と考えていましたが、自分のコレクションからのもっと古い作品も含めるようになったので、来場者にとっては、ずっと面白みが増したようです。20世紀に入ったばかりの頃にイギリス人によって、日本の技法で作られた素晴らしい木版画・今から200年以上前に作られたオリジナルの摺物・肉筆画を木版画にした明治時代の本・その他にも、優れた作品を展示しました。いらした人達の中には、私の作品よりも面白いと思われた方もあったでしょう。でもいいんです、そんな危険は重々承知です。こんなに美しい版画なのですから、皆さんにお見せしなくては!

ギャラリートーク

さて、どう報告したものでしょうか?去年と同じ難点があったのです。面白い話が山のようにあるので、どれも話したくなり、まるで自分の足に躓いて転んでしまったような具合でした。聞いている人達に分るような、筋の通った構成にするつもりではいたのですが!皆さんは、私のぎごちない話を辛抱強く聞いてくださっている様でしたが、もっと流れの良い進め方にするべきでした。1年に1度しかこのような話をする機会がないので、上達するはずがありませんよね。来年は、自分で話をする代わりに、収集家の中の何人かにお願いをして、パネル形式で話をするというのも良いかも知れません。皆さんは、デービッドに会うためだけではなく、実のある楽しい話を聞きにいらしているのですから。何か他に妙案がありましたら、いつでも連絡してください!

新シリーズ

今回の展示会で大切な項目のひとつに、近々始まる新シリーズへの反応を見る、という事がありました。それで私は、企画の内容(これについては他のページで書いています)を説明するちょっとした展示を試みました。幸いかなりの関心を引いて、会場で申し込みをする方が結構いらしたので、安心しました。現在のアルバムがまだ終わっていないにも関わらずです。

以上、全体としてみれば、今年も良い展示会であったと言えるでしょう。ここ数年、マスコミの注目度は低いままの状態ですから、初めて来場される人の数は多くありませんでした。それでも、6日間の会期中は、安定した人の流れがあったのです。いらした方達は、みなさん展示物を楽しんで御覧になっているようでしたし、1年に1度しかお目に掛れない方達とも再びお会いすることができました。そして、ちょっとの間作業台から暇を頂戴するという、おまけ付きでした!

さよなら高野

今ではもう、ギャラリー新宿高野以外の所で開催された私の恒例展示会を覚えておられる方など、ほとんどいらっしゃらないでしょう。連続12年、高野は私にとって1月の「ふるさと」でしたが、もう続けることができなくなりました。高野がギャラリーを閉鎖する事に決めてしまったからです。

都内で最初に開催する個展のため、ギャラリー案内の本を頼りに適当な場所を模索していた頃、私が高野ギャラリーを発見できたのは、とても幸運でした。ほとんどのギャラリーは、何年も前に予約を入れなければならないというのに、当時の私は何も知らず、数カ月後に控えた展示会の場所を探していたのです。

狭すぎたり薄暗い印象だったり、ほとんどのギャラリーは条件を満たさない何かがありました。ギャラリー高野は、私が参考にしていたギャラリーガイドには掲載されていませんでしたが、たまたま他を見に行く途中に偶然入り口を見つけ、中を覗いて見たのです。

私の展示会にはピッタリ、しかも、1月の初めという私の希望する期間が空いてました。ところが、1日8時間の使用料が10万円と聞いてびっくり仰天。自宅近くで個展をした時に支払った1週間分の費用の2倍近く、これがたったの1日分でしたから。

向こう見ずか否か、自分の持ち札を全部テーブルに投げ出す覚悟で、賭けてみることにしました。展示会を開く経験などほとんどなかったのですから、なにもかも不馴れです。訪れる人もまばらで、散々な初回となりました。でも、回を重ねる毎に面白みのある展示会を工夫できるようになり、人々の関心を引き付けながらギャラリー高野での成功を継続できるようになったのです。

ギャラリー高野閉鎖の知らせを受けてすぐ、貞子と私は新たな開催場所を求めて動き始めました。大都市東京ですが、私の要求を満たす場所となると、なかなかありません。毎年継続して使うことができ、場所が分かり易く、しかも希望する1月に使用できる所。

時には挫折感を味わいながら、ついに条件を満たす場所を見い出しました。すぐに来年(その後も継続の予定)の予約をし、私達は新宿から有楽町に移動することになったのです。次回の展示会は、JR有楽町駅のすぐ前にある交通会館のゴールドサロン[B1]で開催します。

今私は、この空間を使って魅力的な展示を考えています。この建物は、日比谷と銀座の中央に位置していますから、展示会にいらっしゃる時にはついでに済ませられる用事も多く、きっとその日を有効に使えるでしょう。

順調に進行すれば、ここでのおつき合いはきっと長期になることと思いますし、正直、強くそう願っています。場所捜しを繰り返すなど、もう当分したくないですから!

来年の1月は、♪有楽町で〜会いしましょう〜♪

次回のシリーズ

「摺物アルバム」を5年間続けてきた今、ちょっと休憩して別の事をする時期にいると思います。今までのアルバムで思う所を全て尽くした、などという意味ではありませんから、来年は再びこのシリーズに戻るでしょうが、それまでちょっと間隔を置いても困る人はいないでしょう、収集家の側にも、制作者である私の側にもです!

目新しさだけを求めているのではありません。収集家の方達はお分かりと思いますが、作品制作の遅れは重なるばかりで、予定表など名ばかりになっています。「1年に10作品」というペースを続けられなくなっているのです。こうしてこの記事を書いている2004年の初めですら、2003年度のアルバムは完成していません。きっと、もうひと月はかかる事でしょう。

そんな訳で、2004年の終わりには全作品を終えて、その翌年は通常の軌道に戻れるように、枚数の少ない集を考えたのです。私の恒例展示会は、数年先まで予約してありますから、毎年1月に開催するリズムを崩すなどという事は、まるで考えていません。今年の企画を1集4枚とすれば、2005年1月までにきっと完成させることができるはずです。

新企画のテーマを決めるのは、比較的簡単でした。収集家の方達から、「美人画をもっと」という声が多かった事もありますが、希望が多いので決めたというのではなく、私自身も興味があったからです。新企画について様々に思いを巡らしているうちに、この題が一番上の方に浮かび上がってきたのです。

ひとたび全体の構想(題と予定)が決まると、次には用いる4枚の絵を選ばなくてはなりません。選択の幅は膨大ですが、脈絡もなく選ぶのではなく、いくつかの条件を満たすようにしました。

  • 四季毎にふさわしい作品である事
  • 4枚が調和してひとつのまとまりとなる事
  • 制作面で、私が挑戦しなくてはならない要素のある事
  • 手に終えない程難しい作品ではない事
  • 収集家になる方達に魅力的である事
  • 経済と時間の面で、制作が可能である事
  • 時代の流れを年代順に追っている事

こんなに条件を付けてしまうと、作品を見付けるのは容易ではありません。でもやっと、全ての要素を満たす4枚を捜し出すことができました。最初の作品は、ここにある岳亭の絵です。彼の作品は、私の摺物アルバムには何度か加わっています。作られたのは江戸の中期ですが、平安時代の貴族の女性を画いていて、この集では春の作品となります。残りの3枚は、時代の順に進行し、

  • 夏:江戸時代の作品
  • 秋:明治時代の作品
  • ...そして冬に来るのは ... どの時代の物か、きっと想像できますね。

「四季の美人」についての詳細は、次のようになります。

  • 作品4枚(摺物アルバムよりも大きなサイズ)
  • 予約価格には、収納ケースとスリップカバーも含む
  • 1枚の価格は12,500円(国内は送料無料)
  • 岩野市兵衛氏の越前奉書
  • 彫と摺は、もちろんデービッド

5月初めには、この新企画に取りかかっているはずで、6月から順に、ほぼ2ヶ月の間隔を置いて4枚の版画を仕上げていきます。

新企画が、皆様に喜んで頂けますように!

月のきれいな夜

今年も、無事展示会を終えて自分達への御褒美旅行、行き先は私にとって初めての香港と決定した。デービッドは20年程前に一度行ったことがあるとか。「メッチャ活気のある、とにかく食べ物の美味しい所だから、行く前には胃の中を空にしておくと良いよ」とまで言われれば、食いしん坊の私は期待に胸を膨らませる。食べまくるぞ〜と、元気よく出掛けたのだが... 滞在中の食堂打率は?

私達はとにかく歩き回る。少しは電車も地下鉄も利用するが、歩くのが一向に苦にならないし、その方が地元の様子を確実に把握できるから楽しいのである。だから当然、お腹の虫が鳴き出す頃から食べる場所捜しを始めることになる。お目当ては観光客相手でなく地元の人が気軽に入るような所。

何度かの失敗を重ねたある昼時、思いきって入り口に人が列を作っている大きな大衆食堂を狙った。入り口にデンと構える女性は英語を話さない。手真似でふたりの席を要求し、手真似でそこまで席に案内してもらい、座ったまでは良かった。ところが、メニューは中国語だけ、しかも物凄い選択幅である。さて困った。「ここを出ようか」と半ば腰を浮かした時、相席のカップルがこちらを見て微笑んだ。簡単な英語を話してみるがキョトンとするどころか平気で中国語で返して来る。こっちが分ろうが分るまいがお構い無し。どうしよう、空腹を抱えて歩き回る元気もない。デービッドと私は、なりふり構わず全力投球でサイン言葉を駆使することにした。きっと二人とも、熱気を帯びて赤い顔になっていたことだろう。「私達のために何でも良いから注文してください。お腹がいっぱいになるだけの量を」と手真似のみならず顔の筋肉も縦横に使ってやってみた。

どうやら伝わったらしい。男性の方がうなずいてデービッドの手からメニューを受け取ると、じっくり考え4品ほど注文してくれた。あの時の嬉しかったこと。間もなくポットが運ばれてきた。茶碗に注ぐと白湯、あれれ?すぐに注文をしてくれた男性が飲み方を示してくれる。これは湯呑みを暖める為で、もう一方のポットにお茶が入っていた。飲むと黴のような臭い。「かびくさいよ、平気かな?」「平気だよ、みんな飲んでるもの」暫くして運ばれてきたのはすべて飲茶で、どれもとても美味しかった。プリプリのエビがコロコロ出て来る。ニコニコしながら満足げに食べていると、目の前の二人がこちらを見て微笑み「グ〜ド?」と聞いて来る。「Yes, グッドグッド」なんだかこっちの英語もおかしくなったが、御機嫌である。不思議なことに、食事を始めると、お茶の匂いはさほど気にならなくなった。きっとある種のお茶のくせだったのだろう。大満足で会計に並んだ。すると、支払った額は驚く程安かった。ストライク!

次も大ストライクの巻き。そこは、活気溢れる市場のど真ん中、珍しい食材の山から山に吸い寄せられて歩くうちに、昼時を過ぎてしまった。急きょ焦点を食堂に移行すると、家族経営風の小さな食堂が見付かった。直感を頼りに入ってみる。やはり英語はまるで通じないが、店の主人のさりげない振るまいが居心地良い。しかも品数が少ないので、漢字から予想して指差して注文した。自家製の熱あつ飲茶、大胆な青菜炒め、まあるく山盛りにして出された御飯、... どれもめっぽううまい!炊き方によって、こっちの米だってこんなに美味しくなるのだ。この安食堂での昼食が、旅行中で1番美味しかった。おまけにあっけに取られる程の値段!

実を言うと、ストライクはこの2本だけ。運動靴で入れる限り、白いテーブルクロスの掛かったレストランも試したが、残りはほとんど「アウト」。出されたお茶と漬け物が素晴らしく美味なので、出て来る料理に期待を膨らませると、拍子抜けだったり。でも、これが旅の愉しみってもん、アウトは甘辛い想い出となるのです。

格安ツアーは、帰国が朝の便。帰りの機内で出された朝食のパンにかぶりついたふたりは、顔を見合わせてニコッ!美味しいね。

ここのところ、このニュースレター発行に協力してくださっている方達の紹介がなおざりになっていました。「ハリファックスから羽村へ」を長年翻訳してくださっている土井昭美さんは、一体いつになったら羽村に辿り着くのかと思っているでしょうね。そして石崎貞子さんには、残りの部分の訳と写真もお願いしています。また今回は、収集家の宇田川武さんからたくさんの写真を送っていただき、その中の何枚かが紙面を飾っています。みなさんの協力、ありがとう!