デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」の一冊の内容です。
ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。
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春の終わり頃には、梅雨が来ないかのような気配でしたが、ついにやってきました。この文を書いている今、開け放してある窓の外では雨がしとしと降っていて、家中の何もかもが湿っぽくなっています。
私はちょっと前にバンクーバーから帰ってきたところです。恒例の家族集合のためにしばらく滞在してきたのですが、毎日素晴らしい好天に恵まれて傘を使うチャンスは一度もなかったほどです。ほとんどは両親の家でおしゃべりをして楽しく過ごしましたが、孫のアレックスとの貴重な時間も多少なりとも得られました。
今回は、新企画の「自然の中に心を遊ばせて」第1作を御紹介できるので、とても嬉しく思っています。まだ予約をなさっておられない方は、ぜひ御覧になって内容をお確かめください。
最後は、いつものように「貞子のコーナー」で締めくくります。では、暫しの間この冊子をお楽しみください。
日本にやってきて最初の数年間は、仕事と家族のことでとても忙しく、外国に住む両親を訪ねることはなかなかできませんでした。私の時間に追われる暮らしは今も相変わらずですが、気ままな一人暮らしをしているので、ここ数年は毎夏カナダに飛んで家族と一緒の時間を過ごすようにしています。ドイツに住む弟と予定を合わせ、彼は東(ドイツ)から私は西(日本)から、地球を回ってバンクーバーに集合しました。
私が着く2週間前に、長女の日実一家はルーマニアから戻ったばかりでした。妹のシェリーはバンクーバーに住んでいますし、次女の富実は地元の大学に通っているということで、1人も欠けることなく家族全員大集合でした。
孫のアレックスは、一人歩きができる直前の段階です。前ページの写真は、みんながサイモンおじさんの料理を楽しんでいる時に、まだ支えが必要なアレックスが富実おばさんにつかまって立っているところです。近頃タイに行く事の多いサイモンは、毎年タイ料理を振る舞ってくれるのですが、今年の「ライムチキン」は今までで最高でした!
左の写真は、チビがおじいちゃんとひいおじいちゃんと一緒のところです。こうしていても、自分が祖父になったという感じはあまり強くありません。アレックスがもっと近くに住んでいて頻繁に会えるようだと違うのでしょうが、1年に1週間だけの出会いでは、どうしても実感がわかないようです。
「おじいさん」という言葉で思い出したのですが、バンクーバー最後の日にちょっとしたショックを感じました。空港へ向う前に、例によって大勢で朝食を食べに行ってメニューを見ていると、「シニア」用の献立が載っている特別ページがあったのです。そこには、55歳以上の人が該当すると書かれていて、自分がその範囲に含まらていました!
日本でも、貞子と私が映画に行くと割引を受けることがありますが、「シニア」という名称の中に自分が含まれて別扱いされる経験は初めてのことだったのです。え、そのページから注文したか、ですか?え〜と、はいしました。他のページにあるメニューの写真を見ると、どれも山盛りの量で私には食べきれそうもなく、シニア用は自分にぴったりだったのです。ちょっぴり溜息が出ましたが、事実ですからしかたありませんね。
家族全員とても楽しい一週間をすごした後、サイモンと私はそれぞれの家に海を越えて戻ったのですが、私達が帰る直前、両親を説得して彼らのパソコンを新しい機種に変えることに成功しました。御陰で両親は、iMacを使ってテレビ電話ができるようになりました。私は帰国後すぐに試してみましたが、ここ青梅の自宅で遥かバンクーバーに暮らす家族と顔を見ながら話ができるのは素晴らしい事です。アレックスには、家族と完全に離ればなれで暮らす事がどんなものかを知るチャンスはないことでしょう。
ここ数ヶ月の間に、ずいぶんたくさんのEメールや電話を頂戴しました。どうやら収集家のみな様に、私がまだ版画を続けているのか心配させてしまったようです。もちろん続けております!今回のシリーズはなかなか手強い企画なので、ちょっと時間がかかりました。第1作(川の夏)は、随筆も版画もできあがって、そろそろ収集家のお手元に届いた頃です。
前回のニュースレターでこの企画についてお読みにならなかった方は、ここに簡単な説明がありますので参考になさってください。
今回は2年間のシリーズで、作品は12枚になります。それぞれが章を構成していて、完成すると1冊のまとまった書物のような形態となります。それぞれの章は印刷された文章が和綴じされ、中に版画挿入されています。作品はすべてデービッドのオリジナルで、自宅からあまり遠くない静かで自然に囲まれた風景がテーマです。川辺と森と海岸の3つの美しい場所を選んで、それぞれの場所へ四季毎に訪れます。
簡単なキャンプ用具を携えて行き、それぞれの場所で静かに24時間過ごし、そこで見るもの考えることを、文で綴り版画で表現します。
シリーズ最初の作品への反応は上々で、現在は第2作目の「森の秋」に没頭しているところです。自宅近くの森で見る深夜の月光を描写する計画ですが、私にとってはかなりの難題です。
まだ予約をしていない読者の方は、どうか収集に参加してみてください。価格は 8,000円+400円(消費税)+390円(送料) と手頃ですし、作品が届くのはひと月おきですから、比較的安価と言えると思います。実情を申しますと、この企画を継続するためには、もう少し多くの方たちに参加をお願いしなくてはならないのです。ですから、興味を持たれた方はぜひ参加の連絡をお願いします。すぐに最初の作品をお送りし、以後2ヶ月毎に次の作品をお届けします。
では、連絡をお待ちしております!
制本の工程
この和綴じ本は、もちろん完全に手作りです。私は貞子の協力を得て英語版と日本語版の随筆を完成させると、それを自宅で印刷して市川さんに渡します。彼女は、私が考案して作ったジグなどの器具を使って綴じてゆきます。
材料は全て良い品質の物を選んであり、特に綴じ糸は純絹を近くの藍染め工房で染めていただきました。購入された方々の御家族が末永く楽しむことのできる作品を目指して、高品質の作品作りに全力を尽くしました。
近頃は、月に数回しか電車に乗ることがない。だから、単調な揺れに体を委ねながら周囲の人を観察するのが面白い。ここ数年目立つのは、車内でお化粧をする女性である。コンパクトな鏡をハンドバックの上に器用に立てかけて、マスカラはおろか「付けまつ毛」すら付けてしまう人がいる。かと思えば、簡単に化粧を済ませておにぎりを食べ始める女性を見た事もある。もちろん私はジロジロ見たりしない。「見知らぬ人をじっと見たりしちゃだめよ。失礼だからね」と母に厳しく躾けられて育っているから、広げた本を読んでいるふりをして盗み見た。そして、本に顔を埋めながら考えてみた。
化粧や多少の飲食は、ほとんど周囲に迷惑をかけない。ひとりでふたり分の座席を占拠するわけじゃなし、大音量がヘッドホンから漏れて不快な振動音をまき散らすこともない、鼻くそをほじるオッさんよりもずうっとましである。なら、彼女たちの行為は、一人分の座席の範囲内で多少の芳香をまき散らす程度のご愛嬌として許せるのだろうか。何がいけない?
こう考えてくると浮かんでくるのは「羞恥心」という言葉である。彼女たちにとっては、スッピンで職場に着くことの方が、車内で化粧をするよりも恥ずかしいことなのかも知れず、車内にいる知らない人達の目など羞恥を感じる対象ではないのだ。車内で確保した座席は、自宅の延長なのだろう。もしかしたら、20年近くも前に買ったリネンのブラウスを平然と着ている私の方こそ「ハッズカシイおばさん」と見られているのかも知れない。
こんな風に考え出したのは、近頃言葉の難しさを意識することが多いからだろう。言葉は、各人の生きてきた背景や価値観に深く裏打ちされて使われるため、意志の疎通を阻むことがあるからだ。水掛け論はその典型かもしれない。
それにしても、車内で化粧に励む女の子と面と向って会話をするはめにでもなったら、自分はどう切り込むのだろうか。 ページをめくる事なく本に顔を埋めながらそんな状況を思い浮かべていると、飽きる事がない。
さて、件のデービッドだが、書くことに関するエネルギーは枯れる事がない。それで私は、自分の力不足に辟易しながら、彼の書いた文を自国の言葉に置き換える作業にせっせと励む。だが、どうにも納得できず訳せない文に出くわすことがある。そんな時、私は鍵となる単語の背景を求めてデービッドと雑談を始め、私達の解釈の「ずれ」を見つけようとする。ここが作業の中で最も楽しい、と同時に一番厄介で根の入る部分でもある。
言葉は、その国の文化的背景を背負っているだけでなく、使われる度に個人の価値観や主観までも着せられて、紙に記され空中を舞う。大切にしたいものである!
第19回展示会
日時:2008年1月20日(日)〜26日(土)
午前 11:00 〜 午後 7:00(最終日は6時)
ギャラリートーク:20日 午後 2:00より
住所:東京都千代田区有楽町東京交通会館
地下1階ゴールドサロン