デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」の一冊の内容です。

ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。

41号から最新号まで

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'Hyakunin Issho'
Newsletter for fans of David Bull's printmaking activities
Winter : 2006

冬号のお届けです。今回は、越し方行く末を見つめてみます!

「越し方」という面では、かつて頻繁に掲載していた「職人を訪ねて」のコーナーを再開します。また、新年号なので、昨年中にどのようなメディアに取り上げられたかをご紹介します。

「行く末」に関しては、もちろん新企画の紹介です。ちょうど去年の今頃、1年間に一作だけに取組むと宣言してみなさんを驚かせました。でも、次の企画に関してお読みになったら、もっと驚く事請け合いです!

メデアより2006年

2006年中には、随分いろいろな方面から、ちょこちょこと取材を受けました。テレビ出演と新聞記事は一回ずつでしたが、いくつかの雑誌に取り上げられましたし、国際ラジオ放送にも出演し、新方式の宣伝用DVDにもちょっと私のことが入っていたりしたので、まずまずといったところでしょう。その一部をご紹介すると...

The Big Issue, February 2006

世界中で出版されている雑誌ですが、日本版ができたのはまだ最近のことです。ホームレスの人達が駅前で販売することで収入を得られるようになっています。連載記事のひとつに、伝統工芸の分野で仕事をしている人達の紹介があり、私がそのひとりとして取り上げられました。 抜粋:「デービッドさんが木版画を復刻し続けるのは、それが伝統だからではなく、ただ美しいから。」


雑誌:農林年金 -- 2006年12月号

農業組合が、年金を受けている人達向けに刊行している雑誌です。年末に百人一首の特集をしたので、私の百人一首作品に関しての説明を写真入りで2ページにわたって掲載してくれました。 抜粋:(百人一首の中で)一番好きな作品はどれですか? デービッド:それは答えられません。だって考えてみてください。あなたの子供がいたら、どの子が好きかなんて答えられないでしょ?


雑誌:国際人流 -- 2006年12月号

この雑誌の編集者が電話をしてきて、話したいことがあると切り出したときには、ちょっと緊張しました。入管協会が出版しているので、私の滞在ビザに関する書類に不備でもあったのかという心配が頭を過ったからです!幸い、不要の心配でした。日本文化に溶け込んでいる外国人を毎月の記事の中に特集したいので、インタビューをしたいという用件でした! 抜粋:「残念ながら、今の日本人の大半は、当の版画職人の一部も含めて、版画の本当の美しさを忘れてしまっているのではないかと思います。この美しさを紹介していくことが、今後の私の仕事ではないかと、今では考えています。」


Plum News, 春 2006

6年前まで住んでいた羽村市では、かなり知られた存在でしたが、現在住んでいる青梅では、私がどんなことをしている人物かを知る人はあまりいません。羽村では、娘達と一緒に地域の活動にしょっちゅう参加していたので、これが主な理由だったのでしょう。でも、今年の初めに青梅市民向けの冊子へのインタビューを申し込んできたのですから、事態は変化してきて...。 抜粋:「ブルさんは、「繊細な線の彫り、微妙な色、美しい和紙、...。江戸から明治に掛けての日本の木版画技術は世界最高です」と言う。」


読売新聞 -- 2006年9月28日

「百人一首の版画で『大人の塗り絵』」 秋に私の塗り絵本が発売され、それが読売新聞に紹介されました。 抜粋:「ブルさんの作品の輪郭を墨刷りにしたもので、購入者が好みの色を塗って楽しむ。」

Japan Times, November 2006

左の塗り絵本を持っている写真だけが掲載されました。跡見女学園で展示された私の百人一首全作の前で、撮影されています。

Message to Japan, NHK Radio, January 2006

NHKの国際放送局が、外国向けに英語で放送している番組への出演依頼だったので、快く受けました。美術作品に関してラジオを通して語るのはかなり難しかったのですが、自分の仕事について英語で話せる機会はそうあるものではありません!

Enjoy Japan - CodeNEO DVD Magazine, May 2006

DVD雑誌という新種のメディアに取り上げられた、初めての経験でした。内容は、従来の印刷された雑誌と似たようなもので、宣伝と記事の両方があります。この回のテーマ「エンジョイ・ジャパン」に、私が取り上げられました!

関口宏の「日本を探しに行こう」

「吉報」... 日本の伝統工芸に従事している外国人を特集した2時間番組だったこと。
「凶報」... 私が出演したのは、たったの2分だけ!
ともあれ、私たちがしている事に世の中の人達がまだまだ関心を持っているのは、嬉しいかぎりです。

さあ、今年はどうなることでしょう。

沼辺伸吉さん

このニュースレターを始めた頃には、年に何回も版画に関わる職人達を訪ねて紹介したものでした。彫師や摺師だけでなく、道具や材料を提供して、いわば舞台裏で貢献する人達も訪問しています。

でも最近は、その流れを途絶えさせていたようです。おそらく、職人を訪ねて仕事に関する助言を求める必要がだんだん減ってきたからでしょう。でも、「木版館」という出版事業を始めたので、他の職人達と会う機会が再び増え、このコーナーを復活させる手頃なきっかけとなりました。

今までここに取り上げてきた職人達はみんな、私よりかなり年長でしたが、今回はその点では釣り合いの取れた人選です。誕生日がほんのふた月しか違わない、私と同世代の職人です。

沼辺伸吉さんがどうして木版画に興味を持つようになったのかを聞いていると、ハッと気付くことがありました。私の経験とそっくりなんです!私の場合は、カナダでとある通りを歩いている時にたまたま飾ってあった版画に出会ったのですが、彼の場合も、ちょっと買物をしようと立ち寄ったデパートに版画が展示してあったというのです。ふたりとも、その時の出会いで人生の方向が変わっています。

沼辺さんは、版画と偶然出会う以前に美術専門学校で2年間勉強していました。当然のことながら、その分野で生計を立てることはおよそ困難でした。そんな折に彼がデパートで見たものは、新らしい世界への扉を開いたのです。なぜなら、木版画が展示されていただけではなく、実演をする職人がそこにいたからです。私自身、実演の経験はたくさんありますから、その日にどんなことが起きたか、容易く想像ができます。実演をしていると、1分かそこらの間見てすぐにぶらぶら歩き去ってしまう人がほとんど。ちょっとばかり長く見ている人が数人はいるものの、その人達もすぐにふらりと行ってしまいます。ところが、やってきて立ち止まり、ちょっと見た後に去ろうとして思い留まり、今度はちょっと長いこと見ていて、それが長くなる。そんな人が 時折いるのです。注意を引く何かがあるのかもしれません。軽やかで流れるような職人の動作に見とれたのか、紙に付いた色が魅力的だったのか、あるいは単純な工程から素晴らしい結果が生み出されるという対照的なところが、まるで手品みたいに好奇心をそそられたのかもしれません。

いずれにしろ、沼辺さんはそこで釘付けになってしまったのです。その日実演をしていた摺師の中条さんは、彼にしばらく訓練を積むことのできる工房を紹介してくれました。沼辺さんは、しばらくそこで勉強し、腰を据えてやって行く気のあることが認められてから、中条さんの弟子としてさらに腕を磨くことになりました。摺りを学ぶ初期の段階では、生活できるほどの仕事はできません。ですから沼辺さんは、腕に力を付けながら様々なアルバイトをしました。誰かに言われてこの業界に入ったのではなく自分で選んだ道ですから、上達は早く、自立できるまで長くはかかりませんでした。そして現在は、東京で屈指の摺師のひとりとなっています。

私達ふたりの大きな違いは、自分の選んだ仕事だけをしている私に対し、沼辺さんは「雇われ摺師」という立場をとっているため、あらゆる種類の木版画をおびただしい量こなして経験を積み重ねてきているという点です。伝統的なものや現代風のもの、小さいもの大きなもの、単純なものも複雑なものもと... 加えて、中条さんやその後の小松さんといった摺師と台を並べて仕事ができたため、経験豊かな人たちから学び吸収できるという好機に恵まれていました。彼の蓄積した技術は、私よりもはるかに幅が広いので、彼の作業場に行くといつも自分の仕事の役に立つ何かを学んできます。(かといって、いつも一方通行ではありません。私なりに独自に開発した多岐にわたる技法もいろいろとあるので、ふたりが会うといつも様々な技術を分かち合うのです。)

沼辺さんが今まで摺台から送り出してきた作品には、ほとんど彼の名前が入っていません。版元が一組の版木を彼に送ると、それを取り出して摺る。もちろん作品に彼の名前はなく、出来上がりを版元が販売することになります。でも、木版館の企画で彼に摺を依頼する場合は、出来上がった版画のどこかに(余白があれば)職人の名前を入れたいと考えています。もちろん彼はそんなことを要求しませんが、この案に反対もしていません。私同様、彼だって控えめながら自分の仕事に誇りをもっていると思うのです。そして、余白に彼の名前があれば、その作品の出来を明示することになる、と私は考えたいのです。

もしもみなさんが、木版館の摺に関して私達が価格交渉をしているの聞いたとしたら、きっと呆れることでしょう。版元ができるだけ摺の工賃を安くしようとし、摺師はできるだけたくさん要求しようとする、そんな予想を裏切って、双方が相手の立場を優先しているからです。事は逆で、自分の側を安くしようとしているのですから!私は、彼の仕事に満足で、事業を成功させるために不可欠な人材と受け止めています。彼の方も、力を発揮するために版元は必要ですし、喜んで仕事をしてくれています。

最近町で目にする真新しい版画を見れば、ほとんどが私達とは異なる仕方で作られていることが分ります。「価格を押さえる」という名目のために、より安い紙で手早く荒っぽい作り方をしているのです。沼辺さんと私は、そんな無駄な事をするために力量を積み上げてきたのではありません。私達は、円やドルを得るためでなく、ひたすら美しい版画を自分たちの摺台から生み出してゆくという喜びを求めているのです。金は天下の回りもの、なんとかなると...

彼も私も55歳、バレンを握るのを諦める日が来るまでには、まだまだたくさんの優れた作品を作る時間があるはずです。末永く沼辺さんと一緒に仕事を続けられますように!

新企画

私の家族が「古き良き昔」を話題にすると、母が飽きる事なく話し始めるお決まりのエピソードがいくつかあります。それは、彼女の子供達についてです。よちよち歩きの弟が高い梯子に登ってしまったっこと、妹がどんな風に赤ちゃん用の服を猫に着せて乳母車に乗せて歩き回っていたか。私の順番になると、4歳の時にロンドンの準備学校に行っていたことを、とても懐かしそうに話します。地下鉄でふた駅のところにあったのですが、毎朝ひとりで行ったとか。彼女によれば、「自分でしたいんだよ」と言い張ったそうです。

「自分で」したがるのは、なにも私に限ったことではありません。たとえば、こんな定番のジョークがあります。男なら絶対に道を尋ねない、なぜなら「自分で」探し当てたいから。それにしても、私の場合は、かなり強力な「菌」に冒されていると思います。版画を制作し初めのころ、もっと素直に助言を求めていれば、はるかに良い結果が得られていただろうと思えることが何度もありました。後悔する回数もぐんと少なかったはずです。それでも私は、「自分で」やってみたいのです。

さあ、ここまで前置きがあれば、私の企てが想像できることでしょう。ほぼ20年間というもの、私は他の人達がデザインした絵をたくさん復刻してきました。版画は全て自分で出版し、制作工程においては、どの版木にある線も全て自分で彫り、どの色も全て自分で和紙に摺ってきました。でも絵だけは、すでにある作品の中から選んできたのです。そう、次回のシリーズは、「自分で」なし遂げるつもり、デービッドオリジナルの作品集となります。

私の案をお伝えしましょう。もちろん版画集ですが、今までとは大きな違いがあって、集める方達には2倍の楽しみとなる特典があります。それは、毎回版画と一緒に1話の随筆があり、それが各章となって、最終的には一冊の本となります。版画は随筆の場面を反映し、随筆は版画に深みと背景を加えるという、対の魅力があります。

題:「自然の中に心を遊ばせて」

私は、子供のころからハイキングやキャンピングといったアウトドアーライフを楽しんできました。最近は自宅のある青梅周辺を開拓し、比較的手軽に出かけられる場所を3カ所見つけました。静かな川辺、森の中、そしてちょっと離れていますが、開発を逃れた海辺の一角です。キャンピング用具一式にノートとスケッチブックを携えて、自然の中で静かに時を過ごすデービッド。私とその時を分かち合えるのが、この版画と冊子のシリーズです。

版画は、それぞれの季節と場所でスケッチした絵を元に、全12作品になります。ですから、1年間の企画には持って来いのようですが、ひと月に1作品を制作するのは時間的にも労力的にも無理なので、2ヶ月に1作ずつとなります。2007年の初夏に始まり、2009年の春に完成の予定です。

さて、どんな版画集になることでしょう?季節毎、様々な天候の下での日本の自然の美しさをご想像下さい。ところで話の内容は?私が書いたものを読んだことのある方は、予想なさるかもしれませんね。話の流れがどのような方向に行くのかは、まるで当てにできません。川辺に座って頭上に鳥を見つけたら、その鳥と一緒に話も自由に大空を飛び回ってしまうことでしょう。とはいっても、全体としてのテーマは自然の風景です。3500万人の人が住む首都圏にも、静かな自然が残されています。その自然を、3500万人みんなが楽しめるはずなのです。銀色の海のかなたに満月がぽっかり浮き上がるのを、鷹が急降下して魚を取る瞬間を、冬の早朝に雪の毛布をかぶった魅惑的な森の景色をテントの中から覗くことを...

企画の詳細

版画と冊子は、回ごとに和綴じ本の形でお送りします。随筆は、毎回ひとつのまとまりを持った内容になっていますが、共通のテーマで12話が繋がるようになっています。(すべて日本語と英語のバイリンガル)。各版画(随筆込み):8,000円(2ヶ月おきに配布、2年間で12枚/册) 本を収める箱は、全12冊の容積がはっきりした時点であつらえ、御希望を承ります。

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もう何年も、こんな作品集を作ってみたらどうか、作って欲しい、という要望をたくさんの収集家の方たちから受けてきましたが、いつも受け付けませんでした。長年慣れ親しんできた彫刻刀やバレンといった道具の陰に隠れて、そんな思いつきはきっぱりと拒んできたのです。これから書くことは、ちょっと矛盾することになるかもしれません。大きな掛軸を制作するのに四苦八苦しているのに、最近の自分の仕事にかなり自己満足している嫌いがある。毎日地下の仕事場へ向うときには、自分がどんな仕事をするのか、そしてそれをどうすれば良いのか承知している。飽きて来たなどということは微塵もなく、飽きると言うには難しすぎるほどの仕事をしている。でも、ある種の「慣れた繰り返し」があるのは事実なのです。

ちょうど20年前、私はカナダの楽器店で働いていました。手際よく仕事をこなし満足もしていたのですが、決まった繰り返しがほとんどだったのです。それで、みなさんがご存知のように、会社へ辞表を提出し、家族を連れて他国へ移り住み、一から出直しました。今回はそれほど、ドラマチックな転回にはなりません。長年続けてきたように版画を作り続け、この手で彫って摺った版画だけを、待っておられる収集家のもとにお送りする事でしょう。唯一違ってくるのは、毎回の作品に取り掛かるとき、何も書いてない空白の紙に直面するという点です。

先週、このの企画について娘達に話してみました。すると面白いことに、ふたりの返事はこんな風だったのです。
「見るのが楽しみだわ!」
「どうなっちゃうのかしら、パパったら...」

私がうまくやり遂げられるかどうかについて、私の「ファンクラブ」の意見は、真っ二つに割れたようです。これをお読みのみなさんが、「見るのが楽しみ」の方を採用して、この企画に参加してくださるように願っております。私の次なる冒険への協力に感謝!

旅の楽しみー上海編

初めてデービッドと一緒に国外に出たのはいつだったろうか。それは確か10年以上も前の事、娘さん達に会う為にバンクーバーへ行ったときだったと思う。「旅慣れた人」と言えば聞こえがいいが、国際線に乗るのにサンダル(靴ではない)履きでやってきたのには驚いた。

搭乗券もパスポートも胸のシャツポケットに突っ込んで、チェックインも手荷物検査もす〜いすい、 まるでちょいとバスにでも乗るような雰囲気である。出だしがこんなであるから、何事に付け緊張体質の私にとって、彼と一緒の旅はいつもタノシイ。

今回の目的地は上海、年の暮れも間近なのに掛軸を表装してくれる場所を見つけようと、まるで雲をつかむような旅に出た。中国語は皆目わからず、漠然と蘇州近辺で見つかるはず、ただそれだけの理由しかない。用件はすべてメモ用紙に文を書いてそれを差し出す、あとはジェスチャーのみ。気の重い私と、ワクワクして目を爛々と輝かすデービッド、顔を見合わせて「レッツラゴー」!

今回は、初っぱなから私は震え上がった。夜の7時過ぎにホテルに着き、近くを散歩しようと言うのだ。ま、ここまではいい。が、ホテル脇の通りを歩き始めると、物乞いがせっついてくる。どこかで拾った紙コップを差し出し「マニーマニー」とねだるのみならず、デービッドの袖を引っ張りながら付いて来る。気味の悪い老婆がふたり、そのあとは老爺と続いた。狭い道路に車が駐車しているし、がらの悪そうな兄ちゃんたちが道にたむろしている。デービッドの腕にしがみつき、ホテルに戻りたいと懇願するが、好奇心の塊は聞く耳を持たない。一人で帰ることもできず、結局ホテルのあるブロックを震えながら一周することになった。

と書いて来ると、いかにもデービッドが無謀なヤツで可愛そうなのは私みたいだが、あいにくこれは、未知の土地に降り立ったふたりが、まるで違うものを見ていたからだった。というよりも、私に見えなかったものがデービッドに見えていたという方が正しいだろう。文化が違えば人々の振る舞いも異なる。大声を出しているからといって別にけんかをしているわけではないし、遠慮なくじろじろ見るのも別に悪気があってのことではないらしい。滞在中に出くわしたたくさんの物乞いは、職業と言ってもいいようなもので、人に危害を加えることはない。もちろん質の悪い客引きもいるが、それはどこの国でも同じ事。状況が分ってくるにつれ、私はすっかり場慣れしていき、24時間後にはなんと、同じ通りに勇んで出かけ、手頃な価格で美味しい鍋物を食べさせる店を見付けて堂々と入っていったのである。

こうしてたちまちのうちに6日間が過ぎた。最終日の朝、上海空港で帰国便の搭乗待ちをしながら、自分たちの旅を振り返ってみれば、運良く表装してくれる人たちが見つかり、観光だってできたじゃないか。もしも又行こうと誘われたら、きっとふたつ返事でオーケーすることだろうと私が考えていた、ちょうどそのとき、急にデービッドが静かになった。そして暫くすると、ぽつんとこう言ったのだ。「実を言うと最初の夜ね、散歩からホテルに戻ったら、君さ、真っ先に旅行会社に電話するかと思ったんだ。翌朝一番の日本行き飛行機を予約しちゃうのかってね。」