デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」の一冊の内容です。

ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。

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'Hyakunin Issho'
Newsletter for fans of David Bull's printmaking activities
Spring : 2005

ここ青梅に、再び春が巡ってきました...やっとです。今年の冬は寒かったですから。でも、人にこの話をすると、特に寒いということはなかったというのです。とすると、私が年を取って、寒さに弱くなったのでしょうか。もしもそうなら、自宅の断熱について真剣に考えなくては!

今回は春号ですから、例によって展示会レポート、それに、連載となっている「デービッドの選抜き」も継続しています。展示会に来られた方はもうお読みになっれおられるでしょうが、私は、その機会のなかった方達にもご紹介したいのです。

そして、写真をご覧ください。「版画玉手箱」のケースを作っている秘密工場で撮影した特ダネのスナップ写真です!わかりますよね — 展示会前に我が家に集合した家族が、手伝わされているのです!

展示会報告

私が初めて展示会をした時、飾り付けの日は大混乱でした。「百人一首シリーズ」を始めて1年が過ぎた時で、今から16年前のことです。当時は羽村に住んでいて、その自宅からあまり遠くないところにある小さな貸店舗を、無料で使っても良いという申し出があり、喜んでそれを受けました。そして初日、10枚の版画を飾り付けようと、ちょっと早めに行くと、大家さんは部屋を片付けておくことをすっかり忘れていました。箱や椅子やテーブルがごちゃごちゃしていて、部屋の中央にはオートバイまであり、床にはオイルが垂れていたのです。さあ、11時のオープンまでになんとか体裁を整えなくてはなりません。それからの数時間、私がいかに奮闘したかは容易に想像できますよね!

今年は、オートバイこそないものの、あの時を思わせるような時間との戦いでした。交通会館は、夜間に準備することを許可しません。ですから、11時の会場までの2時間半程で、会場設定をすべてしなくてはなりませんでした。幸い今回は、自分ひとりでなにもかもしなくてはならなかったあの時と違い、たくさんの助太刀がいたのです。総勢10人が、梱包を解き、展示台を組み立て、壁へ展示物を貼付けるために画鋲を打ち、もうコマネズミのように働きました。早朝から集まって奉仕してくれた友人達に、感謝感謝です!会館時間ぎりぎりに作業を完了したのですから、ひとりでも欠けていたら、間に合わなかったでしょう。

過去のニュースレターを取り出し「展示会報告」を見ると、近頃は「今年はマスコミに注目されなくて...」と、毎年のように書いています。「百人一首シリーズ」を制作している頃は、いつもたくさんの紹介記事が書かれていたのですが、この大プロジェクトが完成すると、私の展示会など報道価値がない、と思われるようになってしまいました。(お陰で、特別だったのは自分ではなく百人一首だった、と気付いたのですが!)

そして今年も違わず、私の展示会についての記事はほとんどありませんでした。それで、私はめそめそしていたでしょうか。いいえ、ちっとも!予期していた通り、たくさんの収集家の方達が来てくださいましたし、皆さんが友人や知人に展示会の事を連絡して下さっていたのです。実際、6年前の百人一首シリーズを完成した時以来の賑わいでした。

新しいギャラリー

展示会場を交通会館に移動したのは、新宿高野ギャラリーが閉鎖するので止むを得えなかったからですが、結果としてとても良かったようです。床面積はほとんど変わりませんが、壁の面積が幾分広くなっています。また、会場がふたつの部屋に分かれているので、とても便利でした。それぞれの部屋を違う明るさにして、照明効果を狙うことができましたし、奥の部屋でギャラリートークをしている間は、話を聞かないお客様達が、もう一方の部屋にある作品を鑑賞することができたのです。

初めての会場で勝手が良く分からず、基本的には今までと同じ展示方法にしてみましたが、もう感覚がつかめたので、次回はいろいろ案を練ってみたいと思っています。展示準備のボランティアさん達、待機していてくださいね!

ギャラリートーク

交通会館は、日曜から1週間単位で会場を貸すシステムになっています。それで、今年は初日にギャラリートークをする事になりました。つまり、非常に忙しい一日になるということです。朝早くからの会場準備とギャラリートーク、このふたつが、今まで一番混雑している日曜日にぶつかるのです。ですから、自分の出番が来た時には、くたくたになってしまい、上手に話ができないのではないかと心配でした。過去2回のトークは、お世辞にもうまいとは言えなかったことを自覚していたので、今回こそはバッチリ「ホームラン」と決めたかったのに!

そして結果は、「場外ホームラン」とまでは言えませんが、今までよりずっと上出来でした。とてもくつろいで話を続けられましたし、話題があちこち飛びすぎることもなく、座ったまま眠りこける人もいませんでした。いつもより面白くなった理由のひとつは、聞いている人達からの飛び入りがあったからです。漫画家の山田玲司さんは、私についての話を雑誌に書く(描く)事になっていて、出版前の原稿の一部を見せてくださり、松山静子さんは、私の作品のひとつを使って、自分の書と組み合わせた巻物を広げて説明してくださり、そして佐藤允昭さんは、今まで私がお送りした年賀状や手紙すべてを、分厚いアルバムにしたものを持参して見せてくださいました。こういった参加を、もっと皆さんにお願いすると良いですね — 来年のギャラリートークで私のする事は、手持ちの品を持参して話をしてくださる方々を、紹介するだけになるかもしれませんね!

新シリーズについて

毎年、展示会をする度に、ちょっとした矛盾に悩みます。完成したばかりの作品を飾ってお見せするのが、開催の名目ですから、今年ならば「四季の美人」がその主な内容になるはずです。でも私としては、それらは終わったもので、すでに興味は薄らいでいるのです。そして、最も話題にしたいのはいつも、目前にあるシリーズ — 今年ならば「版画玉手箱」 — です。

今年は、この気持ちをなんとか組み入れる事ができました。見本を展示しておいたところ、2週毎に新しい版画を受け取るという案に、興味を示す方が多かったので、とても嬉しくなりました。それなりの注文数もあり、今年もなんとか仕事を続けていけそうです。たくさんの方が、そんなに窮屈な予定を立てて大丈夫なのかと心配してくださったのですが、私なりに十分慎重に計算して、なんとかなると考えています。この記事を書いている現在、すでに6枚が発送されていますし、こうして頻繁に締め切りのある方が、仕事への集中を維持し易いのです。(そんなものがなくても、同じかも知れませんがね!)

こうして振り返ってみると、とても良い展示会でした。交通会館と末永く良い関係を築いて行きたいものです。高野ギャラリーには、連続12年間お世話になりましたが、ここ新天地ではどのような連続ヒットを打っていけるのか、とても楽しみです。では、来年も同じ場所でお会いしましょう!

デービッドの選抜き

今年の展示会で「デービッドの選抜き」に展示した中から、続けてふたつを選びました。

  • 種類:「立板古」(錦絵のなかに描き込まれた人や家などの絵を切り抜いて、糊で貼り合わせて芝居の舞台などを台紙の上に作り上げる、江戸時代の夏の遊び)
  • 制作年:明治33年
  • 出版:東京良好堂
  • 入手:神田神保町の古本屋
  • 価格:31,500円(ばかげた値段ですが、今回の展示会用に欲しかったのです!)

切り貼りをして、絵を立体的に組み立てられる版画、これを初めて見た時には、とても驚きました。自分が子供の頃に遊んだのと同じ類いのおもちゃが日本にもあったことを知ったためですが、それだけでなく、こんなに古くから存在していたからです!

自分の持っていた、このタイプのおもちゃはどんな物だったでしょうか、なかなか思い出せません。(とっても昔のことですから!)弟と組み立てたのは、鎧を付けた騎士のいる古いお城だったような...。これは、歌舞伎で演じられる「曽我十番」からの場面で、全体を見ると、日本の子供達も私達と同じような物に興味を持っていたようです。芝居と戦いの場面です!

実際に組み立てたものを、展示会場に展示したら面白いのでは、と考えたのですが、私にはこれで遊ぶ時間がありません。でも幸い、両親と弟が海を越えて展示会のために手伝いに来てくれたので、もとの版画をカラーコピーしたものを使って、それを切ったり貼ったりして作ってもらうことにしました。日本にやって来て、こんな作業をするとは、夢にも思わなかったことでしょう!

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  • 題:ポチ袋
  • 制作年:明治33年

「こんな平凡な物を版画展に飾るなんて」と思う方がいらっしゃるかも知れませんが、私はそう思いません!こういった物があるからこそ、「デービッドの選抜きコーナー」が作れるのです。私が伝えたいのは、かつて木版画は日常生活の一部であった、ということだけでなく、いかにきれいで味のある物が使われていたか、ということです。

ポチ袋は、お金を包むという目的で、ごく日常的に使われました。日本では、御礼などでお金を渡す折には、何かに包むのが礼儀だったので、たくさんの種類の包みが店先に並んでいたはずです。

こんな小さな物に私が魅力を感じる主だった理由のひとつは、当時の版画職人達が、これほどまでに高度な技術を持続できた、ということに目を見張るからです。何といっても単調な仕事、何千という枚数を摺るのは、それこそロボットのような作業です。それなのに、こんなに繊細な仕事をしているのですから!近い将来 ─ それもあまり遠い日のことではなく ─ こういった版画は美術館に展示されるようになることでしょう。もしも思い通りになっていれば(財源なども含めて)、「デービッドの選抜き美術館」がもう会館しているはずなのですが!

ニュース・アラカルト

いろいろな話題を、断片的に寄せ集めてみました。

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展示会会場が、新宿高野ギャラリーから有楽町の交通会館に移転したのは、もう皆さんご存知の通りです。年度の変わりは4月であることから、高野ギャラリーの完全閉鎖は3月末日となっていました。

私達はその最終日に、長年ここのマネージャーをしておられた天野さんに、お別れと次なる職務へのお祝いを述べるために、彼を訪ねました。その折、不要になった家具を頂戴することも予定していました。行ってみると、展示台とテーブルとスツールは処分する予定とのこと。私達が使えるのなら何よりと、天野さんは喜んで全部をくださいました。

そういったいきさつなので、長年私の展示会にいらしている方達は、来年の会場でちょっとしたデジャブー(どこかで見た事のあるような感覚)を感じるかも知れませんよ。コーヒーのある休息場には見慣れたテーブルとスツールがあり、花台も...。少なくとも私達は、かなりくつろいだ気分になれることでしょう。天野さん、ありがとうございました。

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ここ青梅に移ってからもう4年になり、年間を通じて、窓から眺める野生動物について、随分といろいろな発見をしました。(動物が通行するのはたいてい夜なので、目にすることはあまりなく、茂みがざわつく音を耳にするだけなのですが...)。近くにはタヌキの家族が住み、大きくて太い蛇が川を泳いでいたり、沢ガニなどの小さな生き物がたくさんいます。ある早朝には、地下の作業場に降りて行く時、キツネが飛び跳ねるのを見た事もあります。そして先日は、今までで最高の経験をしました。いつものように、地下へ向かう階段を降りていくと、私の足音が何物かを驚かしたようなのです。(新鮮な空気を入れるために、外へ通じるドアーを開けておきました)部屋に入ると、黄褐色の何かが飛び上がって、ドアーから出て行ったのです。行ってみると、ニホンザルが近くの枝にぶら下がってこちらを見つめているではありませんか!ワーオ、裏庭にニホンザルがいるんだ!

あいにく、写真に撮ることはできませんでしたが、午後になってから、そのサルが仕事場の周りを動き回った形跡を見つけました。窓の一面に、足跡がたくさん付いていたからです。どうやら、しっかりした網戸を取り付けた方がいいようですね、版画にサルの足跡が付いたら一大事ですから!

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作業場といえば、ここ半年ほどの間、工事はほとんど(まったく)進展していません。でも冬を経験すると、昨年の夏に取り付けた断熱材の効果が目に見えてはっきりしました。貞子さんが、小さな電気温風器を買ってくれたのですが、真冬でさえも、これだけで凌ぐことができたのです。

来年の冬が来るまでに天井も断熱すれば(することを期待)、家中で唯一のポカポカルームになることでしょう!

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私の娘達について、最後にお知らせをしたのはいつだったか、覚えておられますか。あまり以前のことなので、私は覚えていません。もう長い事会っていないのです。ふたり共、自分たちの事で忙しいからです。日実は22才で、カリブ海のクルーズ船での仕事を楽しんでいます。7〜8ヶ月集中して働き、2ヶ月ほど休暇を取ってから次のコースに出ます。彼女は、この仕事を始めて間もない頃にある若者と出会い、以後ふたりはいつも同じ船に乗れるよう計画を立てているようです!

富実はつい最近20才になりましたから、ふたり共、カナダと日本のどちらの国でも法的に成人となったわけです。富実は、働くことを選んだ姉とは違って、本と取組む方を選びました。もうすぐ大学2年生を終えるところです。私達家族は、時々こんな冗談を言うのです。富実は、ブル家で最も高学歴を身につけた人になったと。まだまだ勉強を続ける事は確実でしょう。彼女は、私よりもずっと勉強をしていますが、余暇の方でも私を抜いています。週末はたいてい、友達とスノーボードをしているのですから。

こんど彼女達に会えるのは、一体いつのことやら分かりませんが、ふたり共健康で、それぞれの活動に専念し、楽しく過ごしているのですから、私としては安心しています。

デービッドは流行の先端?

先日、買ったばかりのソックスの親指に穴が開いた。履き心地の良いソックスだから、久しぶりに針を持って繕ってみた。よし、これで当分は履けるぞ。その数日後、今度は洗ったセーターの背中に小さなほつれを発見した。細い糸だが何層にも織られていてとても暖かなセーター、もう何年も普段着に重宝している。編み目を拾うように、これも繕ってみると、何だかちょっと特をした気分になった。

繕い物など珍しい事をしたものだから、針を動かしながら、ふと昔の事を思い出してしまった。私が子供の頃、日向ぼっこで、よく繕い物をしていた祖母の事である。たいていはソックスの穴かがりで、仕上がると「ほ〜ら、これでどうもないよ」と、ニコニコしながら陽にかざして見上げる。夜になると、その持ち主である家族の一員に自慢げに返すのだが、継ぎの当たったものなんか履けないよと、無下に突っ返えされる。「もったいないねえ」とムニョムニョ言いながらそっと引き出しに入れる。ある時、祖母の足下を見ると、彼女に不釣り合いな模様が動いていた。男物であったり若い女物だったり、私と目が合うあとニコリとしていた。

継ぎの当たった物を身に付けるのなど、ごく日常的であった時代もあったのだろうが、私が小学生の頃には、そんな衣類を身に付けている子供はほとんど見かけなくなっていた。それでも、一度だけ、私には継ぎを当てられた服を着た記憶がある。それは、つり紐の付いたプリーツスカートだった。この形は、成長期の子供には具合が良い。新品の時は、胸の当たりまでベルトの位置を引き上げて着る。以後は、紐に付いているボタンの位置を成長に合わせてずらしてゆけば、スカートの裾はきちんとひざ上の位置におさまるのである。私は胸の位置近くにベルトのあるスカートが嫌いだったから、心のどこかで、このスカートがダメになって着られなくなることを願っていた。  その吊りスカートを最初に着て登校した日のこと、椅子だったか机だったか、ほんのちょっと出っ張っていた釘にプリーツを引っ掛けて大きな鍵裂きを作ってしまった。きっと高価なスカートだったのだろう、母は慣れない手付きで繕い、ほとんど目立たないから着なさいという。嫌々ながらも、翌日は継ぎの当たったところを手で掴んで登校したのだが、後はタンスの奥の奥に押し込んで決して着なかった記憶がある。

あれから半世紀近くが過ぎ、巷のファッションも大きく変化した。当節は、破れたジーパンとやらがカッコ良いとか、わざわざ穴を開けてある商品まで店頭に並んでいる。だが、ここで私は言いたい!何を隠そう、デービッドは何年も前にこんな事はやっていた。裾は破れてぶらさがり、ひざの所はパックリ開き、それでも平気でスタスタ履いていた。ある時、これを平気と考えるかみっともないと考えるかで、デービッドと私の間でちょっとした議論になった。当然ながら水掛け論である。

その後、アメリカの田舎に行く機会があり、軍配は一挙にデービッドの方に上がることになってしまった。日常生活を身近に観察していると、継ぎがジーパンの外側から当てられている。継ぎの上に継ぎを当て、原形が分らなくなる位になってもまだ現役である。それを堂々と履いていると、実に様になっている。思わず「すごいねえ、カッコいいねえ」と言ってしまった。すると、間髪を入れず「ほらね僕の言った通りだろう?君に捨てられちゃったジーンズ、まだまだ履けたんだよ」と返事が返ってきた。

まいった、まいった!以来、私はジーンズの継ぎ当てを、..... 時折している。

すでに書きましたが、展示会の準備を手伝うために、私の両親と弟が1月にやってきました。(ふたりの娘達と妹は、それぞれ本業の方が忙しくて来る事ができませんでした。)

父と弟は、一緒に充実した時を過ごせるという口実で、今回の旅行をとても楽しみにしていました。もう何年も前のことですが、ふたりで家の改装をしたことがあるので、それと似たような私の仕事場の内装工事を一緒にするのは、ちょっと良い機会だと思っていたようなのです。ところが、その計画はちょっぴり別の方向に転換してしまいました。目前に迫っている版画の企画に関連した仕事がたくさんありすぎて、金槌を手にするチャンスすらなかったのです。

最初のページにある写真は、3人に貞子さんも加わって「版画玉手箱」を組み立てる作業をしているところです。青い箱が業者から届いたのは、展示会が始まる前の一週間を切っていました。版画を飾るアクリル板は、その数日前に到着していたので、パーツが全て揃った時点ですぐに作業開始です。両面テープをカットし、その一方をアクリル板の裏に貼り、それをしっかりと箱の蓋に取り付けます。次に最初の版画をスタンドに差し込み、丁寧に包装してから箱詰めです。

ところで、4人がどこに座っているのか分かりますか?そう、我が家の掘りごたつ、計4階建ての家の中で、唯一の暖かい場所です。彼らが来る数日前に、こたつの部分をくり抜いた形になっている、特別なホットカーペットを敷いたので、足はちゃんとこたつの中に下ろしています。

日本の掘りごたつがどんなものか、もう彼らはとても良く知っていますよ。こたつの上にあるのが、定番のみかんの山ではなく、仕事の山になってしまいましたが!

3人とも、一緒に過ごせて嬉しかったのは事実ですが、今度はきっと違う時に来る事でしょう ─ もっと暖かくて、待ち構えている仕事のない時期にね。