デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。

41号から最新号まで

1号から40号まで



Categories:

デービッドは流行の先端?

先日、買ったばかりのソックスの親指に穴が開いた。履き心地の良いソックスだから、久しぶりに針を持って繕ってみた。よし、これで当分は履けるぞ。その数日後、今度は洗ったセーターの背中に小さなほつれを発見した。細い糸だが何層にも織られていてとても暖かなセーター、もう何年も普段着に重宝している。編み目を拾うように、これも繕ってみると、何だかちょっと特をした気分になった。

繕い物など珍しい事をしたものだから、針を動かしながら、ふと昔の事を思い出してしまった。私が子供の頃、日向ぼっこで、よく繕い物をしていた祖母の事である。たいていはソックスの穴かがりで、仕上がると「ほ〜ら、これでどうもないよ」と、ニコニコしながら陽にかざして見上げる。夜になると、その持ち主である家族の一員に自慢げに返すのだが、継ぎの当たったものなんか履けないよと、無下に突っ返えされる。「もったいないねえ」とムニョムニョ言いながらそっと引き出しに入れる。ある時、祖母の足下を見ると、彼女に不釣り合いな模様が動いていた。男物であったり若い女物だったり、私と目が合うあとニコリとしていた。

継ぎの当たった物を身に付けるのなど、ごく日常的であった時代もあったのだろうが、私が小学生の頃には、そんな衣類を身に付けている子供はほとんど見かけなくなっていた。それでも、一度だけ、私には継ぎを当てられた服を着た記憶がある。それは、つり紐の付いたプリーツスカートだった。この形は、成長期の子供には具合が良い。新品の時は、胸の当たりまでベルトの位置を引き上げて着る。以後は、紐に付いているボタンの位置を成長に合わせてずらしてゆけば、スカートの裾はきちんとひざ上の位置におさまるのである。私は胸の位置近くにベルトのあるスカートが嫌いだったから、心のどこかで、このスカートがダメになって着られなくなることを願っていた。  その吊りスカートを最初に着て登校した日のこと、椅子だったか机だったか、ほんのちょっと出っ張っていた釘にプリーツを引っ掛けて大きな鍵裂きを作ってしまった。きっと高価なスカートだったのだろう、母は慣れない手付きで繕い、ほとんど目立たないから着なさいという。嫌々ながらも、翌日は継ぎの当たったところを手で掴んで登校したのだが、後はタンスの奥の奥に押し込んで決して着なかった記憶がある。

あれから半世紀近くが過ぎ、巷のファッションも大きく変化した。当節は、破れたジーパンとやらがカッコ良いとか、わざわざ穴を開けてある商品まで店頭に並んでいる。だが、ここで私は言いたい!何を隠そう、デービッドは何年も前にこんな事はやっていた。裾は破れてぶらさがり、ひざの所はパックリ開き、それでも平気でスタスタ履いていた。ある時、これを平気と考えるかみっともないと考えるかで、デービッドと私の間でちょっとした議論になった。当然ながら水掛け論である。

その後、アメリカの田舎に行く機会があり、軍配は一挙にデービッドの方に上がることになってしまった。日常生活を身近に観察していると、継ぎがジーパンの外側から当てられている。継ぎの上に継ぎを当て、原形が分らなくなる位になってもまだ現役である。それを堂々と履いていると、実に様になっている。思わず「すごいねえ、カッコいいねえ」と言ってしまった。すると、間髪を入れず「ほらね僕の言った通りだろう?君に捨てられちゃったジーンズ、まだまだ履けたんだよ」と返事が返ってきた。

まいった、まいった!以来、私はジーンズの継ぎ当てを、..... 時折している。

コメントする