デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」の一冊の内容です。
ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。
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「百人一緒」はもう終わったと思っていましたか?いいえ、これから逃れることはできないんですよ!10年間の長いシリーズは終わったかもしれませんが、私の版画作りは終わっていません−そして、みなさんと話し合ったり、この素晴らしい技術と美しい版画について伝えたい、という気持ちも!話したいことはまだまだたくさんあるのです、紹介したい人も...
ですから、これからも年に4回、このささやかなニュースレターを発行していきます。タイトルを変えようかと思ったのですが−私の新しい「摺物アルバム」に合うよ うな何かに−結局はやめることにしました。私は「百人一緒」という名前がとても気 に入っていますし、前のシリーズから引き続いているという感じを残しておきたいとも思ったのです。それに、このタイトルはこのニュースレターが目指しているところを完璧に表しています−私とたくさんの人とが一緒に木版画について学ぶ場!
しかし、お気づきのように、この表紙のデザインは若干変わっています。今回のシリーズは、100枚という大きなまとまりのあるものではなく、毎年10枚の版画を独自に選んだものから成るセットなので、あの小さな円にはついに「引退」していただくこととなりました。代わって、その年のセットの中から製作が終わった版画作品の小さな写真が載ります。
ニュースレターをお楽しみいただけますように...
「百人一首版画シリーズ」の第10回、完成展示会。今年は、いつもの型を少し替えてみました。会期を6日間から9日間に延ばし、2週間早めてお正月に開始したのです。ここ数年、雪に悩まされる事が多かったので、会期をちょっと早めることで悪天候を避けることができるよう期待したのです。予想は適中して、9日間ずうっと晴天に恵まれました。
6日間から9日間に延ばしたために、ギャラリーの使用料は通常の60万円から90万円に引き上がったのですが、採算は十分とれました。会場はいつもお客様でにぎわい、ゆったりと版画を見られないほど、大勢の人達が集まったこともありました。もしも6日間しか開催しなかったら、もっと混雑してしまったことでしょう。
実のところ、今回の展示会が始まる一月前までは、お客様の出足がちょっと心配だったのです。始めのうち、私の出したマスコミ向けの案内に対してあまり反応がありませんでした。それで、報道関係の人達は、もう私の事はたくさんだと思っているのではないかと心配したのです。でも、開催の何週間か前になると、インタビューや放送出演の依頼などがたくさん舞い込んできました。そして、主だった新聞のほとんどに、満足のできる良い記事が載りました。また、「首都圏ネットワーク」というニュース番組にちょっとだけ出演したのですが、去年と同様、NHKは一番強い影響力をもたらしてくれたようです。お陰で、この番組を見たという人が、たくさん来て下さいました。
会期中の9日間は、とても充実した日々でした。自分の仕事や版画製作全般について話をするのはとても楽しいので、たとえそれが、何百回も答えたことのある質問でも、喜んで説明ができました。また、ほとんどのお客様は、百人一首の版画が目的ですから、作品が展示されている壁面の方に、自然と関心が引き寄せられていました。でも私の関心は、ギャラリーの奥に設えた小部屋の方にありました。(もっとも私は、もう百枚を全部見てしまっていましたから)
この小部屋は、天井からの光を消して、障子を通して差し込む薄明かりだけにしてありました。そして、新しく始める「摺物アルバム」がどんなものかを示すために、見本の版画が置いてありました。柔らかで優しい明かりの下で見ると、木版画とは実際にどんなものなのかということが、お客様に良く分かったようです。柔らかくふわりとした和紙に淡い顔料が馴染んで、どんなに美しいかということがです。人々が小部屋中に入って版画を手にし、「うわあっ」と歓声をあげます。入り口のすぐ外でこれを聞くのは、ことのほかうれしいものでした。また、明治以降すっかり忘れられてしまっている版画の見方を説明するのも、本当に楽しいことでした。
こうして、展示会そのものは大盛会でしたが、営業面からはどうだったでしょうか。嬉しいことに、こちらもとても満足のいく結果でした。今回の申し込みの量は、過去5年間の総合計よりも多く、全セットを注文された方もかなりな数に上ったのです。その方々は、今後何年か掛けて集められるので、私の版画家としての生活は当分続けられそうです。一方、新しく始める「摺物アルバム」も、作品となる絵を提示しなかったにもかかわらず、大勢の人に気に入って頂け、大満足です。好調なスタートで、百人一首シリーズを始めた当時、ほんのチョボチョボとしか収集家が集まらなかったことを思うと、長年の積み重ねがついに報われたと実感いたします。私のしようとする事を人々が分かってきている。そして、美しい版画を自分の物にしたいと熱心に思っているのです。
今回の展示会のハイライトは、やはり土曜日の夜のパーティーにありました。二人の娘達と百枚の版画の前に立ち、会場に集まった収集家の方々の見守る中、百人一首版画シリーズの完成を祝して、ダルマのもう一方の目を描き入れた時でした。これから先何年生きようとも、これほど感動することはないでしょう。あの時、涙でむせんでしまい、皆様に「ありがとう」の一言も言う事ができなくなってしまって.......。
きっと、分かってくださった事と、思っているのですが.....。
パーティ会場に入ると、軽妙なクラリネットの音色が聞こえてきました。デービッドさんのお父様と弟さんとそのお友達のカリンさんによる三重奏です。デービッドさんの展示会ではいつも静かなクラシック音楽が流れていますが、今日はプロによる生演奏です!
ほどなく、デービッドさんの挨拶が始まりました。いつになく、やや緊張した面持ちで、言葉もうまく出てこない様子。挨拶の後、まず、デービッドさんの仕事のお手伝いをしてきた私達裏方を紹介して下さいました。梱包、発送、翻訳など、版画そのものには直接関係のない仕事なのに、なんだか気恥ずかしい感じです。
食事をしながらのおしゃべりの合間を見て、次は職人さん達の紹介です。バレンを作っておられる五所さん。顔料を扱っておられる松吉さん。刷毛を作っておられる宮川さん。百人一首シリーズの保存ケースを作ってこられた戸田さんご夫妻。版木職人の島野さんは、奥様が来られていました。デービッドさんは、これらの方達のお仕事が、ひとつひとつ自分にとってどれほど重要なものであるかを熱をこめて話されました。五所さんに、その場で、次の摺物シリーズのためのバレンを注文したり、松吉さんには、「次のシリーズはサイズが小さくなるので顔料を使う量が減ると思いますけど...でも、深みを出す為にたくさんの顔料を使おうと思っているので、その点では量が増えるかも」と話されるなど、デービッドさんのおしゃべりもだんだんいつもの調子が出てきました。
摺りの実演は今年の年賀状です。片目の達磨にもうひとつの目を、まさに入れようとしている図。ひとつひとつの作業を丁寧にこなしながら、みんなに説明をしている時のデービッドさんは本当に嬉しそうです。ぼんやりしたものが版を重ねるごにはっきりした形をなしていき、そして最後、版木から離す時、「どんなのができたかな」とわくわくする気持ちーデービッドさんがいつも言っておられることですが、私達もその気持ちを少し一緒に味わうことができました。
続いてデービッドさんの御家族の紹介。ご両親はイギリスのハリファックスから。お母様は優しそうな方で、デービッドさんがこの仕事をやりとげられたことを本当に喜んでおられる様子です。お父様はどこかひょうきんな感じのする方で、デービッドさんとジョークのやりとりをされていました。ドイツから来られた「大きな」弟さんとカリンさん。デービッドさんのユーモアのある温かい人柄は、この家庭があって生まれたものなんだなぁと感じました。そしてカナダから日実ちゃんと富実ちゃん。日本を離れた頃にはまだまだ子供の面影のあったふたりですが、驚く程大人っぽくきれいになりました。展示会場では裏方さんとして様々な気配りをしていて、大人になったのは外見だけじゃないな、と感じさせられました。「みんな遠く離れて暮らしてはいるけれど、インターネットなどでいつもやりとりはしているし、私達は家族です。」−本当に心の絆はしっかり結ばれているのがわかります。
さあ、達磨に目入れです。宮川さんから贈られた新しい筆を下ろし、まずは日実ちゃんと富実ちゃんが少しずつ描き入れます。お父さんのために最後の一筆を残し、デービッドさんが達磨の目を黒く塗りつぶして、百人一首版画シリーズの完成を宣言。きっとこれまでのいろいろな出来事が胸をよぎったことでしょう−デービッドさんの思いが私達にも伝わって、会場は大きな拍手に包まれました。
最後の挨拶をされたのは貞子さんです。「自分は今まで何度も仕事を変えてきたけど、このシリーズはどうしても最後までやり通したい」と貞子さんには話しておられた、というデービッドさん。離婚の後、つらい時期もあったのでしょうけれど、貞子さんの存在がずいぶんデービッドさんの心の支えになってこられたのだと思います。ふたりで手を取って喜び合い、このシリーズに関わってくれたすべての人への感謝を述べておられました。
「参加して下さった皆様にデービッドから心のこもったおみやげがあります」と渡されたのは、一枚の摺物でした。展示会場の隅に囲われた小さなコーナーに置かれていた初日と烏の絵。「お手を触れないで下さい」ではなく、「どうぞお手にとってご覧ください」と書かれていて、柔らかい光の下で手に取ると、初日にかかる白い雲がくっきりと浮かび上がった−会場で見たその美しい絵をまた自宅でも楽しむことができるなんて、本当に最高の「おみやげ」です。
「自分の仕事はたくさんの人の支えがあるからこそ出来ることだ」とおっしゃってきたデービッドさん。その言葉通り、多くの人のつながりを感じられる、とても素敵なパーティでした。デービッドさん、みなさん、楽しいひとときをどうもありがとうございました。
「百人一緒」の第35号です。もう、表紙のデザインが変わった事にお気付きですよね。小さな 100までの数がなくなった代りに、10個の丸だけが書かれています。今年は、新シリーズの版画ができ上がる度に、この丸の中が少しずつ埋まっていきます。そうです、十年のプロジェクトが終了して、次の版画セットは、たったの1年しか掛かりません。いちねん?
きっと、始めから説明した方がいいですね。
一年ほど前の、「百人一首シリーズ」がそろそろ終わりに近付いた頃、その後に続けていく仕事として、たくさんのアイデアが湧いていました。世界中の美術館には、計り知れない数の美しい版画や本が保存されていて、再び日の目を見るのを待っています。何をすればいいのかは問題でなく、魅力的な作品がありすぎて、どれを選んでいいのかが悩みでした。次から次へと、版画集や版画史の本に目を通したり、本物の版画もたくさん見ました。でも、気が付くといつも、それまでに見た「摺物」に心が戻っているのです。
「摺物」というのは、日本の伝統的な木版画の、ある特定の種類を指しています。皆さんが良く知っている浮世絵は、できるだけ多くの人達に行き渡るように作られた物です。でも摺物は、贈り物やお知らせとして、個人が出版したもので、一般大衆に向けて販売するという事は、ほとんどありませんでした。
ここにある写真は典型的な摺物のひとつで、絵と狂歌の両方からなっています。歌の作者が自分で依頼して作らせ、歌会の仲間の間で交換したようです。売る事が目的ではなく、純粋に風雅を楽しむためのものですから、金銭に糸目をつけませんでした。最高級の和紙と顔料を用い、とびきりの彫師と摺師に依頼し、より抜きの絵師に絵柄を頼みました。こういった摺物は、比較的小さくて、19cm×21.5cm というのが、もっとも一般的な大きさでした。
摺物の起こりは1760年代頃で、百年ほど続いたようです。当時人気のあった作家は摺物の絵柄を頼まれることが多く、中にはそれを本業にする絵師もいたほどです。絵の題材としては、歴史上の出来事、風景、静物、そして歌舞伎などが多く用いられました。
摺物の載っている本を開き、その切れ味の良い彫りや言い様のない繊細な摺りを見るにつれ、私の次のテーマは正にこれだ、と思い至ったのです。私は、10年間ずうっと同じ作者による絵、それも「百人一首」というテーマで描かれた絵を版画にしてきました。でも、次のプロジェクトは、それほど制限がなくても良いのではないか、版画そのものの美しさをテーマとして考えても良いのではないか、と思ったのです。私の腕でこういった作品を作り、版画というものがどんなに美しいものなのかを、できるだけ多くの人達に示していきたい。「摺物」という言葉に、新しく僕自身の意味付けをしていこう。本来の定義にある、言い表しようのない美しさと繊細さを備えていれば、それをちょっと広げて、個人の出版物ではない本にある挿し絵なども含めよう、というように。
このように考えて、気に入った版画の切り抜きなどを集めだすと、たちまちすごい量になりました。そして、その集めた版画に共通するのは、私が気に入った絵であるということだけです。すっきりしていて、基本的な技術を用いているのもあるし、また、込み入っていて、高度な技術を要するものもあります。
集めた絵の中から、最も気に入った10枚を抜き出して一列に並べ、こんなことを考えたのです。独自の摺物アルバムを出して見たら ........。百人一首の時と同じに、ひと月に1枚作ってみたら ....... 。そして、でき上がってから1枚ずつ版画愛好家や蒐集家に送ってみたら......。(保存用の、しっかりしたケースも始めに送ろう)毎年一月にする、恒例の展示会も続けて、一般の人達にも見ていただこう。
こうして、アイデアはどんどん膨らんでいき、何ヶ月かの準備の後、今回の展示会で、新しいシリーズをお知らせできることになったのです。反応は上々でした。そして、第1回の摺物アルバムは目下進行中です。第一回と書いたのは、10枚で止めるつもりなど、さらさらないからです。作品は目移りして決められないほど豊富にあるので、これから百年くらいは、毎年アルバムが作れるほどです!そんな事はありっこないですがね。でも、どのくらいこれを続けて行くかはまだ未定です。いつか、もっと魅力的な別のテーマを見つけてそちらに乗り移るかもしれませんし、あるいは、この摺物アルバムが私の最後のテーマになるかもしれません。さあ、どうなるでしょうか?
摺物は18、19世紀に美しさの極みに達し、それ以来、その様式はずうっと眠ったままです。でもその息遣いは、きっと残っています。摺物は、「さっさと仕上げて売りにだす」という方式では作っていけません。「好事家(こうずか)」によってのみ作られ得るのです。デービッドは、摺物の好事家、そして製作者です。
皆様に、私の作品を楽しんで頂けますように。
百人一首シリーズの完成を目前に、私は高揚した気分でしたので、近頃のニューズレターには明るい話題が多くありました。ですから、この記事を書かなくてはならないということは、より一層心に重く響いてくるのです。
一月に放映された、私の仕事に関してのドキュメンタリー番組は、昨年最後の数カ月に集中して撮影されました。中でも、長年私を支えてきてくれた職人達を訪問する場面を撮影するのは、私にとってハイライトの一部でした。その中のお二人、彫師の伊藤進さんと版木職人の島野慎太郎さんとは長年のおつき合いでした。その二人ともが、伊藤さんは昨年の暮に、島野さんは今年の1月にと、続けて亡くなってしまい、こうして皆さんにその訃報をお伝えしなくてはならない事は、悲しくてやりきれない思いです。
島野さんに初めてお会いしたのは、今から 16 年ほど前のことで初めて日本に旅行した時でした。彼の住所をどこかで見つけて、経験もない外国人がいきなり出かけて行って版木を注文したらどんな顔をするだろうかと、幾分ためらいながらも訪ねていったのです。ところが、こんな心配はすぐに吹き飛んで、島野さんは快く注文を引き受けてくれました。それ以来、私は何百という版木を島野さんにお願いしてきました。彼が居なかったら、この百人一首シリーズの完成もなかったのです。
知り合って間もない頃、島野さんは、一緒に飲みに行こうとよく誘ってくれたのですが、私の性格上どうしても島野さんの希望に添えませんでした。私は、お酒をほとんど飲めなく、人とのつき合いもあまり上手な方ではないのです。とうとう一度も彼の誘いに乗りませんでした。島野さんは、いつの間にか誘うのを諦めてしまいましたが、きっと付き合いの悪い冷たいやつだと思っていたことでしょう。
この世に島野さんが居なくなってしまった今となっては、悔やまれるばかりです。きっと楽しい話がたくさんできて、伝統木版画についても何かと教えられることが多かったはずです。
彼は弟子を取らなかったので、今頃あの仕事場は、道具や重い作業台が片付けられて、物音ひとつない空間となっていることでしょう。かつて、あの界隈では、たくさんの男達が版木職人として働き、近在の彫師達に版木を調達していました。それなのに、今は.... ひとりもいないのです。
伊藤さんとは、知り合ってからまだほんの10年でした。その間、訪ねたのは何回でもなく、5回あったでしょうか。いつも必ず助け船となってくれ、惜しみなく何でも教えてくれました。私は、彼が話す事をできる限り理解しようと、必死でした。この10年で私の版画に上達が見られたとしたら、伊藤さんの助けに因るところが大いにあります。言葉として聞かせて頂いた以上に意義深かったのは、テレビの撮影スタッフと伊藤さんを訪ねることが3回ほどあり、その折、実際に彫るところをこの目で見られたということです。彫刻刀で版木を彫って行く様子は、言葉で表現しきれるものではありません。でも、あの数分の観察のお陰で、本当の彫りがどんな物なのかを目のあたりにすることができたのです。毎回、家に戻ると、見てきた事をできる限り真似てみました。
私が最後の訪問をしたのは、伊藤さんが亡くなるほんのひと月程前でした。彼はこの時、「掠れ彫り」(毛筆の掠れを表現する技術)という基本的技法をやって見せてくれたのです。私はすでに、新しく始めた摺物シリーズでこの技法を用いています。
伝統木版画を彫る熟練技は、5回の訪問では到底教わりきれません。もっと彼の側に居られるよう、どうしてもっと強引になれなかったのでしょうか、今となっては悔やまれてなりません。伊藤さんはいつも忙しかったから.....。彼が弛まず彫り続けた版木、その版木で版画が摺られ、摺られた作品は今、世界中でたくさんの場所を美しく飾っているに違いありません。彼の版木から、何千何万という版画が摺られ、これからも摺られていくことでしょう。彼の残した業績は計り知れません。そして、あの優しい人が、小柄な体を彫台に覆い被さるようにして、版木に目を近付ける姿は、このカナダ人の心の中に、永遠に残る事でしょう。
伊藤さんは、死に至る数日前まで彫りの作業を続け、そして突然、こっそり逝ってしまったのです。私も、そんな風に最期を迎えたい......。
私を導き、助けてくださったお二人に、もうお礼を述べることはできません。でも、二人とも、私がどんなに感謝しているか、きっと分かっているはずです。彼らが受け継いできた伝統技術を、ほんの少しだけでも長く維持して行きたいと思っております。
ここ数ヶ月というもの、実に盛りだくさんの日々でした。百人一首版画シリーズの最後の作品に最後の色摺りをする、というのがもちろん最も大きな「イベント」でしたが、この他にもずいぶんいろいろあったのです...家族がここ、私のもとに集まったこと...最終の展示会を開いたこと...テレビで1時間のドキュメンタリー番組が放映されたこと...そして皇居での歌会始めに招かれたこと...何年か後にこの数ヶ月のことを振り返ったら、これらすべてが本当にあったことだとは信じられないような気持ちがするでしょうね。
これを書いているのは2月の初めなので、こういったイベントに関連した「余分な」仕事はまだまだ終わっていません。心穏やかに版画作りに専念できる日々が早く戻ることを待ち望んでいます。でももちろん、新しい収集家の方達は、新しい摺物アルバムの最初の一枚を待っておられるのですよね。
ですから仕事は続きます...毎朝起きると、シリアルを入れた容器を持って、コンピューターの前でメールをチェックします。それが終わると、仕事部屋に行って彫りや摺りです。日中はこの仕事が続きます。時々いろいろ別の用事で中断されますが。事務仕事、様々な材料の注文、収集家の方達からの問い合わせなど...そして夜遅く、ぐったりと疲れてもう続けられなくなった頃、布団に這っていくのです...こんな生活は気狂いじみているでしょうか?もし会社の社長さんが従業員にこんな仕事の仕方を強 制しようとしたら、大変なことになるでしょうね!でももちろん、私の場合は強制された仕事ではありません...私は楽しんでいるのです。これは大きな違いですね。
もう夜も更けてきています...ニュースレターは書きおわりました。翻訳のためにこれをメールで送って、床に就くこととしましょう。入念に湿らせてすっかり用意の整った和紙の束が、色をつけてもらうのを待っています。どんな感じの色にするか、まだ決めていないのです...明日は摺りの日...