デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」の一冊の内容です。

ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。

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'Hyakunin Issho'
Newsletter for fans of David Bull's printmaking activities
Autumn : 1995

長く暑い夏が終わり、今は「文化の秋」のまっただ中です。日本語では、どうして秋を「文化」の季節とみなすのか、今まではまったくわかりませんでしたが、この季節は時間をとられるこや、目を奪われるさまざまなことが、劇的に増加することは確かです。

3月から8月という期間は、私にとってはおおむね落ちついた期間です。彫りに没頭し、たいして邪魔も入らずに摺りの作業を行います。しかし9月から1月と2月の展示会の季節にかけてはペースが徐々に変わっていきます。スピーチを考え、実演を行い、広報活動やインタビューも目白押しですし、いつもと違う版画も作ります(地域の文化の日のイベントや年賀状です)し、やめるわけにはいかない展示会が目前に迫っています。

春先に、私はときどき自分に約束します。「今年は、前半のおだやかな時期にもっとまじめに仕事しよう。そして版画のスケジュールに余裕をもたせれば、秋になってもプレッシャーが少ないだろう!」 しかし今年は、ご存じのように約束はみじめにも守れませんでした。お手元に届く版画は毎月、遅くれに遅くれています。今現在はざっと1ヵ月、予定を下回っています。それでも展示会までには1年分のセット、10枚を仕上げる時間があると思います。はやくこのワープロから離れて、彫りに戻れればいいのですが!

ハリファックスから羽村へ

(前回からの続き)

私はフルートに夢中になってそればかり見てきた、と書きましたが、他のものにはまったく目を向けなかったというわけではありません。私の場合、何かに興味を持つと、それに少しでも関係のあるものは何でも学んでみたくなるのです。スイッチは、入っているか入っていないかのどちらかのようです。まったく興味がないか... 100%興味をもつか。私はフルートの演奏に興味をもっていたんですよね? はい、とても。 ...ということは... フルートの調整の仕方も学びたいし、学校のバンドのために編曲もしたいし、アンサンブルの指揮も、バンドの楽譜の整理も、作曲家たちについても勉強したい... このニュースレターの読者の方々にはもうおなじみのパターンで、私は大きな網を投げてしまいました。多分、ちょっと度が過ぎるくらいに。

でも、何かに取り組むときにはこれが最良の方法ではないでしょうか? 飛び込んで、完全にその世界にのめりこむ、というのが。成人してから、オーケストラのフルート奏者になるという夢は私の能力にも性格にもあっていないのだ、ということがわかるのですが、そのことはまた後でお話しましょう。当時、私の頭の中はそのことでいっぱいだったのです。

(私は高校時代、音楽に関してはなんでもうまくいったというわけではありません。その頃、地方のテレビ局で、高校対抗のクイズコーナーを売り物にしている人気番組がありました。その地域のいくつかの高校がそれぞれ4人ずつでチームを作っていろいろな問題に対する正答率を競いあうのです。私の学校でも4人の「専門家」を選んでチームを作りました。数学担当、科学担当、スポーツ担当、そして芸術担当... それが私でした。私達はそんなに早く敗退はしませんでしたが、そんなにいいところまでもいきませんでした。私は、アナウンサーが「では、音楽の問題です... 」と言った時のことを忘れることができません。その時、チームの他のメンバーは期待に満ちた目で私のほうを向きました。それなのに... 私はしくじってしまったのです。ほとんど全部。「軽騎兵序曲」を「ウリアム・テル」と答えたり、メンデルスゾーンの「イタリア」を「スコットランド」と答えたり... 誰も私を責めたりはしませんでした、学校の中でそんな問題に答えられる者は他にはいなかったでしょうから。でも、私のプライドは傷つきました。)

この間、私が抱えていた問題は私の使っていたフルートでした。学校にある楽器は本当にとても安いもので、私はまもなくそれに不満を感じるようになりました。父が自分のフルートを持っていたので、私に使わせてくれたのですが、それもたいしてよくはありませんでした。今の日本では、何か新しいことを始めたばかりでも最高の道具を使わなくてはいけない、と思っている人が大勢いますが、父の態度はそういう人達とはちがって、もっと実際的でした。「まあ、これで間に合うさ... 」父は、見栄えとか道具を集めることよりも、音楽を奏でることを大切にしていたのです。しかし私は、自分の楽器のひどさにはいらいらさせられました。両親は、私が熱心に練習していて、いいものが必要なのだということをわかってくれて、経済的には決して楽ではなかっただろうと思うのですが、ある日私に、地方の交響楽団の演奏家から中古のフルートを買ってくれました。125ドルくらいしたと思います。今ではたいしたことのない金額ですが、当時の両親にとってはかなりの投資だったにちがいありません。実際、それは学生モデルのフルートにすぎませんでしたが、それでも学校の楽器と比べたらずっといいものでした。そのうえ金メッキでした、私のまわりの人達はみんな銀メッキの楽器を使っていたのにです。「僕は特別になるんだ!」と思いました。

そのフルートは私の離れがたい友となり、長年の間、ずっとそうなるはずでした。私は高価な板とベルベットを使って特製のケースを作りました。私のまわりの学生たちがガールフレンドに夢中になっている頃、私にはこのフルートが... この美しいフルートがありました。「一緒に素晴しい音楽を奏でようね...」

次回に続く...

田中房彦ご夫妻

何年か前の「百人一緒」(第9号)で、江戸時代に出版された春章の本にはふたつの違った版がある、ということをお話しました。ひとつは春章自身が繊維な筆使いで歌を書き込んだもの、もうひとつは別の書道家が書き込んだものです。そして今日は、また別の書道家による版を紹介します。その書家は、私の版画の収集家の田中房彦さんです。

しばらく前、田中さんは、人物だけで文字の部分は空白にした版画を作るのは可能かどうかを尋ねられました。私はそれは少しむずかしいかな、と思いました。歌の部分も、もちろん同じ版木に彫っているからです。しかし、彼の要望に興味をそそられて、やってみることにしました。そしてそういう版画を作ることができるようになったので、最近は空白の部分のある版画を彼に送っています。田中さんはそこで、毎月毎月ご自身で歌を書き込まれ、世界でたったひとつの「百人一首」のセットが生まれているのです。

これを読まれたみなさんは、田中さんは書道の先生なんだろうと思われるかもしれませんね。しかし、実際はまったくちがったお仕事をされているおです。八百屋さんです。田中さんと奥さんの文美枝さんは東京の稲城市で果物や野菜を扱う仕事をしておられます。書道のようなものに興味をもっているカナダの八百屋さんというのはちょっと想像できませんが、私の版画の仕事に興味を持ってくださるのにいろいろな方がおられることに、もう私は驚きません。歌や版画、書といったものに興味をもつのは、何も一部の人達に限らない、様々な暮らし方をしている人がいるのだ、ということがわかってきたからです。ここでは、田中さんのお店の奥の部屋では、ご自身で書かれた歌や絵の入った棚やひきだしをいくつも見せていただきました。昼間は野菜を扱って...夜は筆を握られるのです。

田中さんとそのご家族はもう何年も私の仕事をいろいろな面で支えてきてくださいました。展示会の時期に手助けをしてくださったり、娘達を遊園地に連れていってくださったり、私の仕事の腕前についてもたくさん評価を聞かせてくださいました。田中さんは書に興味をおもちなので、彼が私に感想を知らせてくださるのは達筆の手紙です。優雅にしたためられた書をいただくのは、何か素晴しい巻き物をプレゼントされるような気分です。何年も前、初めてこうした手紙を手にした時は(田中さんからだけではありません)、ほとんど自分で読むことはできませんでしたが、しだいにこうした文字も読めるようになって、今では友人の助けを借りなくても大部分を理解することができます。

彼の手紙のいくつかを読み返してみて、彼のコメントのなかに私達が一緒に作っている新しい「百人一首」に実にふさわしいものがあることに気付きます。「原画に忠実に再現されようとしている貴君の気持ちはよくわかりますが個人の工夫感覚で、オリジナリテイに富んだよりよき作品ができますことを希望すると共に益々のご活躍を心よりお祈り致します。」 私が、もっと自由に、原作にはない新しい色や彫りの芸術を使ってみようと思ったのは、こういうコメントをもらったからです。そして、その結果、私の版画シリーズはそれだけよくなったと思います。田中さんはこの仕事を支えてくださっているだけでなく、影響を与えられたのです。ですから、私は今、彼の試みのお手伝いをすることができて、とても嬉しいです。「春章・ブル・田中三者共同制作による百人一首」!

数ヵ月前、ラーメン屋さんの島田さんのことを書いたとき、彼が私の仕事を支えてくださるためにはいったい何杯のラーメンを作らなくてはならないのだろう、と思いました。今また、同じ問いをしなくてはなりません... 版画一枚は何個のキャベツに相当するのでしょうか? ものすごい量になるにちがいありません! 稲城市で菜食主義が流行るといいのですが!

版画の「世話」の仕方...

最近、収集家の方達から、版画はどういうふうに保管すればいいのかという問い合わせをいくつかもらいました。これについては、数年前、初期の版画に添えた小さな冊子で少し述べましたが、もっとしっかり検討しておいたほうがよさそうですね。みなさんの中には、相当な数の版画を持っておられる方もいらっしゃいますし、それらがきちんと扱われていないなんて考えたくありませんから!

風にあてること

版画に使われている和紙は、新聞紙とは違って、酸をあまり含んでいません。ですから、新聞のように数ヵ月で茶色くなってぼろぼろになってしまう、ということはありません。和紙は世界で最も長持ちする紙のひとつで、保存のために特別の手入れをそれほど必要としないのです。しかしながら、版画を可能な限り長持ちさせるためにできることがいくつかあります。もし、空気の出入りがないような場所に版画を入れっぱなしにしておくと、かびたり、虫に食われたりしやすくなってしまいます。みなさんに版画をお渡しする時に使っている包み(紺色のケースと鳥の子フォルダー)は、版画の「家」として居心地のいいものであるように設計されてはいますが、何年もの間そこに閉じこめられていては版画達も「幸せ」ではないでしょう。たいていの図書館や、古本などを扱っている人々は、自分達が管理しているものを、少なくとも年に一回は外気にあてるようにしています。これをするのに最適なのは、寒く、乾燥した秋か冬です。

版画が保管されている本棚やたんすから、ケースをひとつずつとりだして、テーブルの上で開け、版画一枚一枚を30分くらいずつ、空気にあててください。最低一年に一回、できれば蒸し暑い季節が終わった後、秋にこれをすれば、版画の寿命はかなり伸びるでしょう。もちろん、しょっちゅう版画をだして眺めておられるのならば、こんな特別の「虫干し」をする必要はありません。でも、版画を最後にだしてからもうずいぶん経っているのなら、虫干しも悪くないでしょう... (みなさんが版画を受け取られる時にフォルダーを覆っているビニール袋は捨ててください、ということも言っておいたほうがいいでしょうか? あれは単に、輸送中、包みを保護するためだけのものです。)

額について

私は額を使うのは好きではないのですが、いくつかの版画を額に入れて壁にかけておられる方もたくさんいらっしゃいますよね。もし、そうしておられるのなら、気をつけていただきたいことがいくつかあります。最も大切なことは、直射日光のあたるところに版画をかけないでください、ということです。私の使っている顔料は、簡単に色あせたりしないものですが、直射日光が長い期間あたっているというのは版画に悪い影響を与えます。何年か前、私は数枚の版画を南向きのベランダの壁に貼って、日光や雨風にあてておく、というテストをしてみたことがあります。3、4年経っても、色は私が室内で保管しているものに引けをとりませんでしたが、紙が変色し始めました。(残念ながら、この実験はある夜、台風のせいで終わってしまいました! これらの版画がどこへ行ってしまったのか今はまったくわかりません。おそらく私の作品のなかで最も「遠くまで旅した」ものとなっていることでしょう...)

額に関するもうひとつの問題は、版画が何年もの間、放ったらかしにされていると、ガラスの内側にごみやかびなどが生じてきます。額は、少なくとも一年に一回開けて、傷みなどがないかを調べて、きれいにしておかなくてはなりません。(もちろん、もっといい方法は、額に入れておく版画を定期的に交換することです。月ごとに、あるいはせめて季節ごとに...)

輸送について

版画の包みが輸送中に損傷を受ける、ということがたまにあります。日本の郵便局はいつも素晴しいサービスを提供してくれていますが、私の包みが少し扱いにくい形をしているので、時々ゆがんだりした状態で届くことがあるのです。もしこういうことがありましたら(あるいは過去にありましたら)、どうぞ遠慮なく交換を申し出してください。鳥の子フォルダーでも、紺色のケースでも、あるいは版画そのものでも。版画をいい状態でみなさんにお届けすることは私の責任であると思っています。輸送中に損傷を受けたのなら、私が交換します。こうしたことに対処する用意はいつもしてあります。このためにとりわけてある余分のもちあわせがあります。どうぞ遠慮なくお知らせください。

私の版画を集めてくださっている方達の中で日本人以外の方は今はおよそ10%にすぎませんが、おもしろいことに、こうした苦情の半分以上はその方達からのものです。日本人以外の人の包みにかぎってしょっちゅう損傷を受けているのでしょうか? そうではないと思います。単にその方達は、何が起こったのかについて、積極的に私に知らせてくださっているのだと思います。一方、版画そのものの汚れなどについて、積極的に教えてくださるのは日本人の方達です。和紙にひっかき傷があるとか、墨のしみがあるとか。私は喜んで(この言葉使いはあっているでしょうか?)こうしたコメントをお聞きしたいと思います。もし、言ってくださらなければ、どこでまずいことが起こっているのか私にはわからないのですから... だから、ぜひおっしゃってください!

今後...

これらのことに気をつけて、版画を適切に扱っていただければ、それは本当に何年もの間、みなさんの子々孫々の代にまで受け継がれていくでしょう。この版画にお金を出して、これらが世に出るのを手助けしてくださっているのは、収集家のみなさんですが、実際のところ、みなさんは一時的な保管者にすぎません。私はこれを少し悲しく思います。木版画はできたての時が最上の時ではありません。和紙はまだ固くて、摺りの前にするドーサのためにごわごわしていますし、色もまだくっきりしていてきつい感じです。版画が本当の美しさを見せてくれるのには実に長い年月がかかるのです。江戸時代初期の版画は今ではもうかなり色あせていますが、江戸時代後期や明治時代のものは今が「絶頂的」です。紙はやわらかく、ふんわりしていますし、色はなめれかに溶け合って、調和がとれています。しかし、私の版画がこの段階に到達するころには、みなさんも私もとっくにこの世を去っていることでしょう... 私達がしている手入れはすべて未来の世代のためのものということになるようです...

こうした美しいものを自分で手にするということが(画廊や美術館のガラスの向こう側にあるものを見るのではなくて!)本当に「版画とは何か」を理解することなのです。私はこのことを前から何度も言ってきたのですが、これはいくら強調してもしすぎることはないと思います。木版画は大変私的なものであり、それが作られた時の状況に近い状況においてのみ、正しく見ることができ、その真価がわかるのです。低い机... やわらかな、水平の光... 顔を近づけて...

ですから、どうぞ私達の版画を大切に扱ってください。そして、それをみなさんのお孫さんたちに最良の状態で渡せるようにしてください。でも、はたして彼らはこれに興味をもってくれるでしょうか? 私は時々疑問に思います...

秋の色

一見してそれとわかる。彼は料理人に違いない。白いユニフォームにエプロン、帽子からみて明らかだ。でもレストランの屋根の上で、一体彼は何をしているのだろう? それほど急な傾斜ではなく、危険があるようには見えない。小さく平らな篭を手に、建物に向かって伸びている木の枝の間を何度も行ったり来たりしている。連れが、早く中に入りたがっていたので、彼がしていることを見極めるだけの時間はなかった。まさに「かきいれどき」であり、この有名なレストランは明らかに混み始めていた。

以前私が開いていた英語教室のメンバーが、ちょっとした「紅葉狩り」をしようと提案した。場所は奥多摩。多摩川ぞい。そのあたりには何度も出かけたことがあるが、秋のこの時期は初めてだった。シーズンの人混みを避けたいという気持ちからだが、秋は文字どおりに忙しいからというのが最大の理由だった。しかし長年にわたり、そこがどんなに素晴しいかという話を聞かされてきたので、話があった時、ためらわずに申し出を受けた。

ものごとは予定通りには進まない。メンバーの一人はキャンセルし、遅れた人もいた。駅では電車到着が乱れていた。どこかで何かトラブルがあったということだ。こんな次第で、そのレストランは予定より1時間遅れて到着した。しかしキャンセル客があったらしく(おそらく電車の事故の影響だろう)、驚いたことに、席を用意したもらったばかりでなく、店で最上の場所へ案内された。川を見おろせる隅のテーブルだ。大きなガラス窓を通して暖かな日差しがテーブルに届いている。戸外の、川の反対側一面には、私たちが来た目的、秋の色が広がっていた。

メンバーは十分に堪能していた。「素晴しい」「まさに一番いい時に来たわ」「今年は特に色がきれい!」等々。実際に感じのいい光景だった。水の表面に反対する光が流れをさかのぼり、緑や黄色、茶色のパノラマにきらめいている。皆が私に振り返った。「こんな光景、あなたの国にはないでしょう?」

「ええ、そうですね。まったく同じというわけでは....」私はつとめて声の調子を平静にたもった。しかし、彼女たちは私のことをよく知っており、私のためらいが不審をもたらした。「どうしたんですか? 日本のモミジはきれいじゃないですか?」 私は苦境に立たされた。皆、自分たちの美しい光景が自慢であり、それを外国人に見せられて喜んでいた。それを批判するべきではない....しかしカナダの秋の色をどう言えばいいのだろう? 炎に包まれたようなケベック州の山裾の、鮮やかな赤やオレンジ、黄色をどう説明すればいいだろう? とても言葉では言い表せない、まばゆいばかりの色に飾られた田舎のハイウエーをドライブすることを、からっとした大気を、信じがたいほどに深い空の青さをどう説明すれば....? こうしたすべてを彼女たちの秋景色を批判しているようには思われずに説明することができるだろうか? でも、すでに述べたように、私たちは互いをよく知っている。だから私は話した。少々気をつかいながら。

こうなった以上は、もう心配する必要はなかった。皆は注意深く、カナダ東部の秋の輝きを説明する私の話しを聞いた。しかし感銘は受けなかった。私の説明が不十分だったからではない。おそらく私はオーバーに説明した。彼女たちにとっては「鮮やかな」「華やかさ」「生気」「明快さ」といった要素は肯定的なものではなかったというだけのことだ。私が話した内容のイメージは、強すぎた。「うるさい」のだ。自分たちの秋の「面目をつぶ」されたくはない。どちらかというと繊細な影やsubtlety、穏やかさを望んでいるように思えた。

こうした話しをしていたちょうどその時、メンバーの一人が、私の目の前に置かれた皿を示した(あれほど美しい焼き物を説明するのに、単に「皿」と言う言葉を使えるのなら)。食事は、12品くらいの小さなコース料理で、着物を着たウエイトレスが運んでくれる。今運ばれてきた皿にはひとくち大の料理が5つ乗せられている。肉や野菜の盛りつけだ。友人は5品をひとつづつ指さしてから窓を示した。最初は、何をしているのかわからなかった。別の彼女が詳しい説明を試した。5つに品々は秋の色に彩られており、窓から見える色と完全に一致していた。料理は目の前の景色を味わい深く(両方の意味で)表現している。私はうなずいた。礼儀正しい彼女は、こうしたものが私の国にありますか、とは尋ねない。

それからの食事はまるでゲームのようだった。それぞれの料理にはどんな意味が隠れているか? たいがいは見た通りの、シンプルな季節の野菜だったが、もっと複雑なものもある。季節にちなんだ詩的な名前がつけられた料理だ。さらに、いくつかの料理は私たちを圧倒した(彼女たちを打ちまかした、というべきか)。食事の最中、頭上に明りがつき、料理を乗せた皿が出された。その料理の隣にそうっと置かれていたのは、端がカールした明るい茶色の楓の葉。そう! このためにあの料理人は屋根の上にいたのだ。私たちの食事にそえるために、張り出した枝から食材を集めていたのだった!

私の連れは、このときはあまり礼儀正しくなかった。笑いながら尋ねる。「あなたの国には....」 この質問をさえぎることはできなかった。昼食を飾るため、屋根に登って紅葉を集めるという発想は、いいや、カナダではありえないと認めざるを得ない。

いわば引き分けだ試合になった。彼女たちの考えでは、カナダの秋はちょっとうるさいのだ。「美しい」。そう。しかし、やや洗練さに欠ける。私にとっては、日本の秋は基本的には感動的なショーではない。それを日本人はそれぞれが詩的な「ゲーム」で補っている。まったくの偶然で、互いの国にはそれぞれの国民の性格に適した秋があるのか。あるいは人々の性格は、自分たちの秋の紅葉で形成されるのか? ほんとうに興味深い問題だ....

それは、一見して明らかでした。白い服に、エプロンと帽子、間違いなくコックさんでした。でも一体全体、レストランの屋根の上で、彼は何をしていたのでしょう。屋根は、それほど急な勾配ではなく、さして危険そうには見えませんでした。その人は、小ぶりで平らな篭を手に、建物に覆いかぶさる枝を縫って、ただ、行ったり来たりしていたのです。同行した仲間が、席があるかどうかを急にして、しきりに中に入りたがったので、彼が何をしているのかを見極めるまで見ていることは、できませんでした。そこは、とても評判のいいレストランで、シーズンたけなわでしたから、明らかに混み始めていたのです。

ある時、以前私が開いていた英語教室のメンバーが、奥多摩の多摩川沿いで、紅葉狩りをしようと言い出しました。私はそれまでに、そのあたりを何回となく歩いたことがありましたが、紅葉の季節には、一度も行く機会がなかったのです。混み合う季節を避けたかった、ということもあるのですが、秋はいつも忙しい、と言うのが主な理由でした。奥多摩の紅葉の素晴しさについては、何年もの間、耳にして来ていたので、この時、ためらうことなく誘いに応じました。

でも、事はなかなか計画通りに行きませんでした。一人は来られなくなり、一人は、遅れて来たのです。駅では、路線のどこかでトラブルが起きたため、ダイヤが乱れていました。こんな訳で、わたしたちは、予定より一時間遅れてレストランに着き、席は取れないものと諦めていました。ところがです、予約の取り消しがあったのでしょう(恐らく路線トラブルのせいで)、驚いたことに席が取れたのです。それも、一番良い、川を見下ろせる角のテーブルです。それは、暖かい太陽の光が降り注ぐ、大きな窓際でした。そこから、反対側にある山の斜面一面に広がる、色とりどりの葉が見渡せたのです。

同行の人達は、十分い堪能していました。「わきれい!」 「真っ盛りに来られたわね。」 等々。それは、とても心地よい光景でした。水面で反射した太陽の光が上方に向かって行き、緑や黄色や茶色のパノラマにきらめいていたのですから。暫くしてから、みんなが私のほうを向いて、こう聞いたのです。「デイビッドの国には、こんな景色ないわようね。」

「う〜ん。全く同じ、じゃあないけど...」 あいまいに答えようとしていたのですが、この女性たちは、私のことを良く知っているので、ためらっているのが分かってしまったのです。「どうしたの? 日本のもみじがきれいじゃないって言うの?」 さあ、わたしは、困ってしまいました。彼女達は、日本の美しい景色を自慢に思っていましたし、外国人の私にそれを見せてごきげんだったのです。批判的になっちゃいけない... だけど、カナダの秋の色をどう説明したらいいんだろう。ケベック州の山々を、燃えるような赤や、オレンジや黄色で覆い尽くされた景色を、どう説明したらいいんだろう。筆舌に尽くしがたい、鮮やかな色を広がりに囲まれた、田舎のハイウエイをドライブする気分を...  からっとした空気、信じ難いほど深く青い空を...  こういったことを、彼らが自慢の秋の景色を批判するようにではなく、どう伝えればいいんだろう。でも、さっきお話したように、私たちはお互い、気心が知れているので、ちょっと気を使いながら説明してみました。話し出してからは、もう心配は要りませんでした。彼女達は、カナダ東部の秋の輝きを説明する私に、注意深く耳を傾けていましたから。とは言っても、感動はしませんでしたが、それは、私の説明が旨くなかったというよりもむしろ、誇張し過ぎたため、のようでした。彼女達にとって、「輝き」、「大胆さ」、「鮮やかさ」そして「清澄さ」といった要素が、ただ単に、取り立てて良いものではなかったからなのでした。私が与えたイメージは、強烈すぎ、やかましすぎたのです。秋自体に、迫って来る感動を求めていたのではなく、どちらかというと、繊細な影や、淡い変化、そして穏やかさ、を求めていたのです。

こんな事を話しているちょうどその時、グループの一人が目の前にあるお皿に私の注意を引き付けました(とても美しい陶器に、乱暴にも「皿」などということばを用いればですが)。食事は、12種類ほどのコースで、和服を着たウエイトレスが運んで来ました。丁度、肉や野菜で一口大に作られた5種類の料理が皿にならんで運ばれて来たときの事です。仲間の一人が、料理の一つ一つを順番に指さし、それから窓の外を指したのです。初めのうち、私は彼女が何を言おうとしているのか分かりませんでした。それで、別の一人が詳しく説明してくれたのです。5種類のそれぞれの品は、秋の彩りで、窓から眺められる色とぴったり一致していたのです。料理は、目の当たりに広がる景色にふさわしく、色といい、味といい、なかなか味わい深いものでした。このことにようやく気づいて、私はうなずきましたが、説明して彼女は気を利かせて、「こういったものがカナダにもあるのか」などとは質問しなかったのです。その後の料理は、「それぞれの料理に、どんな意味合いが込められているのか。」などと、まるでパズルのようになりました。たいがいは、見た目にすぐそれと分かる、シンプルな季節の野菜でしたが、なかには複雑なものもありました。季節にちなんだ、私的な名前がつけられていたりして、わたしたちは(彼女たちは、というべきでしょうか)完全に圧倒されてしまいました。こうして食事をしている時、頭の上の明りがつき、器の上の料理の脇に、そおっと置かれていた物が...端がカールしている、赤茶色の楓の葉が目に入ったのです。これだ! この為に、あのコックさんは、屋根の上に居たのです。私達の食事に添えるために、張り出した枝から材料を集めていたのです。

このときばかりは、彼女たちも黙っていませんでした。笑いながら、「ねえ、デイビッドの国では...」もう、このせりふを最後まで言わせる事もなく、私は認めざる終えなかったのです。コックさんが、屋根の上で、料理の添え物にする紅葉した葉っぱを拾い集めるため、うろうろするなんて... こんなことカナダでは、ありえないと言うことを。

こんな訳で、私達は言ってみれば引き分けのおうな形となりました。彼らにとって、カナダの秋は、ちょっとけばけばしく、きれいには違いなくてもも、少しばかり洗練さに欠けるのです。一方、私にとって日本の秋は、根本的に館動的な物ではないのです。日本人は、こういった私的な”あそび”をすることで、補っていますが。ま、双方がそれぞれ、思い思いの形で秋を受け止めている訳です。それにしても、この二つの国がそれぞれ、そこに住む人に性格にぴったりの秋を作り出しているというのは、本当に偶然なのでしょうか。それとも、秋の葉の彩りといったものによって、住んでいる人達の性格が作られてきたのでしょうか。実際、興味深い問題です...

すでにお気づきかと思いますが「百人一緒」はちょっとモデルチェンジしました。この号から私はもはや、大きなボール紙を床に広げて、紙の切れ端をたくさんまき散らし、どの話をどこに持っていこうかと試行錯誤することはありません。紙面をまるまる新しいマッキントッシュ・コンピュータに表示させて準備しました。何と楽しいことでしょうか!

カナダにいた頃は、おおいにコンピュータに関わっていたのですが、日本に来て古風な木版画の仕事を始めてからは、コンピュータを無視していました。でも数ヵ月前に、新しく始めた趣味のために(このことは後でお話します、たぶん)このコンピュータを手に入れました。少し操作してみて、これは操作も楽だし、「百人一緒」を作るのにも便利なことがわかりました。もうノリとハサミはいりません。行数を数えたり、宇副を計算する必要もありません。クリックするだけで、いくつものレイアウトを試して完成することができます。仕事をする、という感覚でなく、まるでゲームをしながら遊んでいるようなものです!

しかしながら新たな問題も生まれました。ものごとのバランスをとるのは難しいことです。この号のレイアウトのテストを見た友人が言いました。「うわあ、まるでプロの仕事みたいですね。残念なのは中身が...」