デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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田中房彦ご夫妻

何年か前の「百人一緒」(第9号)で、江戸時代に出版された春章の本にはふたつの違った版がある、ということをお話しました。ひとつは春章自身が繊維な筆使いで歌を書き込んだもの、もうひとつは別の書道家が書き込んだものです。そして今日は、また別の書道家による版を紹介します。その書家は、私の版画の収集家の田中房彦さんです。

しばらく前、田中さんは、人物だけで文字の部分は空白にした版画を作るのは可能かどうかを尋ねられました。私はそれは少しむずかしいかな、と思いました。歌の部分も、もちろん同じ版木に彫っているからです。しかし、彼の要望に興味をそそられて、やってみることにしました。そしてそういう版画を作ることができるようになったので、最近は空白の部分のある版画を彼に送っています。田中さんはそこで、毎月毎月ご自身で歌を書き込まれ、世界でたったひとつの「百人一首」のセットが生まれているのです。

これを読まれたみなさんは、田中さんは書道の先生なんだろうと思われるかもしれませんね。しかし、実際はまったくちがったお仕事をされているおです。八百屋さんです。田中さんと奥さんの文美枝さんは東京の稲城市で果物や野菜を扱う仕事をしておられます。書道のようなものに興味をもっているカナダの八百屋さんというのはちょっと想像できませんが、私の版画の仕事に興味を持ってくださるのにいろいろな方がおられることに、もう私は驚きません。歌や版画、書といったものに興味をもつのは、何も一部の人達に限らない、様々な暮らし方をしている人がいるのだ、ということがわかってきたからです。ここでは、田中さんのお店の奥の部屋では、ご自身で書かれた歌や絵の入った棚やひきだしをいくつも見せていただきました。昼間は野菜を扱って...夜は筆を握られるのです。

田中さんとそのご家族はもう何年も私の仕事をいろいろな面で支えてきてくださいました。展示会の時期に手助けをしてくださったり、娘達を遊園地に連れていってくださったり、私の仕事の腕前についてもたくさん評価を聞かせてくださいました。田中さんは書に興味をおもちなので、彼が私に感想を知らせてくださるのは達筆の手紙です。優雅にしたためられた書をいただくのは、何か素晴しい巻き物をプレゼントされるような気分です。何年も前、初めてこうした手紙を手にした時は(田中さんからだけではありません)、ほとんど自分で読むことはできませんでしたが、しだいにこうした文字も読めるようになって、今では友人の助けを借りなくても大部分を理解することができます。

彼の手紙のいくつかを読み返してみて、彼のコメントのなかに私達が一緒に作っている新しい「百人一首」に実にふさわしいものがあることに気付きます。「原画に忠実に再現されようとしている貴君の気持ちはよくわかりますが個人の工夫感覚で、オリジナリテイに富んだよりよき作品ができますことを希望すると共に益々のご活躍を心よりお祈り致します。」 私が、もっと自由に、原作にはない新しい色や彫りの芸術を使ってみようと思ったのは、こういうコメントをもらったからです。そして、その結果、私の版画シリーズはそれだけよくなったと思います。田中さんはこの仕事を支えてくださっているだけでなく、影響を与えられたのです。ですから、私は今、彼の試みのお手伝いをすることができて、とても嬉しいです。「春章・ブル・田中三者共同制作による百人一首」!

数ヵ月前、ラーメン屋さんの島田さんのことを書いたとき、彼が私の仕事を支えてくださるためにはいったい何杯のラーメンを作らなくてはならないのだろう、と思いました。今また、同じ問いをしなくてはなりません... 版画一枚は何個のキャベツに相当するのでしょうか? ものすごい量になるにちがいありません! 稲城市で菜食主義が流行るといいのですが!

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