デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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ハリファックスから羽村へ

(前回からの続き)

私はフルートに夢中になってそればかり見てきた、と書きましたが、他のものにはまったく目を向けなかったというわけではありません。私の場合、何かに興味を持つと、それに少しでも関係のあるものは何でも学んでみたくなるのです。スイッチは、入っているか入っていないかのどちらかのようです。まったく興味がないか... 100%興味をもつか。私はフルートの演奏に興味をもっていたんですよね? はい、とても。 ...ということは... フルートの調整の仕方も学びたいし、学校のバンドのために編曲もしたいし、アンサンブルの指揮も、バンドの楽譜の整理も、作曲家たちについても勉強したい... このニュースレターの読者の方々にはもうおなじみのパターンで、私は大きな網を投げてしまいました。多分、ちょっと度が過ぎるくらいに。

でも、何かに取り組むときにはこれが最良の方法ではないでしょうか? 飛び込んで、完全にその世界にのめりこむ、というのが。成人してから、オーケストラのフルート奏者になるという夢は私の能力にも性格にもあっていないのだ、ということがわかるのですが、そのことはまた後でお話しましょう。当時、私の頭の中はそのことでいっぱいだったのです。

(私は高校時代、音楽に関してはなんでもうまくいったというわけではありません。その頃、地方のテレビ局で、高校対抗のクイズコーナーを売り物にしている人気番組がありました。その地域のいくつかの高校がそれぞれ4人ずつでチームを作っていろいろな問題に対する正答率を競いあうのです。私の学校でも4人の「専門家」を選んでチームを作りました。数学担当、科学担当、スポーツ担当、そして芸術担当... それが私でした。私達はそんなに早く敗退はしませんでしたが、そんなにいいところまでもいきませんでした。私は、アナウンサーが「では、音楽の問題です... 」と言った時のことを忘れることができません。その時、チームの他のメンバーは期待に満ちた目で私のほうを向きました。それなのに... 私はしくじってしまったのです。ほとんど全部。「軽騎兵序曲」を「ウリアム・テル」と答えたり、メンデルスゾーンの「イタリア」を「スコットランド」と答えたり... 誰も私を責めたりはしませんでした、学校の中でそんな問題に答えられる者は他にはいなかったでしょうから。でも、私のプライドは傷つきました。)

この間、私が抱えていた問題は私の使っていたフルートでした。学校にある楽器は本当にとても安いもので、私はまもなくそれに不満を感じるようになりました。父が自分のフルートを持っていたので、私に使わせてくれたのですが、それもたいしてよくはありませんでした。今の日本では、何か新しいことを始めたばかりでも最高の道具を使わなくてはいけない、と思っている人が大勢いますが、父の態度はそういう人達とはちがって、もっと実際的でした。「まあ、これで間に合うさ... 」父は、見栄えとか道具を集めることよりも、音楽を奏でることを大切にしていたのです。しかし私は、自分の楽器のひどさにはいらいらさせられました。両親は、私が熱心に練習していて、いいものが必要なのだということをわかってくれて、経済的には決して楽ではなかっただろうと思うのですが、ある日私に、地方の交響楽団の演奏家から中古のフルートを買ってくれました。125ドルくらいしたと思います。今ではたいしたことのない金額ですが、当時の両親にとってはかなりの投資だったにちがいありません。実際、それは学生モデルのフルートにすぎませんでしたが、それでも学校の楽器と比べたらずっといいものでした。そのうえ金メッキでした、私のまわりの人達はみんな銀メッキの楽器を使っていたのにです。「僕は特別になるんだ!」と思いました。

そのフルートは私の離れがたい友となり、長年の間、ずっとそうなるはずでした。私は高価な板とベルベットを使って特製のケースを作りました。私のまわりの学生たちがガールフレンドに夢中になっている頃、私にはこのフルートが... この美しいフルートがありました。「一緒に素晴しい音楽を奏でようね...」

次回に続く...

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