デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」の一冊の内容です。
ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。
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数えていらっしゃる方は気がつかれたと思いますが、もう25になりました。すでに1/4終わりました。私には、昨日始めたように思えます。(まだこれだけでは生活していかれませんが、100作が終わったときには、そうなると思います。)
木版画のような伝統工芸について学ぶには、その分野で働いている方々との接触やコミュニケーションがなければ不可能です。幸いなことに、私には、その経験や秘訣を、単に分かち合って下さるだけではなく、熱意をもってそうして下さる職人の方々がいます。 今回のニューズレターの『職人さんを訪ねて』は、そのような方々の一人で、私には特別の方です。過去2年間私にとって『teacher』の一人であった方を、紹介したいと思います。
それからいつもの事について──収集家の紹介、この企画の始まり、それから...もうひとつ...ええ...大失敗についてです。大失敗については、定期的に載るようなことにならないといいのですが。
(前回からの続き)
私は、天智天皇の出来栄えにすこぶる満足しました。そこですぐに春章の本から他の版画を作る計画をたて、島野さんに版木の注文をして、版下の準備にかかりました。今回はもっと難しいことになりそうです。最初の版画製作に用いた原画は、平凡社出版の『歌留多』という本にページいっぱいに載っていましたが、他の絵は、全部小さく、版下にはならなかったので、他の方法を探さねばなりませんでした。私にとっての唯一の解決方法は、東洋文庫にもう一度でかけて原本の写真を撮らせてもらうことでした。しかしこれにはそんなに期待をしていませんでした。東洋文庫の方々は、本を見せて下さることには親切でしたが、複製するために写真を撮らせてくださるとは思えませんでした。
その週、三千代と私が東洋文庫に行った日は、ちょうど閉まっていました。新年から開館時間が変更になっていました。私は古いパンフレットに惑わされたのです。二時間かかって来て、又戻る、三千代は簡単に引き下がろうとはしませんでした。 いくつかの部屋に明かりがついているのが見えました。そこで彼女はドアーをノックして事情を説明し入れて下さるように守衛さんに頼みました。小山さんが二階の閲覧室で仕事をしておられました。私たちは、彼の仕事のじゃまをしたことを詫び、ためらいがちに本からの写真撮影についてお願いしました。私は、そんなにも悲観的になる必要はありませんでした。彼はほほ笑んで写真撮影の申し込み用紙を下さいました。私は最初の10ページの写真を注文しました。
何故10枚? 何故最初の10ページ? どうしてだったか確信はありませんが、わたしの最初の衝動は 全部注文することでした。それがとても好きでしたので、研究するのに全セット欲しいと思いました。多分私が指で計算してみて高かったからか、又は、三千代が頭のなかでソロバンをはじき終わったときの目が、比較的に安い10枚にしておくように告げたからかもしれません。どの10枚にするかは全く重要ではありませんでした。その時点では、どれか好きなのを選ぶほどまでその本をよく調べていませんでした。ただ何とか始めたかっただけでした。
家に戻り、計画を立て始めました。近くの画材店から材料を買ってきて、版画の包装のサンプルをいろいろ作ってみました。山口さんに電話をして素晴らしい和紙を注文しました。版画に私の名前を空摺りで入れるための印刷用の活字を買って来ました。しかし大部分は座って考えました。....私の摺の技術がよくなるだろうか。....版画、包装、説明文を魅力あるようにまとめられるだろうか。....英語クラスの合間に時間をみつけられるだろうか。....そして....
100枚の版画を作ろうと考えていたでしょうか。いいえ(少なくとも声にだしては)。全セットを作る仕事にのりだすという考えは、恐ろしい事でした。そこでそのことにについては、考えない事にしました。私はもっと小さな達成出来るゴールに焦点を合わせました。基本的な考えは、その本から10枚選び、彫って、摺って、百人一首に興味のある収集家の方々に提供することでした。
もちろんすぐに18クラスある英語教室が、始まろうとしていました。 島野さんの版木がもうすぐ届くはずで... そうですよね
... 続く ...
いままでに、このささいなシリーズで、近くでご商売をしてられるご夫妻、会社の社長、外国人の英語教師を紹介させていただきました。他にどんな方が、私の版画に興味を持って下さっているでしょうか。埼玉県の小学生川中友子さんはいかがでしょうか。
最初に友子さんと知り合いになったのは、1990年に年賀状をいただいたときです。彼女のご家族は、数カ月前から私の版画を集めてくださっていました。 そしてちょうど盲目の歌人せみ丸の版画を受け取られた時でした。彼女はそれを見て、せみ丸が頭に何もかぶってないのを不思議に思われました。というのは、彼女がそれまでに見たせみ丸は、頭に何かかぶっていたからです。私は出来得る限りそれに答えました。(ウーン わからない...)そして、私達は、時折手紙を書きあうようになりました。彼女は学校で作った版画を送ってくださり、私は何年か前に作った版画を送りました。もちろん彼女は、学校での活動ばかりでなく、版画を作ったり、お料理をしたり、バイオリンを演奏したり、一輪車を上手に乗り回したりといそがしく、楽しく過ごしています。
今年のゴールデンウィークには、友子さん御一家が、私達の所を訪ねて下さいました。そして、お互いに以前より知り合うことが出来ました。私の作った木のパズルで遊んだり、かわりばんこに『ねこバス』の版画を作ったりしました。全員(川中さんご夫妻を含めて)、ステキに見える版画が、とても簡単に出来ることにびっくりされたことと思います。
このような日は、私自身の版画を作るのと同じほど楽しい思いをします。もっと多くの方々が、この興味深く、楽しく、創造的で、うっとりさせるような、 リラックスさせるような、愉快な、満足を与える『版画』に興味をもたれたらいいと思います。来年は友子さんは、いそがしい中学生になりますが、版画作りを続けられ、大きくなって、彼女自身の家族を持たれた時も、それは、生活の一部として残るといいと思います。
川中さんご一家とこのような時を持てたことをとても嬉しく思います。そして川中さんご夫妻が、この版画企画に、娘さんが積極的に参加するように仕向けてくださったことを、うれしく思います。ご夫妻のサポートにより、子供さんがたは、何でもやってみようとすることでしょう。
友子さんどうもありがとうございます。次の版画を楽しみにしています。
いままで、このコラムの職人さんは、版木屋の島野さん、刃物作りの碓氷さん、ばれん作りの五所さんのように、私の版画企画に実際にかかわりのある方々でした。今回のゲストは、少し違っています。彼は私の版画企画にはかかわりありません。 物質的にはかかわりありません。ですが、彼は非常に重要な役割を演じており、彼ぬきでは『百人一首版画シリーズ』は、あり得ないでしょう。さあ一緒に訪ねてみましょう。
仕事場への狭い階段を上がっていくと、まず耳にするのは、音です。活気のある渦巻く刷毛の音(誰か靴を磨いているのかな)....紙のなびく音...静止....そして活気のある他の音、こんどは、ひっかくような物をこする音...又静止....紙のなびく音。いったい何をしているのでしょうか。もちろん彼らは、版画を作っているのです。版木の上を刷毛でこすり、紙の上をバレンでこすり、積み上げた紙がなくなるまで、これらの動作を繰り返していく。摺り師松崎啓三郎さんと彼の息子さんの浩繁さんは、この東京下町の自宅で仕事をしておられます。
何回もこのお部屋におじゃましましたが、この日は窓は閉ざされ、冬の寒さと車の音は閉め出されており、版画を摺る音だけがはっきりと聞こえます。それらの音は、松崎さんの心臓や呼吸の音と同じ位彼にとっては慣れ親しんだものです。 彼がこの世界に入った15から39年間聞き続けてきたものです。
仕事を見せていただく時はいつでも、彼がいかに優雅にたやすく道具を使うかに驚かされてしまいます。バレンは彼の大きな手の延長のようで、刷毛に手をのばす時には、目はその動作を追おうとはしません。何千万回も繰り返しているので、何をしているか見る必要はないわけです。彼は低い摺り台に向かってあぐらをかき、バレンで版木の上の紙を押さえます。力が彼の体を流れ、肩を通って腕にいき、そして仕事の上へと出ていくのが見えます。このエネルギーは、版木からはがした和紙の中に目に見えて残ります。──これを作ったときの生命力の永久の現れとして。彼の仕事を見ていると、バレー(ダンス)とはなんであるかが理解できるように思います。
松崎さんは最初の出会いから、人がもち得る限りの寛大さ、暖かさ、親しみをしめして下さいました。この部屋では、客というよりはパートナーのような気にさせられます。最新作の出来具合を見て頂くときには、いつも彼は形式的な、丁寧さから一歩退いて、私の版画を上達させるうえでの建設的な援助を与えて下さいます。ある日彼は、私を松崎さんの仕事台に座らせ彼の道具を使って私のやり方でやってみるように言われました。私は全然うまく出来ませんでした。ぎこちない動き、スムースな色にするためのたよりない試み、力のむだずかい──私が力まかせにやろうとしたことを、彼は、なめらかな手の動きによって、やってしまいました。彼は笑い、もう一度やって見せてくださり、勇気づけの言葉をかけてくださいました。浩繁さんがとてもうらやましくなります──この部屋に座って仕事をし、動きや、仕事のリズムや、音を飲みこむことができます。
浮世絵版画の全盛時代には、松崎さんのような方がたくさんいました。この下町界隈に何人もの摺り師が住み、美しい版画を、次々に作っていました。これらの版画はいまでは世界中の美術館を飾っています。大衆のすぐれた観察眼、版元からの要求、絵師からの止むことなき技術上達への挑戦、これら総てが一緒になって、職人の水準をかってないほどに高めました。それらは、彼らの能力に対する誇りとして今も残っています。これらの総ての技術や能力が、それぞれの仕事に必要です。
そのような挑戦は、今では希です。仕事場への階段を上がると何を見ることになるかわかっています。それらは、3000枚の小さな紙です。それには、お寺の屋根に雪が降っている情景が摺られています。彼は仕事について文句をいいません。大きな物を摺る時と同じように全身をうちこんで摺っていきます。彼は摺り師であり、彼の仕事は摺ることです。これを見て欲求不満になるのは私のほうです。私は通りへ駆け出し、ここで何が起こっているかみんなに叫びたくなります。松崎さんのような人が、部屋に座って....待っています。ここにどんな宝があるか、社会が気付のを待っています。芸術家が、版元が、新しい挑戦出来るデザインをもってドアーをノックするのを待っています。若い人達が来て、見て、耳を傾けるのを待っています。
松崎さんが、私の為に時間とエネルギーを費やして下さったことにたいして、どう感謝したらいいでしょう。それには少しづつ上達すること以外にありません。少しづつ確実に....彼の技術を、実際どれだけ吸収出来るか分かりませんが、私の仕事が、うまく進まなくてイライラがたまってくるときには、仕事をしばしストップして、彼が傷のある、よく使いこんだ仕事台の前に座っている姿を思い描きます。エネルギーが、彼の腕を伝わって紙の中へと流れこんで行くのを思い描きます。どうしたらうまくいくのだろう。どうやったら....どうやったら....
松崎さん、あなたの心からのご援助にたいして『ありがとうございます』よりももっと感謝の言葉がありませんか。
このささやかなニューズレターも、第四回目の発行になりました。最近読者の方々から、いくつかの興味深い感想をうけとりました。ほとんどは、一般的で、私の仕事にたいして感謝を表明してくださって、仕事を続けることを激励してくださっていますが、先月受け取った興味深いお手紙は、ちょっと違いました。皆様方にもお知らせしたいと思います。
今年3月上旬セライという雑誌に私の版画シリーズのことが載りました。ある方々は、その記事を読んで、お手紙をくださったり、お電話を下さいました(ある方々は収集家になってくださいました)。ある方々は続けるように激励して下さいました。私はこれらの手紙に返事を書き、仕事についてもう少し興味をもってくださるかもしれないと思って、ニューズレターを同封しました。富山県の亀井さんは、そのうちの一人で、明らかに単に目を通すだけではなく、くわしく読んでくださったようでした。実際には、初刊の6と7ページは、虫めがねでご覧になったと思います。彼のお手紙を引用させていただきます。── 『百人一緒』ご送付ありがとうございました。......今我々の忘れかけている『心』について考えさせられるものがありました。....初刊号のオリジナル版と複製版の比較写真が載っているページで....ちょっと気が付いたところがあったのですが。それは歌の部分です....文字の形は、みごとに複製されていますが、文字の筆の力を入れるところと抜くところのちがうところが、あるのではないかと思います。例えば大納言公任の『任』という文字、デービットさんのはにんべん『 』が『 』となっていますが、オリジナルはおさえてはねる『 』ではないでしょうか。──
このお手紙を読んで私はびっくりしました。そこで急いで公任の版画と、原画の拡大写真を取り出しました。虫めがねの必要もなく、彼が正しいとわかりました。私は筆の動きを完全に誤解していました。いつもは、歌を彫る時には、彫り始める前に、それぞれの文字の線の流れや、書順について理解するように努めます。漢字を彫るのに、その流れや、書順が理解出来ないと、正確に彫ることが出来ません。問題があるときには、三千代か、版画の包装を手伝ってくださっている芦田さんにたずねます。明らかにこの漢字を彫っていた時には、自分で分かっていると思って、アドバイスをしてもらわなかったようです。しまった!
三千代と私は、それをみつけたときに笑ってしまいました。 ニユーズレターに入れるのに、たくさん他の版画があったのに、私は特に『それ』を選んでしまいました。前に、私は原本のいろんな所にみつけた間違いについて書きましたが、今度は私の番になりました。
亀井さんが指摘下さったことを、いやだなどとは決して思っていません。彼のお手紙には、たくさんのご親切なコメントも含まれていました。彼がそんなにも注意深く見て下さって、お手紙下さったことをうれしく思います。版画を見て下さるほとんどの方は、とても称賛して下さいます。──私自身にとっては、とてもすばらしいけれど、私の技術を高めることにはなりません。上達する唯一の方法は、悪い点を研究することです。
もっと批判をおよせください。もちろん誉められるのは、とても嬉しいです。次に書いてくださるときには、版画のどの部分をよくすべきか教えて下さい。あなたのおっしゃることに同意しないかもしれませんが、間違いなく耳をかたむけます。私が次の歌を彫り始めた時、亀井さんのコメントについて考えていたということは、事実です。
神奈川県の杉森さんからのメモを載せておきます。紀友則に付けた、スイミングと桜の花について書いたものを読まれて、このメモを送って下さいました。どうもありがとうございました。いつかお目にかかりたいと思います。
今回は、これぐらいにしておきます。 このささやかなニューズレターをだすのが楽しみです。 これを始めてよかったと思っています。 私達はちょっと『ローテク』で、コンピュターを駆使したハイテク出版というよりは、自家製出版です。 私達の仕事が、価値のある興味深いものであると思ってくださるといいのですが。 そしてもっとたくさんの方々に、お目にかかりたいと思います。 いつでもどうぞいらしてください。 後のニューズレターで紹介させていただくかも....