デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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摺師 - 松崎啓三郎さん

いままで、このコラムの職人さんは、版木屋の島野さん、刃物作りの碓氷さん、ばれん作りの五所さんのように、私の版画企画に実際にかかわりのある方々でした。今回のゲストは、少し違っています。彼は私の版画企画にはかかわりありません。 物質的にはかかわりありません。ですが、彼は非常に重要な役割を演じており、彼ぬきでは『百人一首版画シリーズ』は、あり得ないでしょう。さあ一緒に訪ねてみましょう。

仕事場への狭い階段を上がっていくと、まず耳にするのは、音です。活気のある渦巻く刷毛の音(誰か靴を磨いているのかな)....紙のなびく音...静止....そして活気のある他の音、こんどは、ひっかくような物をこする音...又静止....紙のなびく音。いったい何をしているのでしょうか。もちろん彼らは、版画を作っているのです。版木の上を刷毛でこすり、紙の上をバレンでこすり、積み上げた紙がなくなるまで、これらの動作を繰り返していく。摺り師松崎啓三郎さんと彼の息子さんの浩繁さんは、この東京下町の自宅で仕事をしておられます。

何回もこのお部屋におじゃましましたが、この日は窓は閉ざされ、冬の寒さと車の音は閉め出されており、版画を摺る音だけがはっきりと聞こえます。それらの音は、松崎さんの心臓や呼吸の音と同じ位彼にとっては慣れ親しんだものです。 彼がこの世界に入った15から39年間聞き続けてきたものです。

仕事を見せていただく時はいつでも、彼がいかに優雅にたやすく道具を使うかに驚かされてしまいます。バレンは彼の大きな手の延長のようで、刷毛に手をのばす時には、目はその動作を追おうとはしません。何千万回も繰り返しているので、何をしているか見る必要はないわけです。彼は低い摺り台に向かってあぐらをかき、バレンで版木の上の紙を押さえます。力が彼の体を流れ、肩を通って腕にいき、そして仕事の上へと出ていくのが見えます。このエネルギーは、版木からはがした和紙の中に目に見えて残ります。──これを作ったときの生命力の永久の現れとして。彼の仕事を見ていると、バレー(ダンス)とはなんであるかが理解できるように思います。

松崎さんは最初の出会いから、人がもち得る限りの寛大さ、暖かさ、親しみをしめして下さいました。この部屋では、客というよりはパートナーのような気にさせられます。最新作の出来具合を見て頂くときには、いつも彼は形式的な、丁寧さから一歩退いて、私の版画を上達させるうえでの建設的な援助を与えて下さいます。ある日彼は、私を松崎さんの仕事台に座らせ彼の道具を使って私のやり方でやってみるように言われました。私は全然うまく出来ませんでした。ぎこちない動き、スムースな色にするためのたよりない試み、力のむだずかい──私が力まかせにやろうとしたことを、彼は、なめらかな手の動きによって、やってしまいました。彼は笑い、もう一度やって見せてくださり、勇気づけの言葉をかけてくださいました。浩繁さんがとてもうらやましくなります──この部屋に座って仕事をし、動きや、仕事のリズムや、音を飲みこむことができます。

浮世絵版画の全盛時代には、松崎さんのような方がたくさんいました。この下町界隈に何人もの摺り師が住み、美しい版画を、次々に作っていました。これらの版画はいまでは世界中の美術館を飾っています。大衆のすぐれた観察眼、版元からの要求、絵師からの止むことなき技術上達への挑戦、これら総てが一緒になって、職人の水準をかってないほどに高めました。それらは、彼らの能力に対する誇りとして今も残っています。これらの総ての技術や能力が、それぞれの仕事に必要です。

そのような挑戦は、今では希です。仕事場への階段を上がると何を見ることになるかわかっています。それらは、3000枚の小さな紙です。それには、お寺の屋根に雪が降っている情景が摺られています。彼は仕事について文句をいいません。大きな物を摺る時と同じように全身をうちこんで摺っていきます。彼は摺り師であり、彼の仕事は摺ることです。これを見て欲求不満になるのは私のほうです。私は通りへ駆け出し、ここで何が起こっているかみんなに叫びたくなります。松崎さんのような人が、部屋に座って....待っています。ここにどんな宝があるか、社会が気付のを待っています。芸術家が、版元が、新しい挑戦出来るデザインをもってドアーをノックするのを待っています。若い人達が来て、見て、耳を傾けるのを待っています。

松崎さんが、私の為に時間とエネルギーを費やして下さったことにたいして、どう感謝したらいいでしょう。それには少しづつ上達すること以外にありません。少しづつ確実に....彼の技術を、実際どれだけ吸収出来るか分かりませんが、私の仕事が、うまく進まなくてイライラがたまってくるときには、仕事をしばしストップして、彼が傷のある、よく使いこんだ仕事台の前に座っている姿を思い描きます。エネルギーが、彼の腕を伝わって紙の中へと流れこんで行くのを思い描きます。どうしたらうまくいくのだろう。どうやったら....どうやったら....

松崎さん、あなたの心からのご援助にたいして『ありがとうございます』よりももっと感謝の言葉がありませんか。

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