デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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その4:次...

(前回からの続き)

私は、天智天皇の出来栄えにすこぶる満足しました。そこですぐに春章の本から他の版画を作る計画をたて、島野さんに版木の注文をして、版下の準備にかかりました。今回はもっと難しいことになりそうです。最初の版画製作に用いた原画は、平凡社出版の『歌留多』という本にページいっぱいに載っていましたが、他の絵は、全部小さく、版下にはならなかったので、他の方法を探さねばなりませんでした。私にとっての唯一の解決方法は、東洋文庫にもう一度でかけて原本の写真を撮らせてもらうことでした。しかしこれにはそんなに期待をしていませんでした。東洋文庫の方々は、本を見せて下さることには親切でしたが、複製するために写真を撮らせてくださるとは思えませんでした。

その週、三千代と私が東洋文庫に行った日は、ちょうど閉まっていました。新年から開館時間が変更になっていました。私は古いパンフレットに惑わされたのです。二時間かかって来て、又戻る、三千代は簡単に引き下がろうとはしませんでした。 いくつかの部屋に明かりがついているのが見えました。そこで彼女はドアーをノックして事情を説明し入れて下さるように守衛さんに頼みました。小山さんが二階の閲覧室で仕事をしておられました。私たちは、彼の仕事のじゃまをしたことを詫び、ためらいがちに本からの写真撮影についてお願いしました。私は、そんなにも悲観的になる必要はありませんでした。彼はほほ笑んで写真撮影の申し込み用紙を下さいました。私は最初の10ページの写真を注文しました。

何故10枚? 何故最初の10ページ? どうしてだったか確信はありませんが、わたしの最初の衝動は 全部注文することでした。それがとても好きでしたので、研究するのに全セット欲しいと思いました。多分私が指で計算してみて高かったからか、又は、三千代が頭のなかでソロバンをはじき終わったときの目が、比較的に安い10枚にしておくように告げたからかもしれません。どの10枚にするかは全く重要ではありませんでした。その時点では、どれか好きなのを選ぶほどまでその本をよく調べていませんでした。ただ何とか始めたかっただけでした。

家に戻り、計画を立て始めました。近くの画材店から材料を買ってきて、版画の包装のサンプルをいろいろ作ってみました。山口さんに電話をして素晴らしい和紙を注文しました。版画に私の名前を空摺りで入れるための印刷用の活字を買って来ました。しかし大部分は座って考えました。....私の摺の技術がよくなるだろうか。....版画、包装、説明文を魅力あるようにまとめられるだろうか。....英語クラスの合間に時間をみつけられるだろうか。....そして....

100枚の版画を作ろうと考えていたでしょうか。いいえ(少なくとも声にだしては)。全セットを作る仕事にのりだすという考えは、恐ろしい事でした。そこでそのことにについては、考えない事にしました。私はもっと小さな達成出来るゴールに焦点を合わせました。基本的な考えは、その本から10枚選び、彫って、摺って、百人一首に興味のある収集家の方々に提供することでした。

もちろんすぐに18クラスある英語教室が、始まろうとしていました。 島野さんの版木がもうすぐ届くはずで... そうですよね

... 続く ...

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