デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」の一冊の内容です。

ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。

41号から最新号まで

1号から40号まで



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'Hyakunin Issho'
Newsletter for fans of David Bull's printmaking activities
Spring : 2011

今年は、東北地方の方たちにとってはもちろんのことですが、日本全体としても困難を抱える春となりました。今回の自然災害が起きると、たくさんの友人や家族が私のことをとても心配してくれましたが、私はほとんど影響を受けずに過ごせています。

最初の大地震が起きたとき、私はたまたま都心にいました。電車はすべて不通となって帰宅困難な状態になりましたが、版画が取り持つ縁で救われることになったのです。収集家の土井利一さんの家にその晩泊めていただくことができ、翌朝無事に家に帰り着くことができました。

その後黙々と作業を続けながらも、東北に関するニュースを聞いたり見たりしています。この国の人たちはきっと、この困難な状況を乗り越えていくことと確信していますが、被害にあった地域の人たちの悲惨な状況を耳にすると胸が痛む思いです。私の家は海から遠く離れていますし、コンクリートの堅牢な建物ですから比較的安全ですが、今後も日本のどこを大地震が襲ってくるか分かりません。絶対に安全な場所などないのです。

さあ、どうなることでしょう!

2010年収支決算報告

メディアに取り上げられる機会という観点からみると、ここ数年は、大いに注目されるか無視されるかの両極端(最近はもっぱら後者!)になっています。でも昨年は、まずまずといったところでした。何回もとは言えませんが、良い機会が何度かありました。

「江戸楽」2010年11月

これは比較的新しい雑誌です。江戸の歴史に興味のある人たち向けに、都内あるいはその近在での活動や商品を取り上げて、とてもきれいな印刷で紹介しています。当然私はこの範疇に入りますから、ためらうことなくインタビューに応じました。

「緑豊かなこの地で、彼は三百年後の人々に向けた作品を生み出し続けている。デービッドさんは言う、『どんなに大きな工場で作っている商品も、いずれはゴミになります。でも私が手掛けている木版画はゴミになることがありません。江戸時代の作品が残っているように、和紙は今より味わいを持ち、二百年、三百年と残っていくのです。今まだ生まれていない人、そしてその子どもにまで続いていくものなのです』と。」

「プレイボーイ」2010年9月

私が、プレイボーイに掲載されたんです! 西洋の読者が興奮してこの号を欲しがり出さないうちに説明しておきますが、私に関する記事は、この雑誌の読者がほとんど関心を示さない内容です。

編集者が、毎回ある分野を選んでその仕事に従事する何人かにインタビューするという特集を組み、今回のテーマがたまたま「芸術家」だったので、私がそのひとりに選ばれたという訳です。たいした内容もないレポートですが、自分の略歴に加える価値はあるでしょう!雑誌関連はこういったところですが、昨年中で最高の成果を収めたメディア参加は、9月に収録されたNHKの番組です。

「ジャパノファイルズ」NHKワールド

この番組については前号でも触れましたが、半年を過ぎた現在もまだお伝えすることがあります。

今まで出演した番組の中で最も成功を収める結果になった、という報告ができるからです。何しろ20人以上の収集家が増える結果となったのですから。

これは、まったく予想外でした。世界中に発信されるテレビ番組に出演するのは、初めての経験ではありません。こういった番組には興味がありますし、出演するのが面白くもあるのですが、ビジネスの助けにならないことは知っていました。でも今回はちょっと違っていたのです。それには2つの理由が考えられます。ひとつは、視聴者が無作為ではなかったということです。日本とその文化に関心のある人たちが、この番組を選んで視聴した訳ですから、当然、番組の内容を吸収する「最良」の下地があったのです。ふたつ目の理由は、内容自体です。プロデューサーは、一般向けの言葉を使って私の仕事を説明しただけでなく、実物の「美の謎」をカメラのすぐ前にあるテーブルに置いて、ホスト役のピーター・バラカンさんとこの集について話をするように指示しました。普通のNHK番組ではありえない、「宣伝を兼ねた情報提供」に近い場面でした!

今この話を読んでおられる新収集家の方たちも、私たちを結びつけてくれたNHKに感謝してください!昨年のメディア関連はこんなところでしょうか。長年の収集家の方たちは、ここから先の記事は予想できますよね。そう、春号では「恒例の会計報告」をすることになっているのです!

私、なんだか嬉しそうですか? その通り! ここ数年続けていた会計報告を考えれば、どのような内容でも改善ということになりますから!報告内容は単純です。収入が何年ものあいだ確実な減少傾向にあり、1昨年は赤字でしたが、表をご覧になればお分かりのように、なんとか改善の方向に向かったのです。これはちっとも不思議ではありません。単純に「美の謎」シリーズに人気が出たからです。とても魅力のある作品ですし価格も抑えてあるので、注文が増えました。

このシリーズには、「どう言う訳か」予想していた以上に手が掛かりましたが、数か月前に報告したように家のローンが終わっていましたから、毎月の返済引き落としに間に合うように作品を発送できるだろうか、などと心配しなくても良くなっていたのです。

それで、何年振りかで通帳に預金額が残り、収入が右から左へ消えていくという状況から脱したのみならず、少しずつ貯金が増えています。世界的に不況傾向であるにもかかわらず、昨年はこの状態を継続することができました。このことは、別の質問を投げかけもします。

これからどんな方向に進んでいくのか? 現在の「美の謎」シリーズが今年の終わり頃に完結しますから、その時点で私の収入はゼロになります。次のシリーズを企画して行動に移さなくてはならないのは明確で、おそらくそうするだろうと思います。その時点で、シリーズの収集を中止する方もいれば、継続する方もいらっしゃるでしょうし、また、次の企画のどこかに魅力を感じて新たに収集に加わる人も出てくる事でしょう。

でも最近私は(私と話をしている人ならお分かりでしょうが)「長期的観点」から、あることを模索しています。考えていることを、思い付くままに書き記してみましょう。

- 先日、収集家のひとりである大前ジャネットさん(2005年の夏号でご紹介しています)の還暦祝いに招待された。それは、彼女が音楽も家族との絆も大事に育んでいることが感じられる、素晴らしいパーティーだった。そして閉会の間際には、将来の抱負についても語ってくれた。彼女は、発展途上国からの演奏家に焦点を当てて、将来有望な演奏家たちのためにコンサートを催す組織を設立している。ジャネットには将来への計画がある!

- 同じ年齢である私は(私も今年還暦)、やはり「長期的視点」から自分の将来を見据えようとしている。現在の日常生活は、とても居心地のいいものだ。川辺の工房で1日中心静かに作業をし、出来上がった作品は人々の手に渡り喜ばれる。だが、80才あるいは90才になっても同じ生活が続けられる(続けるべき)だろうか? 年老いても、そんな世捨て人みたいな生活を続けていいものだろうか? 

- 需要の減少が原因だろうか、この仕事をするための材料が手に入りにくくなっている。その良い例がニカワだ。先月、日本で唯一伝統的なニカワ材(版画だけでなく日本画にも必要とされる)を製造していた会社が生産を中止してしまった。現在のところニカワはまったく入手不可能で、どのように解決策を求めたらいいのか誰にも分からない。

- 私が選んだこの国(現代の日本)は、近頃とても奇妙な状態にある。長年続いてきた生き方や雇用形態が崩れ、大勢の若者が将来どのような仕事につけばいいか、方向性すら見えずにいる。(最近起きた自然災害がどの程度これに拍車をかけるか、現時点では分からない。)

- 前回の号で言及したように、ローンが完済した今、自宅は完全に抵当権から開放された。税金や維持費は払い続けなくてはならないが、もう毎月引き落とされる「多額の支払い」はなくなった。つまり、「自由に使える」財源が突如出現した訳だ。

こんなところでしょうか。「思い付くまま」と書きましたが、実際その通りではありません。内容全体を眺めれば、ひとつの構想が見えてくるのです。みなさんにその構想を説明する前に、ある一点に触れておきましょう。1994年の春まで、ちょっと時を遡ります。ちょうど10年企画の「百人一首シリーズ」が半分まで完成して、私は版画家としての自信をつけ、また何よりも生計を立てるのに十分な数の収集家が集まったことで、安定した生活ができるようになった時です。夢が実現しました。私はこの季刊誌の15号で、こんなことを書きました。

「ジョージ・バーナード・ショウが、こんな格言を残しています。『人生にはふたつの悲劇がある。ひとつは、願いがかなわないこと、そしてもうひとつは、それがかなうことだ。』彼が暗示しているのは、人は欲しいものを手に入れても、満足できないままであるということです。」

あれから15年が過ぎた今、私は再びこのことを引き合いに出します。何故なら、読者の中には、「デービッドはどうしてこんなことを言うのだろう。きっと仕事の仕方でも変えるのだろうか。うまくやってきているのに、満足できないのだろうか?」と思う人がいるでしょうから。この質問に対しては、再び、同じ号で書いた内容で答えることができます。

「ショウ氏の見解は真実だと思います。でも私は、心配していません。最初の悲劇もふたつ目の悲劇も。なぜなら、この矛盾から逃れる道があるからです。それは単純で、夢をいくつも持てばいいのです。実現可能な夢と……、永久に到達できない夢です。」

みなさんには、私が将来進む方向が見えてきたことでしょう。次の「夢」に向かって真剣に取り組む時がきたのです。何年間もこのニュースレターを購読してきている方なら、この意味がお分かりですね。今から3年前、私は「木版館」という事業を立ち上げました。考えたことは単純、たくさんの魅力ある版画を他の職人たちと共同制作するということです。私は何とかして、数枚の作品を出版しましたが、その後の数年は経済的にとても大変な状態だったために、この構想を押し進めることができずにいました。でも完全に忘れ去っていた訳ではありません。実際、現在の木版館のカタログに掲載している作品は少ないにもかかわらず、私の収入のかなりの部分がここから得られるようになっているのです。木版館の構想は、明らかに実現可能です。足りないのは投資、時間と資金の投入です。

さあ、前進! このあとのページでは、よちよち歩きを始めた木版館がどのように進んでいるかをちょっと覗いてみることにしましょう!

木版館

伝統的な手順で木版画を制作して、それを出版する事業、ちょっと考えると極めて無謀なことに思えます。材料も道具も手に入れるのは難しくなっていますし、おまけにもの凄く高価です。必要な人材が得られる組織などありませんし、人件費も随分高くなっています。そして市場は(今までもずっとそうでしたが)かなり縮小しています。

それなのに何故? 理由は単純明快。私自身が版画好きで、自分の作品を通じて知り合った多くの人たちが、努力に見合う「何か」があるという見解に同意しているからです。現代に生きる私たちは、すぐれた近代的技術に囲まれて暮らしているので、敢えて昔の物作りを保存する「必要性」など云々する理由はありませんが、私は版画が面白くて簡単に諦められないのです。

この写真を見て下さい......。こんな思いを持つのは、私だけではないのです!木版館の企画に参加している「仲間」をご紹介しましょう。(この人たちは、もちろん私の「従業員」ではありません。独立した職人です。)この写真に写っているのは、研修中の彫師である佐藤典久さんと摺師の鉄井裕和さんです。私たちの前にあるテーブルの上には、木版館の新企画である千社札の最初の1組を作る色分けがあります。この企画の簡単に説明しますと、昔の千社札という形式を取った、小さくてきれい、かつ魅力的な版画です。ほぼ100年前には、コレクションとして集めて交換したりする人がたくさんいました。[注文ページは、ここにあります。]

2人ともちょっと複雑な思いはあるようですが、とにかく彼らがこの冒険的な事業に協力してくれるのはとても嬉しいことです。私が自分でできる仕事だということは、2人とも知っています。それなのに、どうして他の人を雇うのでしょうか。

明らかな理由は、他の人に協力してもらえば、ひとりでするよりもずっと多くの製品を作れるからですが、別の理由は、数ページ前に説明したことに関連しています。版画家としての自分の将来を考えるからです。次の想定のどちらが道理にかなっているでしょうか? 80才のデービッドがひとり工房にこもって作品を作り続けるのか、あるいは、その「老人」が知識と経験を使って大量の美しい版画を制作する「陣頭指揮」をとるのか。後者の場合には、若くて意欲的な人に仕事を提供することができます。

遥かに楽しいのはどちらか、私は分かっているつもりです。私がこのような将来を望むのなら、自ら行動を起こさなければなりません。なぜなら、自然に「そうなる」などということはあり得ないからです。しっかり考え、......それから行動に移す......。

ここでひとつ、はっきりさせておかなくてはならない点があります。私自身で制作する版画についてです。「美の謎」シリーズがその例で、「せせらぎスタジオ」という出版名で制作している版画はすべて、彫りも摺りも私がしています(これからも続けるでしょう)。鉄井さんや佐藤さんは、一切手を出しません。私は自分の腕に誇りを持っていますし、せせらぎスタジオから発する作品には誰にも手出しをさせません。

ここでもう1人ご紹介しましょう。若手の絵師である関香織さんです。「美の謎」シリーズを集めていらっしゃる方は、すでに彼女の作品をご覧になっていますが(浦島太郎は彼女が描いた絵です)、他の方たちは千社札を手にするまでお待ち下さい(ご注文くださいますよね)。彼女は今年、千社札の四季(毎回3枚)をすべて描く約束をしています。

香織さんは美術に関心を持つようになった時から、浮世絵の勉強を続けているので、作品にその影響が反映されています。彼女の作品集を見ると、素晴らしい木版画になりそうな絵が、私には使い切れないほどたくさんあります。2人が共に進めばきっと良い将来があることでしょう。

以上が、私たちの制作「仲間」です。みんな若くて、とても意欲的です。彼らは、田内陽子さんの支援を受けながら新千社札を「作り上げて」いく事でしょう。田内さんについては、数年前にこのニュースレターでご紹介した方で、この企画の書を担当してくださっています。現在のところ、経営側に属する職員は私だけですが、次の号で「募集」記事を掲載するかも知れません。(これは、あながち冗談ではありません。新事業に必要な費用を捻出するためには、自分自身の制作を中断なく継続しなくてはなりませんが、両方を同時進行させていくのは物理的に無理なのです!)

これで、「誰が何を」木版館から出版するかについて、御理解いただけたと思います。小さな千社札を何枚か出版するなど、たいしたことではありませんが、とにかく始めなければ先がないのです。私たちが魅力的な商品を作って、それが人々に愛されるのならば、そこから道が開けるはず。次なる発展をお知らせする、このコーナーをお見逃しなく!

YouTube

このニュースレターの最初にテレビについて書きましたが、ビデオに関してのお知らせもあります。今人気のあるYouTubeというビデオサイトがありますが、私も最近自分のページ(チャンネル)を開き、いくつかのビデオを掲載しています。収集家や友人は、興味を持って見てくださることでしょう。

その中には、私の仕事場への「訪問」や、現在進行中の「美の謎」シリーズの紹介や、「初めての木版画」という題のeBookの一部などがあります。これから数か月もすれば、もっとたくさん掲載しているでしょう。現在は、先のページでご紹介した佐藤さんと、私が摺りの勉強をした時に助けてくださった故伊藤進さんを特集したビデオを準備中です。 どうぞ、ご覧になってみてください!

http://www.youtube.com/user/seseragistudio

趣味

今まで遠くの方から聞こえて来ていた介護と言う言葉が、近頃は耳の近くで響くようになっている。行う立場になるか受ける側になるか、どちらの可能性も年々高くなってきているのだ。そして最近、ふたりの近しい友人の体験に多くを考えさせられた。

ふたりとも男性に依存して生きるタイプの女性ではなく、子育てを終えたあとも仕事を持ち自立して生きている。そしてそのふたりが、介護を必要とする親を抱えることになった。それからの行動がとても対象的に展開したのだ。一方は、基本的な生活リズムを崩さずに介護を継続するという決断をした。仕事と介護と趣味、バランスは変動的であったろうが、とにかく自分の日常に介護を組み込んだ。生活は当然目が回るほどの忙しさになり、眠気を押して親元から車を走らせ、なんとか翌日/当日の仕事に間に合ったことなどは限りなかったはず。兄弟にもどんどん協力を求めた。彼女は言う、自分の世界を持ち続けることで人生の緊急事態ともいえる難関を乗り越えることができたと。

もうひとりの友人は、できる限り自分で世話をしようと心がけた。唯一の心の安らぎであった朝の散歩もやがて出来なくなり、仕事と介護の濁流の中に飲み込まれ、痴呆の進む親に罵声を浴びせては後悔し己を責める日々が続いた。とうとう身も心もぼろぼろになり、兄弟の決断で親を施設に入れる手続きが進んだ。その決定に後ろめたさを感じ、今も悩み続けている。

私の母親は、80を過ぎた今も心身共に健康で暮らしている。だが、いつ何時私が友人たちと同じような立場になるとも限らない。そして、「このことをしていれば我を忘れて楽しめる」という趣味のない自分にふと気付いた。

趣味と言うのは、友達の輪を広げ自分の世界をも拡大してゆく。自分の努力でより深い楽しさが生まれる世界を持ち続けることは、一生の間に何度か直面する様々な危機を乗り越える大きな心の助けとなるのではなかろうか。

そんな話をデービッドにすると、「当たり前じゃないか」といった表情。趣味がこうじて版画師になったコイツは強い!

家族ニュース

私の家族は世界中に分散しているので、一堂に会するのはとても大変です。昨年の秋には、今年の2月に集合する計画を立てていたので、飛行機の手配も済ませていたところ、ドイツにいる弟が仕事の都合で行けなくなってしまいました。

私は飛行機の切符をキャンセルせず、予定通りバンクーバーに向かいました。私の主な目的は、「サイモン叔父さん」と一緒に過ごすことではなく、ふたりの坊やに会うことなのですから!アレックスとアンドレイは、日々成長する年齢なので、1年も会わずにいたらまるで別人になっていますよ!

これからの数年は、少し複雑で好奇心をそそるようなおもちゃが使えるようになるので、一緒に遊ぶのがもっと面白くなってくるでしょう。日本にはそんなおもちゃがたくさんありますから、これからしばらくの私の役目はかなりはっきりしています!

そうそう、忘れるところでした! 私の両親も元気にしています。写真を見て下さい、背筋をシャキッと伸ばしているのは彼らだけですよ!