メディアに取り上げられる機会という観点からみると、ここ数年は、大いに注目されるか無視されるかの両極端(最近はもっぱら後者!)になっています。でも昨年は、まずまずといったところでした。何回もとは言えませんが、良い機会が何度かありました。
「江戸楽」2010年11月
これは比較的新しい雑誌です。江戸の歴史に興味のある人たち向けに、都内あるいはその近在での活動や商品を取り上げて、とてもきれいな印刷で紹介しています。当然私はこの範疇に入りますから、ためらうことなくインタビューに応じました。
「緑豊かなこの地で、彼は三百年後の人々に向けた作品を生み出し続けている。デービッドさんは言う、『どんなに大きな工場で作っている商品も、いずれはゴミになります。でも私が手掛けている木版画はゴミになることがありません。江戸時代の作品が残っているように、和紙は今より味わいを持ち、二百年、三百年と残っていくのです。今まだ生まれていない人、そしてその子どもにまで続いていくものなのです』と。」
「プレイボーイ」2010年9月
私が、プレイボーイに掲載されたんです! 西洋の読者が興奮してこの号を欲しがり出さないうちに説明しておきますが、私に関する記事は、この雑誌の読者がほとんど関心を示さない内容です。
編集者が、毎回ある分野を選んでその仕事に従事する何人かにインタビューするという特集を組み、今回のテーマがたまたま「芸術家」だったので、私がそのひとりに選ばれたという訳です。たいした内容もないレポートですが、自分の略歴に加える価値はあるでしょう!雑誌関連はこういったところですが、昨年中で最高の成果を収めたメディア参加は、9月に収録されたNHKの番組です。
「ジャパノファイルズ」NHKワールド
この番組については前号でも触れましたが、半年を過ぎた現在もまだお伝えすることがあります。
今まで出演した番組の中で最も成功を収める結果になった、という報告ができるからです。何しろ20人以上の収集家が増える結果となったのですから。
これは、まったく予想外でした。世界中に発信されるテレビ番組に出演するのは、初めての経験ではありません。こういった番組には興味がありますし、出演するのが面白くもあるのですが、ビジネスの助けにならないことは知っていました。でも今回はちょっと違っていたのです。それには2つの理由が考えられます。ひとつは、視聴者が無作為ではなかったということです。日本とその文化に関心のある人たちが、この番組を選んで視聴した訳ですから、当然、番組の内容を吸収する「最良」の下地があったのです。ふたつ目の理由は、内容自体です。プロデューサーは、一般向けの言葉を使って私の仕事を説明しただけでなく、実物の「美の謎」をカメラのすぐ前にあるテーブルに置いて、ホスト役のピーター・バラカンさんとこの集について話をするように指示しました。普通のNHK番組ではありえない、「宣伝を兼ねた情報提供」に近い場面でした!
今この話を読んでおられる新収集家の方たちも、私たちを結びつけてくれたNHKに感謝してください!昨年のメディア関連はこんなところでしょうか。長年の収集家の方たちは、ここから先の記事は予想できますよね。そう、春号では「恒例の会計報告」をすることになっているのです!
私、なんだか嬉しそうですか? その通り! ここ数年続けていた会計報告を考えれば、どのような内容でも改善ということになりますから!報告内容は単純です。収入が何年ものあいだ確実な減少傾向にあり、1昨年は赤字でしたが、表をご覧になればお分かりのように、なんとか改善の方向に向かったのです。これはちっとも不思議ではありません。単純に「美の謎」シリーズに人気が出たからです。とても魅力のある作品ですし価格も抑えてあるので、注文が増えました。
このシリーズには、「どう言う訳か」予想していた以上に手が掛かりましたが、数か月前に報告したように家のローンが終わっていましたから、毎月の返済引き落としに間に合うように作品を発送できるだろうか、などと心配しなくても良くなっていたのです。
それで、何年振りかで通帳に預金額が残り、収入が右から左へ消えていくという状況から脱したのみならず、少しずつ貯金が増えています。世界的に不況傾向であるにもかかわらず、昨年はこの状態を継続することができました。このことは、別の質問を投げかけもします。
これからどんな方向に進んでいくのか? 現在の「美の謎」シリーズが今年の終わり頃に完結しますから、その時点で私の収入はゼロになります。次のシリーズを企画して行動に移さなくてはならないのは明確で、おそらくそうするだろうと思います。その時点で、シリーズの収集を中止する方もいれば、継続する方もいらっしゃるでしょうし、また、次の企画のどこかに魅力を感じて新たに収集に加わる人も出てくる事でしょう。
でも最近私は(私と話をしている人ならお分かりでしょうが)「長期的観点」から、あることを模索しています。考えていることを、思い付くままに書き記してみましょう。
- 先日、収集家のひとりである大前ジャネットさん(2005年の夏号でご紹介しています)の還暦祝いに招待された。それは、彼女が音楽も家族との絆も大事に育んでいることが感じられる、素晴らしいパーティーだった。そして閉会の間際には、将来の抱負についても語ってくれた。彼女は、発展途上国からの演奏家に焦点を当てて、将来有望な演奏家たちのためにコンサートを催す組織を設立している。ジャネットには将来への計画がある!
- 同じ年齢である私は(私も今年還暦)、やはり「長期的視点」から自分の将来を見据えようとしている。現在の日常生活は、とても居心地のいいものだ。川辺の工房で1日中心静かに作業をし、出来上がった作品は人々の手に渡り喜ばれる。だが、80才あるいは90才になっても同じ生活が続けられる(続けるべき)だろうか? 年老いても、そんな世捨て人みたいな生活を続けていいものだろうか?
- 需要の減少が原因だろうか、この仕事をするための材料が手に入りにくくなっている。その良い例がニカワだ。先月、日本で唯一伝統的なニカワ材(版画だけでなく日本画にも必要とされる)を製造していた会社が生産を中止してしまった。現在のところニカワはまったく入手不可能で、どのように解決策を求めたらいいのか誰にも分からない。
- 私が選んだこの国(現代の日本)は、近頃とても奇妙な状態にある。長年続いてきた生き方や雇用形態が崩れ、大勢の若者が将来どのような仕事につけばいいか、方向性すら見えずにいる。(最近起きた自然災害がどの程度これに拍車をかけるか、現時点では分からない。)
- 前回の号で言及したように、ローンが完済した今、自宅は完全に抵当権から開放された。税金や維持費は払い続けなくてはならないが、もう毎月引き落とされる「多額の支払い」はなくなった。つまり、「自由に使える」財源が突如出現した訳だ。
こんなところでしょうか。「思い付くまま」と書きましたが、実際その通りではありません。内容全体を眺めれば、ひとつの構想が見えてくるのです。みなさんにその構想を説明する前に、ある一点に触れておきましょう。1994年の春まで、ちょっと時を遡ります。ちょうど10年企画の「百人一首シリーズ」が半分まで完成して、私は版画家としての自信をつけ、また何よりも生計を立てるのに十分な数の収集家が集まったことで、安定した生活ができるようになった時です。夢が実現しました。私はこの季刊誌の15号で、こんなことを書きました。
「ジョージ・バーナード・ショウが、こんな格言を残しています。『人生にはふたつの悲劇がある。ひとつは、願いがかなわないこと、そしてもうひとつは、それがかなうことだ。』彼が暗示しているのは、人は欲しいものを手に入れても、満足できないままであるということです。」
あれから15年が過ぎた今、私は再びこのことを引き合いに出します。何故なら、読者の中には、「デービッドはどうしてこんなことを言うのだろう。きっと仕事の仕方でも変えるのだろうか。うまくやってきているのに、満足できないのだろうか?」と思う人がいるでしょうから。この質問に対しては、再び、同じ号で書いた内容で答えることができます。
「ショウ氏の見解は真実だと思います。でも私は、心配していません。最初の悲劇もふたつ目の悲劇も。なぜなら、この矛盾から逃れる道があるからです。それは単純で、夢をいくつも持てばいいのです。実現可能な夢と……、永久に到達できない夢です。」
みなさんには、私が将来進む方向が見えてきたことでしょう。次の「夢」に向かって真剣に取り組む時がきたのです。何年間もこのニュースレターを購読してきている方なら、この意味がお分かりですね。今から3年前、私は「木版館」という事業を立ち上げました。考えたことは単純、たくさんの魅力ある版画を他の職人たちと共同制作するということです。私は何とかして、数枚の作品を出版しましたが、その後の数年は経済的にとても大変な状態だったために、この構想を押し進めることができずにいました。でも完全に忘れ去っていた訳ではありません。実際、現在の木版館のカタログに掲載している作品は少ないにもかかわらず、私の収入のかなりの部分がここから得られるようになっているのです。木版館の構想は、明らかに実現可能です。足りないのは投資、時間と資金の投入です。
さあ、前進! このあとのページでは、よちよち歩きを始めた木版館がどのように進んでいるかをちょっと覗いてみることにしましょう!
コメントする