デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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趣味

今まで遠くの方から聞こえて来ていた介護と言う言葉が、近頃は耳の近くで響くようになっている。行う立場になるか受ける側になるか、どちらの可能性も年々高くなってきているのだ。そして最近、ふたりの近しい友人の体験に多くを考えさせられた。

ふたりとも男性に依存して生きるタイプの女性ではなく、子育てを終えたあとも仕事を持ち自立して生きている。そしてそのふたりが、介護を必要とする親を抱えることになった。それからの行動がとても対象的に展開したのだ。一方は、基本的な生活リズムを崩さずに介護を継続するという決断をした。仕事と介護と趣味、バランスは変動的であったろうが、とにかく自分の日常に介護を組み込んだ。生活は当然目が回るほどの忙しさになり、眠気を押して親元から車を走らせ、なんとか翌日/当日の仕事に間に合ったことなどは限りなかったはず。兄弟にもどんどん協力を求めた。彼女は言う、自分の世界を持ち続けることで人生の緊急事態ともいえる難関を乗り越えることができたと。

もうひとりの友人は、できる限り自分で世話をしようと心がけた。唯一の心の安らぎであった朝の散歩もやがて出来なくなり、仕事と介護の濁流の中に飲み込まれ、痴呆の進む親に罵声を浴びせては後悔し己を責める日々が続いた。とうとう身も心もぼろぼろになり、兄弟の決断で親を施設に入れる手続きが進んだ。その決定に後ろめたさを感じ、今も悩み続けている。

私の母親は、80を過ぎた今も心身共に健康で暮らしている。だが、いつ何時私が友人たちと同じような立場になるとも限らない。そして、「このことをしていれば我を忘れて楽しめる」という趣味のない自分にふと気付いた。

趣味と言うのは、友達の輪を広げ自分の世界をも拡大してゆく。自分の努力でより深い楽しさが生まれる世界を持ち続けることは、一生の間に何度か直面する様々な危機を乗り越える大きな心の助けとなるのではなかろうか。

そんな話をデービッドにすると、「当たり前じゃないか」といった表情。趣味がこうじて版画師になったコイツは強い!

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