デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」の一冊の内容です。

ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。

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'Hyakunin Issho'
Newsletter for fans of David Bull's printmaking activities
Winter : 2010

今年の冬は、日本中のほとんどの地域でとてもひどい天候になっているようです。豪雪、雪嵐、異常低温。でも私の住む関東地方では、来る日も来る日も青空が広がっています。いつかこの地域にも悪天候が割り当てられる日が来ると覚悟はしていますが、目下のところは摺りに完璧な気候です。

今号の主となる内容は「収集家の紹介」で、海外にいるたくさんの収集家の中から御紹介する話と、私のワイシャツのポケットから取り出す記憶についてです。

その他は、現在制作している「美の謎」シリーズの進行状況と貞子さんのエッセーです。(私が書く文章の翻訳は、彼女が一手に引き受けてくれています。いつも文句1つ言わず、協力してくれてありがとう!)

今回も、楽しく読んでいただけますように。私は、もう仕事場に戻らなくては!

収集家の紹介

自分が制作した版画をお送りする方たちを、どう呼んだものでしょうか。私の営業方針を考えると、まったく答えに辿り着けません。「お客様」でしょうか? 実際、生産物を金銭と交換するのですから、理論上はこの言葉が妥当なのでしょうが、私の場合はどうもしっくりこないのです。この話の題にあるように、私はいつも「収集家」という言葉を使っていますが、こう呼ぶと、対象となる人たちを、切手を集めてアルバムを作っている子供みたいに扱っている気がするのです。かといって、「後援者」とか「資金協力者」などと呼ぶのも面映いのです。まさか、モーツアルトが活躍した時代じゃあるまいし。

でもこういったことは、全て理論上だけです。なぜなら、たいていの場合こんな言葉は不必要だからです。私の作品を受け取る人たちとの交流は、たいてい電子メールや申し込み用紙から始まりますが、新たな主に何作かの版画を送って交流を深めると、より相応しい呼び方が自然に浮かんできます。そう、「友達」です。

そんな訳で今回は、私の作品を購入してくださっている方をご紹介するというよりも、私の友人に会っていただくという気分です。

マーク・カーンさんと私は、「新版画」を研究するインターネット上のグループ活動を通して、10年ほど前に知り合いました。グループの人たちは、彼らが集めている版画を制作した職人について、よく私に質問をしていました。中にはまだ健在な職人もいたので、私は未記入になっていた空欄を埋める資料を仲間に提供していたのです。

マークとの交流を深めていくうちに、彼が軽い興味心でこの活動をしているのではなく、むしろかなりなマニアであることが分かってきました。彼が特に関心を寄せているのは新版画運動の初期で、浮世絵からどのように発展してきたかという点でした。新版画運動が起こり始めた頃、新手法を用いて制作活動をしていた作家たちのひとりに、高橋松亭という人がいます。マークは、この人に特別な愛着を持っていて、松亭個人の記録や作品に関して最も深い知識を持つ存在になっています。この研究を始めた頃マークは、当時まだ普及し始めたばかりだったインターネットが、研究や教育に絶大な貢献をするということに気付いていました。それで、自分の調べたことを公開するホームページを立ち上げたのです。そうすれば、この分野を研究する他の人たちに資料を提供できると考えたからです。

ホームページのアドレスは、「shotei.com」で、彼が見込んだ通りとても貢献するサイトであることが認められています。その証拠として、新版画の歴史や発展に関する本を読めば必ず、彼のホームページにある資料を評価する旨を記した脚注がたくさん見つかります。遡って、西洋で浮世絵研究が始まったばかりの頃、その活動を先導していたのは、深い知識を持つ意欲的なアマチュア集団でした。そして今日、マークのような存在がその伝統を引き継いでいるのです。

私が敢えて「アマチュア」という言葉を使ったのは、マークが(私もそうですが)どの研究機関にも所属せず、単独で研究活動をしているからです。彼はソフトウェアデザイナーという専業を持ち、版画研究はいわゆる「アフターファイブ」を利用して行っています。もっとも彼は、家で仕事をしているので時間の融通がきくらしく、研究をしている時刻は不定期です。受け取ったメールの発信時刻を見ると、現地時間が朝の5時であったりしますから。(私たち版画を研究している者たちは何たる犠牲を払っているのでしょうか。一晩中昔のカタログに目を通したりして、ねじり鉢巻で活躍しているのですから!)

新版画は、20世紀初頭という比較的最近に発展した分野なので、その起源に結びつきのある人がまだ健在なことがあります。そういった人たちを探し出して話を記録することは、マークの研究の一部でもあります。数年前にマークは、戦前ニューヨークで版画を出版していた人の孫を訪問するため、来日しています。マークはこういった人たちから資料を集めるだけでなく、訪問を受けた側は、彼に会わなければ知り得なかった祖先の話を聞けるので、情報交換は双方向の流れを持ちました。

正直なところ私は、マークとその仲間たちが研究している内容の一部には、あまり関心がありません。たとえば、ある特定の版画がいつ出版されたのかを正確に突き止めたり、という場合です。でも、ある分野の版画がなぜ生まれ、どのように熟成していったかなどという、より広い視点からの研究にはとても興味を持ちます。ところで、私の心を強く捉えて止まない話が、まだ残っています。新版画の起源についての話です。数人の洞察力をもった版元たちが、もっと木版画を発展させられると考え、必要な人材を集めたのです。まず、思い描く絵を紙上に具体化できる絵師を、次に、高度な技術でその絵を作品にできる職人を集めました。そうして、全ての仕事を進行させました。

この一連の人たちが創り出した遺産は、20世紀の芸術の歴史にとても重要な1章を残すことでしょう。まだ完成はしていませんが、現在研究している人たちが互いの成果を持ち寄り続ければ、いつの日かそうなるはずです。

何年か前にマークが、私の作品を彼の膨大な蒐集の中に加えようとしたとき、私は当然ながらとても嬉しく思いました。でも、新作を彼に送る度にちょっとした心のうずきのようなものを感じます。私の作品が、20世紀の偉大な作家達の貴重な作品群の中に加えられていくのです。自分の作品がこうして受け入れられているのは、大きな喜びですが、ちょっとドキドキする気分です。

過去の最高傑作が持つ細かなニュアンスを敏感に見抜く目を持った人が、私の収集家の中にいる……、身の引き締まる思いがすると受け止めれば、いいのでしょう!

マーク、長年僕の活動を支えてくれていること、そして、新版画の研究に大いなる貢献をしてくれていることに、心から感謝しているよ!

彫刻刀が伝える...

昨年の秋NHKから、「ジャパノファイルス(日本大好き)」という番組を制作するので出演しないかという打診がありました。依頼の内容を詳しく聞くと、私の仕事に関する30分のドキュメンタリーが主な内容になるだけでなく、それがNHKのワールドチャンネを通して英語で世界中に配信されるというのです。私は、喜んで参加すると伝えました。願っても無い好機だと思いました!

撮影が始まる前に、チーフプロデューサーが私を訪ねてきました。1回ではなく、2回でもなく、3回です! そして毎回、番組に関する様々な案を出し合って議論しました。私は、こういった番組に関しては山ほどのアイデアを暖めているので(読者ならもうご存知ですよね)、あれやこれやと自分の仕事に関する説明をし、彼はもっぱら聞き役としてメモを取っていました。その後、プロデューサーとそのスタッフは番組の粗筋を示す台本を書き、番組ホストを勤めるピーター・バラカンと私がそれに従うことになったのです。

番組収録の日が近づくとプロデューサーは、スタジオに持参して欲しい品々を電話で連絡してきました。主な品は、スタジオに飾る私の作品ですが、ちょっとした実演ができるような道具も持ち込むようにとのことでした。また項目の中には、自宅で彼と話をしているときに見せたある物も含まれていました。それは何年か前に、彫師の伊藤進さんが亡くなった後に、奥様から頂戴した古い彫刻刀でした。版画を始めたばかりの頃、私は伊藤さんに随分お世話になっていましたから、それをご存知だった奥さんは、私が喜ぶだろうと思い、彼の形見としてくださったのです。この品を番組で紹介するのは嬉しいことなので、その彫刻刀を丁寧に包み、胸のポケットに滑り込ませで家を出ました。

スタジオに入ると、すぐに作業開始でした。NHKの職員はとても効率的に仕事をしますし、ピーターも私もこういったことに関してはかなり経験を積んでいるので、録画は順調に進行しました。私たちは、会話が自然に聞こえるよう、一語一句台本通りに話すようなことはしませんでした。ピーターが私に質問をしながら話題を正しい方向に導き、会話は自然に流れたのです。収録の最終段階になって、私が質問された通りに、現在の「美の謎」シリーズを支える概念について説明をして、ちょっと間を置いて話の進行方向についてプロデューサーから送られる次の指示を待っていたときのことです。前方のカメラに写らない位置に立っていた彼は、私に身振りで合図を送ってきました。自分のシャツのポケットを指で示し、次に私の同じ場所を指差したのです。

彼の意図をすぐに察した私は、胸のポケットから伊藤さんの彫刻刀を取り出しました。保護用の覆いを取払い、はっきりカメラに写るように持ち、用意された台本のことはすっかり忘れて、ピーターに(世界中の人たちにも)ちょっとした話をしました。

伊藤さんが残したこの彫刻刀を見る度に私は、どれほど自分が木版画技法を理解しきれていないかを実感するということについて語りました。単純に言ってしまえば、この彫刻刀を使えないのです。もしもこれを使って彫りをすれば、すぐに刃が欠けてしまうでしょう。それほど繊細なのです。では、一体どうすればいいのか? 私はもうすぐ60才ですが、版画制作に携わった年数は30年、そのうち20年以上はプロとして活動しています。手がけた版画は何百種類、摺った枚数は何万枚にもなります。かなり高度な腕を持ち、正直なところ、世界で5本の指に入るレベルです。

この彫刻刀を使えない理由は、自分がまだ若すぎて、道具を使うときに体力を使い過ぎるからです。バレンを使って摺るときも同じです。強く押し過ぎるのです。強く押し過ぎることが感覚で分かります。どの分野の職人でも、どの厨房で働く料理人でも、仕事のほとんどは、品質の高い刃を始めとして「道具自体」がするということを知っています。

でも、誤解しないでください。自分の力不足を不名誉と頭を垂れているのではありませんよ。それどころか、まだ自分には向上の余地があることを認識している、と主張しているのです。伊藤さんの彫刻刀は、驚くほど繊細に研がれていて、その限界を完璧に提示しているのです。

私は、いくつもの段階を経て上達してきました。目立った進歩が見られず平衡状態を保ったまま暫く時が過ぎたかと思うと、突然1歩上の段階に成長します。番組の中で視聴者に向かってこの彫刻刀を紹介することは、私が次の壁を突破する準備ができていることを思い起こさせてくれました。来月の作品を彫り始めるときには、彫刻刀をもう少し鋭利な角度に研いでみようと思います。ほんの少しだけ伊藤さんに近づき、作業をするときには、自分が思う方向に刃を押すのではなく、彫刻刀自体に線を辿らせるように刃を誘導していくつもりです。

今回のNHKの収録には、ふたつの意味で感謝をしています。ひとつは世界中の人たちに私の仕事を紹介してくれたこと、もうひとつは、絶えず学び続ける姿勢を私に再確認させてくれたことです!

インターネットを利用している方は、この番組を私のホームページで見ることができます。サイトの中の「木版新聞」というコーナーで 、今まで出演した他の番組と一緒に掲載しています。

年賀状

年々数少なる年賀状、送られてくるのは、ほとんどが何十年という付き合いの友人からになった。彼女らと会う機会などまずないのだが、年に1度だけ書かれる数行が健康に暮らしていることを伝えていれば、なぜか心が落ち着くのだ。

ところが、今年はちょっとした異変が起きた。古くなってガタ付いてきた体を宥めながら暮らすようになったとか、体調の不調を訴える文面が加わってきたのだ。不安になった。このまま続けていたら年々どんな賀状を読むことになるのだろうか。子供が結婚したとか、孫ができたとか、楽しい話題に心和む新年は少しずつ遠のいていくのだろうか。

不自由を抱えつつ遠くに暮らす友人を思っているうちに、我が身が不安になってきてしまった。この体はもうすぐ62年間使うことになる。現在のところ、これといった問題点はなく、大掛かりな「修理」は必要もなく稼働しているが、いつ何時「故障」が起きてもおかしくない年数である。平均寿命を全うすると仮定すると、人生の約4分の3を過ぎたことになるから、残りは4分の1。今まで「未来」とか「将来」という言葉を当てて、無限に続く道を歩いているかのような錯覚を抱いていたその行く先に、終点がちらちら見えてきてしまった。

が、かといって悲観的になっているわけではない。人はみな限られた時を与えられているだから、現実が見えてきただけのこと。残りが少なくなればより一層、残された時を大切にしたくなるだけである。

それから、賀状には何か楽しいことを書くことにしよう。年の始めに暗い話題はマイナスにこそなれ何の益にもならないから。

最後に、還暦を目前にまだまだ自分の限界に挑むおひげさん、私はお役に立てるようこれからも努力を続けますが、トンチンカンな事を言い出したら早めに代理を探してくださいね。

前回のニュースレターで、私が25年以上も前に購入した版木について書きました。有効に使う機会を見いだせないまま、ずっと押し入れで眠っているという内容でした。

すると、読者の方たちから意見が寄せられたのです。一番多かったのは、版木を使うべきだという内容でしたが、数人の方は反対で、保存しておくべきだと言うのです。

後者の多くは、この版木の「代用品」がないからという論理です。伝統の技を受け継ぐ熟練職人がもういないのであれば、このような版木はもう作れないのだから、価値ある歴史上の品として保存しておくべきだと言います。

一方使うべきだという方たちの意見は様々です。一部の人はこう言います。版木は使われるのが「正道」であり、それに反する行為は作った人に失礼とも言える。職人は、版画に必要な材料を準備するのが仕事なのだから、その気持を打ち砕くような態度は不名誉であると。私には、自分の仕事と類似している面があるので、良く分かります。私の作品が、あちこちの美術館の引き出しに収納されるだけで、一般の人が見られず楽しめなかったら、版画を作る意味があるでしょうか?

中でも一番多かったのは、すぐに使うべきだという意見です。「できるうちに」と言うのです。お分かりになりますよね。ちょっと複雑な気持です。私はもうそんな年齢なのでしょうか? 

私自身はそれを認めたくはないのですが、これ以上迷い続けるのはあまり良くないだろうということは、否定できません。

ですから、みなさんの意見を考慮して、今年の終わりに現在の「美の謎」シリーズが完成する頃には、この版木に最も相応しい特別な作品について考え始めることをお約束します。