デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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年賀状

年々数少なる年賀状、送られてくるのは、ほとんどが何十年という付き合いの友人からになった。彼女らと会う機会などまずないのだが、年に1度だけ書かれる数行が健康に暮らしていることを伝えていれば、なぜか心が落ち着くのだ。

ところが、今年はちょっとした異変が起きた。古くなってガタ付いてきた体を宥めながら暮らすようになったとか、体調の不調を訴える文面が加わってきたのだ。不安になった。このまま続けていたら年々どんな賀状を読むことになるのだろうか。子供が結婚したとか、孫ができたとか、楽しい話題に心和む新年は少しずつ遠のいていくのだろうか。

不自由を抱えつつ遠くに暮らす友人を思っているうちに、我が身が不安になってきてしまった。この体はもうすぐ62年間使うことになる。現在のところ、これといった問題点はなく、大掛かりな「修理」は必要もなく稼働しているが、いつ何時「故障」が起きてもおかしくない年数である。平均寿命を全うすると仮定すると、人生の約4分の3を過ぎたことになるから、残りは4分の1。今まで「未来」とか「将来」という言葉を当てて、無限に続く道を歩いているかのような錯覚を抱いていたその行く先に、終点がちらちら見えてきてしまった。

が、かといって悲観的になっているわけではない。人はみな限られた時を与えられているだから、現実が見えてきただけのこと。残りが少なくなればより一層、残された時を大切にしたくなるだけである。

それから、賀状には何か楽しいことを書くことにしよう。年の始めに暗い話題はマイナスにこそなれ何の益にもならないから。

最後に、還暦を目前にまだまだ自分の限界に挑むおひげさん、私はお役に立てるようこれからも努力を続けますが、トンチンカンな事を言い出したら早めに代理を探してくださいね。

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