デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」の一冊の内容です。
ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。
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この季節は、私の木版画制作にとって特別な節目となります。1989年の初めは、私は長期企画の百人一首シリーズを始めたところでした。2枚は作ってありましたが、作品を世に出すはっきりとした方法は、まだあまり考えていなかったのです。
その年の春、見込みがあるかどうかはまるで分からなかったのですが、自分の企画について説明したパンフレットをマスコミ関連に送ってみたのです。
すると驚いたことに数か所から反応があり、次の数週間に私のことがいくつものテレビ番組で取り上げられ、新聞にも掲載されました。その新聞のひとつが、住んでいた場所の地方新聞だったので、近くでパン屋さんをしている長さんの目に止まったのです。
そして6月20日(僕はきちんと帳簿を付けていますからね!)に、ご夫婦は私の最初の2作品を購入、そのまま収集家第1号になってくださいました。
きっと長さんはこの日を忘れていらっしゃるでしょうが、私は忘れることなどできません!
それだけではないのです。以来20年間、ご夫婦はずっと私の活動を支え続けてくださっています。
長さん、こころから感謝していますよ!
前号までの2回の内容で、私の仕事について大まかなことをドキュメンタリー形式でお伝えしてきました。第3回目となる今回は、「木版画」と「浮世絵」が同意語ではないということを説明したいと思います。
[カメラ] デービッドは自宅の居間兼書斎にいる。背後は本棚やタンスで埋めつくされている。座卓に座っているデービッドは、本棚からフォルダーを引き出したり、引き出しから版画を取り出したりして作品を視聴者に見せながら、いろいろな種類の木版画について説明する。説明が終わるころには、テーブルの上は版画でいっぱいになる。
[デービッド] 「外国人が日本の文化に深くかかわっていると、日本の人々は興味を持つだろうということで、私はマスコミの注目を浴びるようになり、たびたびインタビューなどを受けました。そんなことを何度も経験していると、日本の木版画について勘違いされることの多い点が、いくつか見えてきました。例えば、このように現代的な版画を見せていると[デービッドは、制作したばかりの、風景を表現したオリジナルの版画を見せる]、レポーターはこんな質問をするのです。『きれいですねえ。どうして日本の浮世絵を作ろうと思うようになったのですか?』
「どうやら多くの人たちは、伝統木版画すなわち浮世絵と思っているようです。分からないことはありません。北斎や広重や歌麿が残した、江戸時代の有名な版画をたくさん見ているのでしょうから。そういった作品は、木版画であり浮世絵でもあります。でも、そういった印象が強すぎるために、今日の人たちは視野狭窄のような状態に陥っているのです。
「浮世という言葉は、ある意味人生観を現す言葉ですから、江戸時代の文学や歌や絵画の中に当時の人々の思いが表現されていました。ここで注意しておきたい、とても大事なことがあります。それは、浮世絵という概念が示すのはそういった有名な作品の内容であって、制作技法ではなかったということです。伝統木版画の技法は、現代の私たちが浮世絵と表する作品を、江戸時代に大量生産する唯一の手法だったのです。
「日本の木版画の世界はとても幅広く、浮世絵の範囲に留まりません。非常な多様性を秘めているのです! ですから、様々な種類の興味深い木版画がたくさんあり、その作品についてすべてを説明するとしたら、一日中話してもまだ足りないほどでしょう!」
[デービッドは棚からクリアーファイルを取り、黄色いカバーの小さな本を取り出す。それを開いて、中にある絵を見せる。小さなネズミと植物が繊細に描かれている]「これは木版画で水彩画を表現した例で、水彩画の技法を学ぶ人たち用の手本です。
「この本はとても保存状態がよくてきれいですが、たいていの場合は試し書きの筆跡や練習した絵がページ一面に残されていて、先生が筆の使い方を示したりする様子が想像できます。
「この本をじっくり見ると、まるで水彩画みたいですから、彫と摺の技術がいかに優れていたかということが分かります。筆の掠(かす)れ具合、ぼかしのように流れる濃淡、極めつけは深い色と微かな色のコントラスト!
[デービッドは本を置いて本棚の方へ手を伸ばし、もっと大きく重そうな本を取る。中を見せると、着物の絵がたくさんある。] 「木版画で作られた別の作品ですが、少しの間この本を見つめていると、その美しさに感動して言葉を失うほどです。これは着物の柄の見本帳で、顧客が柄を選べるように日本中の呉服問屋に製造元から配布されたものです。木版画はこういった目的には最適で、色やその色調をかなり巧妙に表現することができるために、着物の柄の持つ雰囲気を正確に伝えることができたのです。
[カメラ:様々な着物の絵をゆっくりと移動しながら映し出し、数ページを見せてゆく。驚くほど変化に富んだ柄がある。花柄、風景、抽象模様……、次々とページが続いてゆく……]
[デービッドの声] 「こういった見本帳を作るためには、多大な労力を要したことでしょう。何枚もの色版を必要とするページがたくさんあり、多方面にこの見本帳が配られるためには大量の枚数を摺らなくてはならなかったはずです。でも、当時の木版技術はとても効率良く機能していたので、このような大量生産でも経済的に作ることができました。しかも美しくです!」
[カメラ] [デービッドは棚から黒いクリアーファイルを取り出し、それを開いて何枚もの版画を見せる。ちょっと見たところでは、浮世絵版画のよう。] 「これは面白いですね! みなさんご存知のように、現在私たちが珍しくて貴重なものとしている浮世絵版画は、作られた当時はたいして価値のあるものではありませんでした。商用に使われた廉価なものだったのです。見てください。このフォルダーに収めてある木版画はすべて手作りですが、安価なものであったどころか、無料で配布されていたのです!
[カメラ:説明をしながら、デービッドの指は版画の上を移動してゆき、カメラは指を追う] 「これを見てください。とても伝統的な図柄を基本としています。広重の作品にとてもよく似ていますね……筏に乗って竿をあやつる男の人たちです。彫も摺も、とても上手です…… [デービッドの指が版画を過ってゆく] ……これは何でしょう?『サーロインステーキのわさび添え、ローストダックのセージ風味ドレッシング添え』日付は1930年8月27日でスペインの南東沖とあります。そうです、これは、戦前に航行していた日本郵船会社の大洋航路定期船で使われていたディナーメニューです。伝統木版画で作られていたら、外国のお客が喜ぶと考えたのでしょう。間違いなく喜ばれたと思いますよ!
「絵の部分は木版画工房で摺られ、大量に船積みされました。どの船にも小型の印刷機があり、シェフが夜の献立を決めると、その木版画の上に印刷されてテーブルに置かれたのです。」
「昔の木版画は日常生活の一部でしたから、例はいくつでも挙げることができます。[デービッドは再び本棚に手を伸ばす] 手短かに、いくつか見ていきましょう。
「これを見てください! [デービッドはもう1枚、紙を取り出す。鮮やかなピンクと緑色が見える。] 可愛らしいでしょう? でも、ここにちょっと折り目がありますね。この跡がヒントですが、ここに電話番号も記されています。もうお分かりですね、そう、のし紙だったのです! お菓子の箱の上蓋のカバーに使われていました。
「かつて木版画は生活の中で広範囲に使われていたため、こういった食品の包装にさえも使われていたのです。それにしても、何てきれいにできていることでしょう。彫の線は細やかですし、濃い色でむらなく摺られています。こういった包装紙は相当な量が作られたはずで、職人たちは誇りを持って仕事をしていたことでしょう。この店の客たちは『目が肥えている』ということを承知で、それに応えたのでしょう。」
[デービッド:話をちょっと止めて棚を見渡す。貴重な資料の中から、次に何を見せようか考えている] 「木版が、いくら日常的に利用されていたと言っても、一度にたくさんの例をお見せし過ぎるのも良くないですね。とにかくたくさんあるのです! 木版画で模様が付けられた巻紙もありますし、祝儀袋もあり、もういくらでもあります。
「こういった日常的に使われていた木版画は、あまりにありふれた存在なので、価値のないものだと思われますか? 大量生産されたものだから、丁寧に扱ったり細かく観察する意味がないと思われますか? もしもそう思っておられるのなら、これをご覧になるといいでしょう。きっと見方が変わりますよ。[デービッドは、棚から小振りの本を取り出す。] とくに変わったものではなく、明治時代の雑誌です。当時は文芸雑誌が盛んに出版されていました。この頃には印刷機が日本でも使われるようになっていましたから、本文はすべて機械印刷です。でも、こういった木版画で作られた口絵が、こんな風に本の間に挟まれているのはよくあることでした。」[デービッドは、持っている本の間から版画を広げる]
[次に、口絵がたくさん収められたフォルダーを見せる] 「こういった口絵はたいてい、雑誌の中にある話の一場面を絵にしたものでした。発売日に間に合うよう、何人もの職人たちが共同で短時間に大量生産しています。仕上げたらすぐ発送、そしてすぐまた次の仕事に取りかかったのです。
「カメラさん、ズームアップできますか? この芸術作品をじっくり鑑賞しましょう! 紙を触ってみると、ティッシュペーパーよりも薄いのですが、バレンで摺られても堪える強さがあります。文字が摺られている部分の透明な薄さを見てください。背後にある花が透けて見えますね。たった1枚の紙でできているなんて、まるで目の錯覚みたいです。文字を観察してみましょう。行毎に、たっぷり墨を含んだ筆が下に進むに従い、真っ黒から次第に薄い灰色になっていきます。これは1枚の紙、平面ですよ。版木とバレンを使って作られたもので、筆は使っていません!
「右の方にいる女性の絵を見ましょう。こめかみのところで上に梳き上げられた髪の毛は信じられないほど細かく表現されています。私よりもよほどいい目の方でないと、この細さは観察できないかもしれません。もっと近寄って見ると、髪の毛に正面摺がほどこされているのが分かります。艶(つや)を出すために版画を表からバレンでこすったのです。あちこちにある、きれいなぼかしも見てください。ここも、ここも、ここも……。この部分の背景にある布摺が分かりますか? それに、彼女が歌を書いている短冊には金属粉まで散りばめられているんです!」
「これでも、みなさんが息を飲むほどの感動を得られないとしたら、このことを思い出してください。この素晴らしい作品が、雑誌の見返しページに折り挟まれて無料で渡されていたということ。しかも、たいていの人はざっと見たら傍らにのけておくだけ。完全に消耗品のような扱いです。何ということでしょう!」
[デービッド:視聴者に向かって] 「こうしてご紹介してきた商品の多くは現在も存在しますが、もう木版画の技法は用いられていません。伝統木版画の美しさは疑う余地がなくても、現代ではとても労力に見合う収入が得られないのです。少なくとも出納を記した帳簿の収支決算を見る限りでは。
「私たちは、『より安くより速く』という方向に向けて進むべきなのでしょうか? 社会生活の中には、私たちが効率を礼賛しても不満のない分野はいくつもあります。なんといっても、現代の科学技術の御陰で私たちは、『古き良き時代』の人たちの多くが得られなかった十分な食料や快適な暮らしを享受することができるのですから。私は昔に戻りたくなどありません。」
「それでも現代社会は、何が大切で何がそうでないかを再評価し始めています。『スローフード』などという言葉を耳にしますし、『立ち止まって心にゆとりを持とう』と言い続けてきている人たちもいます。私がもう20年近くもの間、木版画で生計を立てることができているのも、こういった心を日常の一部に保持していたいと思う人たちがいるからです。」
「私の企画に参加しませんか?」
[デービッドはテーブルの上に置いたフォルダーの方を向き、視聴者も一緒に明治時代の口絵を見ながら、この回を終了してゆく。]
(次回となる第4話から、このシリーズは後半に入ります。)
私の活動に関するマスコミからの取材は、ここ数年ほとんど同じ状態で、今年もたいして変化がありませんでした。記事などの抜粋をご紹介します。
[ジャパンタイムス] 2008年6月
日本で発行されている英字新聞の中で、筆頭となるこの新聞社は、もう20年間私の記事を書き続けてきています。いつになったら「もう十分!」と言うのかと思うのですが、また取材に来たのです!
抜粋:ブル氏は、カナダのトロントで楽器店の常務取締役をしていた1980年頃、近くで開催されていた展示会で木版画に出会いました。その「立体的」に作られている美しさに魅了され(版木に彫られた線によって、摺られた紙の表面に凹凸ができる)、自分で実験的に作ってみたとのこと。
「僕は伝統を保存しているのではない」とデービッドは言う。続けて曰く「人為的に保存しようとするなど意味がなく、逆効果ですらあり時間の無駄でもある。」
[日経BPネット] 2008年9月
近年、新聞などの多くがインターネット上でも出版をするようになり、私はそこに登場することになりました。日経新聞は、膨大なサイトを運営していますが、私はその中に2部に分けて特集されました。
抜粋:「私は、楮で作った和紙、鉋(カンナ)で削った版木、美しく摺り上げる技術、それらが結集した美しい作品を作りたい。版画の善し悪しを絵柄の美しさだけで評価する人もいるかもしれないけれど、私にとっては絵の内容や図柄の美しさのウェイトは数%。もちろん、絵自体に面白さや美しさも大切ですが、版画はただの"絵"ではないのです。」
[和型] 2008年9月
私は取材依頼の電話を受けると、どんな面白いインタビューになるかとても期待して説明を聞きます。今回は、日常の中に日本文化を生かすことに専念した雑誌でした。みなさんご存知のように、私がそれに反対する理由はまるでないのですが、出来上がった雑誌をめくっていると奇妙な感じでした。私がブルージーンズで登場した次のページには、新デザインの着物を着た若い男性が写っていたのですから!
抜粋:木版画は今、アートの世界のマンションの中の1部屋で眠っているが、私の力で......木版画の部屋を再び開け、美しさに気付いてもらいたいんです。『入っておいでよ!見て!ここにはこんなに美しいものがあるんだよ!!』って。木版画を生きているジャンルにしたいんです。......大切なのは、"Just keep using it" 使い続けることなのです。
NHKの[視点・論点]
私の仕事が恩恵を受けてきているもうひとつの報道機関は、NHKです。幸いなことに、NHKはたくさんのチャンネルを持っているので、何度も繰り返し私を扱ってくれています。
数か月前、よく知られているこの番組の担当者から、「和の継承」というテーマで10分間話をしないかという出演依頼がありました。
準備は決して楽ではありませんでした。この題材に関して思い浮かぶことはたくさんありましたが、NHKのきっちりした方針に合わせて流れるような内容展開にするのは、なかなかの難題でした。でも貞子さんの助けを借りてまあまあのできに終わったと思っています。
抜粋:「退屈な仕事でしょうか? とんでもありません! 版木に彫ってたくさんの枚数を摺るという行程全体は、ほぼ2か月かかります。でもその2か月もの間、私は作品を見続けることができるのです。200枚もの美しい木版画をです。
「使っている和紙は越前奉書、世界中で作られる最高品質の部類に属し、数百年も持ちます。200枚の1枚1枚が何百年間も楽しめる、まだ生まれていない何世代も先の人たちにまで楽しんでいただけるのです! 心穏やかに2か月間働くだけで、こんなに報われるのです! 私の仕事は、日本一だと思っています!」
実際の記事や番組は Woodblock Shimbun で全文を見ることができます。
マスコミ関連の報告の後は、毎年の春号でお伝えしている財務関連の記事です。
昨年の収支報告で、かなりたくさんの方たちが私の経済状況を心配してくださいました。実際、版画はかなり売れていたのですが、決算をすると手元に残る金額は少なかったのです。
そういった不釣り合いを修正するためには、2つの方法がありました。ひとつは、もっと版画を売ることですが、これはなかなかの難題です。実際、2008年の売り上げは前年とほぼ同じでした。そしてもうひとつの手段は、出費を切り詰めることで、これはある程度実行可能でした。今年展示会を開かなかったのは、それが理由です。展示会は大きな出費ですし、他にもできる限り経営面での切り詰めを行って、今回は多少なりとも利益を上げることができました。
ところが、これは束の間の喜び、税理士からの電話で、課税対象となる所得金額が1ランク上になったために、税率が上がってしまったとのことでした。次年度いっぱい、より高い所得税と住民税と健康保険が付いて回ります。あちらを立てればこちらが立たず、いつだって、こちらを立てればあちらが立たず......。
でも不満はなし。何といっても1年間どうにかやって来られたのですから。いいえ、生き延びられただけではなく、かなり前進していると僕は思うのです。現在の「自然の中に心を遊ばせて」という企画でオリジナル版画を作り始めた時には、どんな版画を創っていけるのか、暗中模索の旅立ちでした。それがどうでしょう、結果を見てください!
誰がこの結果を予期したでしょう......。本人には、まったく予想不能でした!
4月の終わりに10日程アメリカの友人を尋ねたのだが、その折りに素晴らしい女性を紹介された。会う前に大まかな説明は聞いていたものの、実際に何時間かを一緒に過ごして、私は彼女の生きる姿勢に深く感動した。幼女のように好奇心に満ちた輝く目は、今もはっきりまぶたに浮かんでくる。
ノーラという名の彼女は現在94才。苦難に満ちた激動の時代を生き抜き、大病も何度かしている。詳しい経過は自伝を読んでいないので分からないが、80才を過ぎてから小説を書き始め、現在は大学の講義も受ければボランティア活動もし、旅行も楽しんでいるという。長距離は避けるものの、車の運転もしているとか。とにかく好奇心旺盛で童女のような人、頭脳も明晰だ。
最近は、90才を過ぎても現役で若い者顔負けの活躍ぶりを見せる高齢者は少なくないらしく、テレビなどで紹介されることは珍しくない。だが、実際にそんな女性と一緒に行動し会話をすることで、私は大きな衝撃を受け、はっきり見えてくるものがあった。それは、自分の中に潜む「甘え」である。
実は私、今年の初めに還暦を迎えている。30、40、50という数の節目ごとに過去を振り返り、漫然と生きてきた己に多少のふがいなさを感じはしても、一晩眠れば元の木阿弥。相変わらずの漫然とした生活にするりと戻るのが常だった。だが、さすがに60回目の誕生日は違っていた。60年の重みがずしりと胸にこたえたのである。加えて、もう新たなことに取り組むことなどできず、下り坂を歩むだけなのだろうかと、正直、多少の寂しさも感じていた。
その視点がノーラに会うことで大転換。彼女から見れば私など、まだまだはなたれ小僧のようなもの、残された貴重な時をしっかり生きなくてはと感じ入った。その衝撃は、自分の下の敷物をさっと引き抜かれて、気付いたら地面の上に立っている、そんな気分だった。
聞こえてきますよ、ノーラに会わなくても良いお手本が何年も前から目の前にあるじゃない、という声がね。確かにそう、このおひげの男性は常に新しいことに挑戦しているけれど、私のお手本となるには浮世離れし過ぎているんですよ。絶えまぬ挑戦はいいけれど、生活面でのバランスという観点から見ると、私の掌握範囲を超え過ぎている。
ともあれ、ノーラの示してくれた生き方を、しっかり心に留め置きたい。最後の最後まで、前進あるのみ!