デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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「忘れられた美」 その3

前号までの2回の内容で、私の仕事について大まかなことをドキュメンタリー形式でお伝えしてきました。第3回目となる今回は、「木版画」と「浮世絵」が同意語ではないということを説明したいと思います。

「伝統木版画の忘れられた美」
「第3話 伝統木版画の広範な世界」

[カメラ] デービッドは自宅の居間兼書斎にいる。背後は本棚やタンスで埋めつくされている。座卓に座っているデービッドは、本棚からフォルダーを引き出したり、引き出しから版画を取り出したりして作品を視聴者に見せながら、いろいろな種類の木版画について説明する。説明が終わるころには、テーブルの上は版画でいっぱいになる。

[デービッド] 「外国人が日本の文化に深くかかわっていると、日本の人々は興味を持つだろうということで、私はマスコミの注目を浴びるようになり、たびたびインタビューなどを受けました。そんなことを何度も経験していると、日本の木版画について勘違いされることの多い点が、いくつか見えてきました。例えば、このように現代的な版画を見せていると[デービッドは、制作したばかりの、風景を表現したオリジナルの版画を見せる]、レポーターはこんな質問をするのです。『きれいですねえ。どうして日本の浮世絵を作ろうと思うようになったのですか?』

「どうやら多くの人たちは、伝統木版画すなわち浮世絵と思っているようです。分からないことはありません。北斎や広重や歌麿が残した、江戸時代の有名な版画をたくさん見ているのでしょうから。そういった作品は、木版画であり浮世絵でもあります。でも、そういった印象が強すぎるために、今日の人たちは視野狭窄のような状態に陥っているのです。

「浮世という言葉は、ある意味人生観を現す言葉ですから、江戸時代の文学や歌や絵画の中に当時の人々の思いが表現されていました。ここで注意しておきたい、とても大事なことがあります。それは、浮世絵という概念が示すのはそういった有名な作品の内容であって、制作技法ではなかったということです。伝統木版画の技法は、現代の私たちが浮世絵と表する作品を、江戸時代に大量生産する唯一の手法だったのです。

「日本の木版画の世界はとても幅広く、浮世絵の範囲に留まりません。非常な多様性を秘めているのです! ですから、様々な種類の興味深い木版画がたくさんあり、その作品についてすべてを説明するとしたら、一日中話してもまだ足りないほどでしょう!」

[デービッドは棚からクリアーファイルを取り、黄色いカバーの小さな本を取り出す。それを開いて、中にある絵を見せる。小さなネズミと植物が繊細に描かれている]「これは木版画で水彩画を表現した例で、水彩画の技法を学ぶ人たち用の手本です。

「この本はとても保存状態がよくてきれいですが、たいていの場合は試し書きの筆跡や練習した絵がページ一面に残されていて、先生が筆の使い方を示したりする様子が想像できます。

「この本をじっくり見ると、まるで水彩画みたいですから、彫と摺の技術がいかに優れていたかということが分かります。筆の掠(かす)れ具合、ぼかしのように流れる濃淡、極めつけは深い色と微かな色のコントラスト!

[デービッドは本を置いて本棚の方へ手を伸ばし、もっと大きく重そうな本を取る。中を見せると、着物の絵がたくさんある。] 「木版画で作られた別の作品ですが、少しの間この本を見つめていると、その美しさに感動して言葉を失うほどです。これは着物の柄の見本帳で、顧客が柄を選べるように日本中の呉服問屋に製造元から配布されたものです。木版画はこういった目的には最適で、色やその色調をかなり巧妙に表現することができるために、着物の柄の持つ雰囲気を正確に伝えることができたのです。

[カメラ:様々な着物の絵をゆっくりと移動しながら映し出し、数ページを見せてゆく。驚くほど変化に富んだ柄がある。花柄、風景、抽象模様……、次々とページが続いてゆく……]

[デービッドの声] 「こういった見本帳を作るためには、多大な労力を要したことでしょう。何枚もの色版を必要とするページがたくさんあり、多方面にこの見本帳が配られるためには大量の枚数を摺らなくてはならなかったはずです。でも、当時の木版技術はとても効率良く機能していたので、このような大量生産でも経済的に作ることができました。しかも美しくです!」

[カメラ] [デービッドは棚から黒いクリアーファイルを取り出し、それを開いて何枚もの版画を見せる。ちょっと見たところでは、浮世絵版画のよう。] 「これは面白いですね! みなさんご存知のように、現在私たちが珍しくて貴重なものとしている浮世絵版画は、作られた当時はたいして価値のあるものではありませんでした。商用に使われた廉価なものだったのです。見てください。このフォルダーに収めてある木版画はすべて手作りですが、安価なものであったどころか、無料で配布されていたのです!

[カメラ:説明をしながら、デービッドの指は版画の上を移動してゆき、カメラは指を追う] 「これを見てください。とても伝統的な図柄を基本としています。広重の作品にとてもよく似ていますね……筏に乗って竿をあやつる男の人たちです。彫も摺も、とても上手です…… [デービッドの指が版画を過ってゆく] ……これは何でしょう?『サーロインステーキのわさび添え、ローストダックのセージ風味ドレッシング添え』日付は1930年8月27日でスペインの南東沖とあります。そうです、これは、戦前に航行していた日本郵船会社の大洋航路定期船で使われていたディナーメニューです。伝統木版画で作られていたら、外国のお客が喜ぶと考えたのでしょう。間違いなく喜ばれたと思いますよ!

「絵の部分は木版画工房で摺られ、大量に船積みされました。どの船にも小型の印刷機があり、シェフが夜の献立を決めると、その木版画の上に印刷されてテーブルに置かれたのです。」

「昔の木版画は日常生活の一部でしたから、例はいくつでも挙げることができます。[デービッドは再び本棚に手を伸ばす] 手短かに、いくつか見ていきましょう。

「これを見てください! [デービッドはもう1枚、紙を取り出す。鮮やかなピンクと緑色が見える。] 可愛らしいでしょう? でも、ここにちょっと折り目がありますね。この跡がヒントですが、ここに電話番号も記されています。もうお分かりですね、そう、のし紙だったのです! お菓子の箱の上蓋のカバーに使われていました。

「かつて木版画は生活の中で広範囲に使われていたため、こういった食品の包装にさえも使われていたのです。それにしても、何てきれいにできていることでしょう。彫の線は細やかですし、濃い色でむらなく摺られています。こういった包装紙は相当な量が作られたはずで、職人たちは誇りを持って仕事をしていたことでしょう。この店の客たちは『目が肥えている』ということを承知で、それに応えたのでしょう。」

[デービッド:話をちょっと止めて棚を見渡す。貴重な資料の中から、次に何を見せようか考えている] 「木版が、いくら日常的に利用されていたと言っても、一度にたくさんの例をお見せし過ぎるのも良くないですね。とにかくたくさんあるのです! 木版画で模様が付けられた巻紙もありますし、祝儀袋もあり、もういくらでもあります。

「こういった日常的に使われていた木版画は、あまりにありふれた存在なので、価値のないものだと思われますか? 大量生産されたものだから、丁寧に扱ったり細かく観察する意味がないと思われますか? もしもそう思っておられるのなら、これをご覧になるといいでしょう。きっと見方が変わりますよ。[デービッドは、棚から小振りの本を取り出す。] とくに変わったものではなく、明治時代の雑誌です。当時は文芸雑誌が盛んに出版されていました。この頃には印刷機が日本でも使われるようになっていましたから、本文はすべて機械印刷です。でも、こういった木版画で作られた口絵が、こんな風に本の間に挟まれているのはよくあることでした。」[デービッドは、持っている本の間から版画を広げる]

[次に、口絵がたくさん収められたフォルダーを見せる] 「こういった口絵はたいてい、雑誌の中にある話の一場面を絵にしたものでした。発売日に間に合うよう、何人もの職人たちが共同で短時間に大量生産しています。仕上げたらすぐ発送、そしてすぐまた次の仕事に取りかかったのです。

「カメラさん、ズームアップできますか? この芸術作品をじっくり鑑賞しましょう! 紙を触ってみると、ティッシュペーパーよりも薄いのですが、バレンで摺られても堪える強さがあります。文字が摺られている部分の透明な薄さを見てください。背後にある花が透けて見えますね。たった1枚の紙でできているなんて、まるで目の錯覚みたいです。文字を観察してみましょう。行毎に、たっぷり墨を含んだ筆が下に進むに従い、真っ黒から次第に薄い灰色になっていきます。これは1枚の紙、平面ですよ。版木とバレンを使って作られたもので、筆は使っていません!

「右の方にいる女性の絵を見ましょう。こめかみのところで上に梳き上げられた髪の毛は信じられないほど細かく表現されています。私よりもよほどいい目の方でないと、この細さは観察できないかもしれません。もっと近寄って見ると、髪の毛に正面摺がほどこされているのが分かります。艶(つや)を出すために版画を表からバレンでこすったのです。あちこちにある、きれいなぼかしも見てください。ここも、ここも、ここも……。この部分の背景にある布摺が分かりますか? それに、彼女が歌を書いている短冊には金属粉まで散りばめられているんです!」

「これでも、みなさんが息を飲むほどの感動を得られないとしたら、このことを思い出してください。この素晴らしい作品が、雑誌の見返しページに折り挟まれて無料で渡されていたということ。しかも、たいていの人はざっと見たら傍らにのけておくだけ。完全に消耗品のような扱いです。何ということでしょう!」

[デービッド:視聴者に向かって] 「こうしてご紹介してきた商品の多くは現在も存在しますが、もう木版画の技法は用いられていません。伝統木版画の美しさは疑う余地がなくても、現代ではとても労力に見合う収入が得られないのです。少なくとも出納を記した帳簿の収支決算を見る限りでは。

「私たちは、『より安くより速く』という方向に向けて進むべきなのでしょうか? 社会生活の中には、私たちが効率を礼賛しても不満のない分野はいくつもあります。なんといっても、現代の科学技術の御陰で私たちは、『古き良き時代』の人たちの多くが得られなかった十分な食料や快適な暮らしを享受することができるのですから。私は昔に戻りたくなどありません。」

「それでも現代社会は、何が大切で何がそうでないかを再評価し始めています。『スローフード』などという言葉を耳にしますし、『立ち止まって心にゆとりを持とう』と言い続けてきている人たちもいます。私がもう20年近くもの間、木版画で生計を立てることができているのも、こういった心を日常の一部に保持していたいと思う人たちがいるからです。」

「私の企画に参加しませんか?」

[デービッドはテーブルの上に置いたフォルダーの方を向き、視聴者も一緒に明治時代の口絵を見ながら、この回を終了してゆく。]

[第3話終了]

(次回となる第4話から、このシリーズは後半に入ります。)

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