デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」の一冊の内容です。

ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。

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'Hyakunin Issho'
Newsletter for fans of David Bull's printmaking activities
Winter : 2008

今年も新年の挨拶用に版画を作りましたが、今回は自分にとって良い練習になるように伝統的な絵を選びました。最近はあまり線を用いない創作の版画を作っているので、せっかく身に付けた浮世絵版画の腕を錆びさせないため、じっくり取り組まなくてはならない作品にしたのです。

今号の主な内容は、前回の続きとなる、自分の版画制作に関するドキュメンタリー番組を想定しての脚本です。今回は、木版画を作る工程をひとつの作品を通して追っていきます。

また、時折掲載している「職人をたずねて」ですが、今回登場する方はちょっと趣向が違います。もう日本に長く住み、古い技法を使って版画を制作している人です。えっ、どこかで聞いたことあるような......?!

そして最後は例によって貞子のコーナーです。楽しくお読みいただける内容だといいのですが!

「忘れられた美」 その2

前回は、私のしている作業についての大まかな説明を、ビデオドキュメンタリーの形式ならばこうなるだろうという想定で書いてみました。「第1話」では、木版画が単なる「絵」ではなく、紙をも含めた「全体」を作品として鑑賞できるということを書きました。今回は、その制作工程見ることにしましょう。

「伝統木版画の忘れられた美」
「第2話」

[カメラ] 墨を含んだ筆が、薄い半透明の雁皮紙に繊細な線を描いている。暗い部屋の中でライトテーブルに向かうデービッドが、版下を作るためにトレースをしているところ。これから復刻する江戸時代の絵を拡大し、その上に雁皮紙をセロテープで固定している。下からの光が、紙を通り抜けて彼の顔を照らしている。

[ナレーション] 日本の伝統木版画を作る工程は、この作業から始まります。絵の線が紙にくっきりと写されます。今回私たちが完成まで追っていくのは、1840年代に作られた摺物の復刻です。

[デービッドの声] [カメラは、説明に合うような場面を挿入しながら、トレース作業を写し続ける] 「昔、彫の案内となる版下は、筆使いに熟練した専門の職人が行いました。絵師が描いた絵は、大まかな形をスケッチしたようなものであることが多く、それを彫師が分かるようにはっきりした線で書き直したのです。

「私の筆使いなど、版下を専門としていた昔の人たちには及びもつきません。それで、原画となる絵を拡大コピーし、ごく細部まではっきり見ることができるようにするのです。すべての線をトレースし終えると、縮小して最初の大きさに戻し、再び薄くて強度のある手漉き雁皮紙に印刷します。私が現代の技術を使うのはこの工程だけで、ここからは最後まで、江戸時代の職人が使ったのと同じ道具で仕事をします。」

[カメラ] 完成した版下のクローズアップ。上に物差しが置かれている。見える線は信じられないほどの繊細さ。そのため視聴者はこうつぶやくはず「この線を彫れるのだろうか?」画面では、次の工程となる、版下を版木に貼付ける作業に進む。デービッドは、摺台の上の新(さら)の版木を前に座っている。彼は、作業をしながら説明をする。

[デービッド] 「版木は山桜です。これ以上、木版画に適した材はありません。固すぎる木は、絵の具の水分を吸収しません。柔らかすぎると、彫った線がすぐに崩れてしまいます。この材はこのバランスを完璧に保っているのです。良い山桜の版木だと、細かな線を彫ることができ、なおかつ、きれいな色も摺れるのです。きちんと扱えば、とても多くの枚数を摺ることができます。実際、金属版を使うよりもずっとたくさん摺れるのです。」

[ナレーション(画面は作業を続けるデービッド)] 昔、この版下を版木に貼付ける作業は、最も熟練した職人だけに委ねられました。この時点で、どんなに僅かなずれであれば、最終結果に影響するからです。 ... 版下は表を下にして貼ります。紙が乾き始めると、デービッドは指の腹を使って、木の表面に線がくっきり見えるようになるまで、紙の繊維を剥がしていきます。」

[カメラ] 次の場面では、時間を寸断する必要がある。彫られた部分が広がるに連れ、それを示す個々の映像は一日の異なる時間帯であり、デービッドの着ている服も変化する。(彼のヒゲが伸びるほど長い時間はかからないだろうが!)

[ナレーション] この版木の彫は、5日程かかるでしょう。彼は彫台の前で、顔を版木に近づけた姿勢のまま、毎日何時間も作業をします。彼の脇には小降りの木桶が置かれ、その上には砥石が載っています。彫刻刀の鋭い切れ味を保つため毎日何回も研ぎます。

[デービッド(彫りながら語る)] ここにある彫刻刀は、とても使い心地がいいんです。どの刃も、日本刀と同じように2層できています。先端部分となる層には非常に固い鋼(だが脆(もろ)い)を使い、強さを補強するために幾分柔らかな材質の地鉄(じがね)の層を叩き合わせています。私は侍ではありませんが、かなり似た道具を使っているんです!」

[ナレーション(カメラはゆっくり彫り終わった墨版(主版)のクローズアップへと移っていく)] これは墨版といって、輪郭を摺る版木です。これ自体すでに芸術作品と言えるほどですが、版画完成へは最初の一歩という段階です。

[デービッド] 「この版木は彫り終えましたが、今回は多色摺を作るので、もっと版木が必要になります。江戸時代の職人は、使用する何枚もの版木がぴたりと合致するよう、単純かつ非常に優れた方式を採用していました。この版木の角のところを見てください、表面に切り込みがありますね。そして、こちらにもうひとつあります。後で摺の作業をするとき、紙をこのふたつの溝(見当)にぴたりとはめると正確な位置に納まるのです。」

[ナレーション] デービッドは、摺の道具と滑らかな版下専用の紙を取り出し、この墨版で何枚もの「校合(きょうごう)摺り」を作ります。ここで摺られた輪郭は、色の組み合わせをどのように分解するかを決めて色版を作るために使います。たとえば、この紙には着物の色を摺る場所が示されています。こちらは、背景用です。1色毎に1枚必要です。

[デービッド] 「今回私は復刻をしているので、すでに決まった配色に従うだけです。でも、オリジナル作品を制作するときには、頭の中で色の配分を決めていきます。どんな色合いになるか、最終結果を想像しての作業となります。」

[ナレーション] 今回の作品を作るための色配分は、これだけあります。1枚ずつ、新しい版木に貼って再び彫の作業です。

[デービッド] 「見てください! この版にも見当の印が正確に付けられていますね。版木に付けられた見当は、全て墨版と一致します。素晴らしい知恵です!」

[デービッド(作業を継続しながらの語り)] 「こういった版画が作られた昔、彫の作業は数人が共同で行っていました。顔や文字などの大事な部分は年期の入った職人がし、もっと単純な部分は下積みの人たちがしたのです。仕事場の中では、版木が職人たちの間を移動していたことでしょう。大きな工房の活気に満ちた様子を想像してみてください。職人たちがノミに木槌を当てる音も交じっています。 「ご存知のように、私はひとりで全部の作業をするので、仕事をしながらいろいろと想像します。自分が駆け出しの若造だったり、またあるときは親方気分だったり!」

[ナレーション] 江戸時代には、彫と摺は別の職人の仕事でした。でもデービッドは両方をしますから、版木を全て彫り終えると、彫の道具を片付けて摺台の準備です。

[デービッドの語り(摺の準備をしながら)] 「彫と摺の両方を自分ですることに誇りを感じてはいるのですが、これがいいことかどうかは疑問の残るところです。以前、年配の彫師が私にこんなことを言ったことが忘れられません。『摺のまねごとなんか止して彫に専念すれば、きっといい彫師になれるだろうにねえ。』彼の言う通りかも知れません。でも、自分ではどうしようもないのです。両方をこの手でしたいのですから!」

[ナレーション] 伝統的木版画には、かなり限定された基本色しか使いません。デービッドはこの版画に緑色が要るので、藍と黄色を混ぜて作り、必要なら墨も加えるでしょう。

[デービッド(カメラに向かって)] 「ここに、私たち職人にとってとても大事な点があります。伝統木版画にある色は、出来合いの色を買ってきて使用したものではなく、摺師が創り出した色だということです。前ページにある写真は、江戸時代に歌麿の版画を作るために準備された校合刷りです。歌麿が指示した『むら』・『くさ』・『き』と書かれた文字が見えますね。これだけでは何も意味をなしません。『むら』といっても、どんな紫か。何千という種類の紫があるのですから!

「つまり、摺師が全体の色調を考えながら決めたのです。腕のいい摺師なら、芸術作品を生みだせたのです!私自身は、まだまだ苦労することが多いのですが、かなり上達してきています。」

[ナレーション(デービッドは、幅広の水刷毛で和紙を湿らせている)] デービッドが摺に使うのは、越前奉書です。現在この和紙を作っている家は、とても少なくなっているので、デービッドは先行きをかなり心配しています。

[デービッド] 「たくさんの種類の和紙が、日本中で生産されています。でも、木版画に適しているのは越前奉書だけです。雪の多い裏日本の今立市で、もう何百年も作り続けられています。江戸時代の浮世絵版画のほとんどは、同じ村で作られる同じ和紙で作られているのです。昔は、この和紙作りをする工房はたくさんありましたが、現在も続けている所は数えるほどです。越前奉書は、日本の伝統木版画の命とも言えるほどで、生産が中止されて手に入らなくなるようなことがあれば、私の仕事も即終わりです。代わりとなる紙はありません。」

[カメラ] デービッドが摺り始め、基本工程を示していく。色を版木の上に載せると、それを刷毛でサッサッと広げる。次に和紙を1枚取り出して、先ほど見た見当にぴったり当てるようにして版木の上に載せる。バレンを持って紙の上でこする。和紙を剥がして摺った状態を見せる。

[デービッド] 「これで基本的なところは、理解していただけたことでしょう。版木の上に彫り残された部分で和紙に色を付けるのです。この作品には色版を12枚使います。これが版木の状態で(デービッドは何枚かを持ち上げて、両面を使っていることをカメラに向けて見せる)、ここにあるのが私の使う絵の具です。」(溶かれた絵の具が、並んだ器の中に入っているのが見える)

[カメラ] デービッドは目の前で、何枚もの版木と絵の具で1枚の版画を摺っていく。この工程は時間がかかるため、早回しとなる部分がいくつかあるが、大事な場面では普通の早さになる。画面の端には、摺られていく段階毎の画像が完成するまで表示される。

[デービッド(カメラに向かって)] 「これが完成した版画です。御覧になってお分かりのように、どの色も別々に摺られています。ですから、200枚を摺るのにどれほどの労力を要するか想像してみてください。最も効率の悪いやり方みたいですね。

「でも考えてみてください。ここには、効率の悪さなど存在しないのです! 私は、版木を彫るのに9日間を費やしました。墨版に5日、そのあと色版に4日です。それを使って私は200枚摺る予定なので、もう12日間かかるでしょう。計21日間、じっくり取り組んだ結果が、200枚の美しい版画の束になるのです。使われたのは、世界屈指の優れた和紙、何百年という月日に絶えうる品質です。

「200枚の1枚ずつが、私の費やした21日間の働きの結晶を、まだ生を受けていない次の世代にまで、何百年も慈(いつく)しまれるのです。

「効率が悪い? 私なら、自分に与えられた21日間を全てこの目的に使えたらいいのにと思います!」

[第2話終了]
つづく

「職人を訪ねて」 : ピーター・ミラー氏

最後にこのコーナーを掲載したのは、何年も前でしたね。今回は久しぶりの復帰ですが、題の意味をいつもより拡大解釈することになります。今回の「職人」は、木版画に関わる人ではありません。では、どうしてピーター・ミラー氏がこのコーナーで紹介されるのでしょう? 答えは単純です。彼は版画制作をすることによって、常々僕が「この惑星に生を受けた人間なら、与えられた時をこのように使うのが大事だ」と思っていることの多くを、完璧なまでに具現しているからです。このことを、分かっていただけるように書いてみると......。

ここにある作品は、ちょっと見たところ写真のように思えることでしょう。実際、写真に写された像はピーターの作品を創り出すための最初のステップとなります。でも、ほんの最初のステップに過ぎません。彼がカメラのファインダーから覗いて見る像は、最終的に作品となる「種」のような存在です。彼が使うのは、フォトグラヴュールという、写真ができたばかりの最も初期に用いられたエッチング技法です。ごく単純に説明すると、カメラで撮影した像を感光性の防剤を用いて銅版に腐食させ(エッチング)それをプレス機にかけて版画を作ります。

実際には、この単純な説明の影に、非常に詳細で複雑な世界がすべて隠れている訳で(それは僕の木版画も同じですが)、その繊細な部分にこそピーターが彼の芸術作品を生み出す源があるのです。黒はどの程度濃くするか? それぞれの濃淡をどのくらいはっきりさせるか。インクはどんな色合いに混合するか。良い作品を創り出すために、無数ともいえるほどの要素を調整してゆくのです。そして、僕の木版画よりもずっと労力を要する刷りの工程段階にあるときにも、作品は変化し続けるのです。初期に刷られた作品は「くっきり」とした印象がありますが、刷り進むに連れて、何度も拭かれたり圧力をかけられたりするうちに銅版面にあるかすかな溝が徐々に変化して、より柔らかな印象を持つようになるのです。刷り続ける本人はそこに、像が本来持つ可能性をより深く知るようになります。彼が版にインクを広げて拭き取ることで、一枚一枚絵を塗っていると言ったら大げさかも知れませんが、全くの誇張とは言えません! このように、制作の工程は恐ろしく複雑ですが、インクが深く紙に浸透して作られる美しい立体性のある作品は、その努力に十分報われる芸術です。

ピーターさんは、鎌倉の丘にある閑静な住宅街に建つスタジオ兼自宅に、奥様の裕子さんと暮らしています。彼は、私よりも長く日本に住んでいますが、電子メールのやり取りはしていたものの、お会いしたのは今回が初めてです。貞子さんと一緒に尋ねると、裏に広がる小山の中の道を一緒に散歩したりしながら、とてもお互いを理解し合えるようになりました。

私ととても似ているのは、ピーターも自分が芸術家になるなどとは思っていなかったし、そんなつもりもなかったという点です。彼が受けた教育も勤めた会社も畑違いの分野でした。でも、彼の言葉を借りると、「紫外線照射の様々な使い方を知っているという偶然......半導体ウエハー、回路基板、速乾性の商業用インク、接着剤、光ファイバーそして......フォトグラヴュール......」とあるので、今日に至る種はすでに蒔かれていたようです。その後、19世紀のフォトグラヴュールの展覧会を見たことがきっかけとなり、眠っていた種が発芽し自分自身で作りたいという欲望へと生長したのです。

彼は作り方を知っていたでしょうか? 答えは否。師がいたでしょうか? 否。彼のホームページから引用すると、(私自身も一語一句同じことを言うかもしれません)「......歴史的資料を調べ、材料を手に入れ、試行錯誤を繰り替えしたあげく、ほとんど失敗!」とはいえ、「失敗」の日々はすでに過去、私たちは訪ねた日の昼下がり、今まで彼が制作してきた何百という作品の一部を、スタジオで見せていただきました。初期の作品には、手近な鎌倉で見つけた寺や風景がありますが、その後はテーマの対象をモンゴル、スカンジナビア、そして壮大なネパールのヒマラヤ山麓へと拡大しています。

フォトグラヴュールの知識を身に付けているうちに、彼は自分の得たことを他の人にも伝える責任があると感じるようになりました。ホームページでは、この美術工芸の手法についての情報もたくさん掲載してあります。私も大いに同感することですが、彼はこう言うのです。自分達のような版画家には競争相手となる存在がいるとは思えない。そして、僕と同じ制作に取り組み、熟練を積む人が増えれば増えるほど、僕たちの芸術はより多くの人々に広まって行くと思う、と。

私たちは、展示会場などで、自分たちのしていることを来場者に理解してもらえず、いらだち失望する時の気持ちについて語り合い、まるで戦友同士のような気分になりました。自分たちの作品を市場に出すだけでは不十分。この感動を他の人たちに伝える努力を精一杯しなくてはいけない。なぜなら、そういった交流を深めてこそ自分たちの芸術への理解を深めてもらえるのだから。

彼はある展示会場でのこんなエピソードを話してくれました。彼が来場した若い女性に、複雑なフォトグラヴュールの工程をじっくり説明すると、その後こう聞かれたというのです。「どうしてこんなことをするんですか?」きっとこの女性は、若さ故にこんな質問をしたのでしょう。若すぎて、究極の美を追求する人間は何事にも怯(ひる)まない、ということが分からなかったのです。

どんなに複雑な工程であっても、どれほど困難で長期にわたる挑戦であっても、登るには恐ろしく高い山であっても。 ちょっと感傷的になりすぎましたか? そうかも知れません。でも、だからといって真実から外れてなどいません。ピーター、君の親切と僕たちみんなにひとつの生き方を提示してくれていることに、とても感謝しているよ。

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失敗も人生?

ここ数日、私は庭の草や木を抜くのに汗を流している。その植物は、全て自分で植えたもの。探し回ってやっと見つけて手に入れ、植えた当初は早く大きくなれと毎日毎日面倒を見て大事に大事に育てたものばかりである。むなしい作業を黙々と続けながら、持って行きどころのない、いまいましさを自分にぶつけている。「まったく馬鹿だよ」「植えたり抜いたり忙しいねえ」「ほら、他の大事にしている草も抜いちゃったよ!」

ことの次第はこうである。木の方は西洋の何とかガーデンとやらで、レンガの壁を覆う蔓アジサイの美しさに心を奪われた。似た物を探し探してやっと小さな苗を手に入れ、おんぼろ物置の西側の壁を覆う姿を夢に見続けた。たかが2メートル四方の壁なのだが、苗はなかなか生長しない。ところが5年ほど過ぎた頃、突如猛烈な勢いで生長を始めた。みるみる蔓が伸びて物置の中にまで侵入するのみならず、裏庭の至る所に伸びてゆく。伸びたところが土に付けばそこから根を生やしてもっと勢いづくし、蔓はすぐに木化して太くなり、勢いは隣家にまで達し始めた。私は、ディズニー映画の眠り姫に出てくるバラを想像してたじろいだ。おまけに6年後に咲いた花はなんともショボイ! それでも翌年はなだめすかして育て続けたが、とうとう恐れをなして根こそぎ絶やすことにした。木化した蔓を剥がし、ノコギリも使って「格闘」の末、やっと作業が終了。

草の方は、ガーデニングでよく言われるグランドカバープランツというヤツである。日本の庭は黒土の美しさを楽しむところがある。木の根元はスッキリ掃き清めてさっぱりさせておくことが多い。ところがある日、誰かさんがこう言った。「ダーティーな土がたくさん出てるね」の一言。要は美観の違いなのだが、確かにヨーロッパの庭は土を見せない。以来、日陰でも育つ植物を探し求め、空いた場所にせっせと植えた。毎日毎日大事に育てて「早く大きくなれ」とささやいた。気がついたら、どんな暗いところも草がびっしり覆うようになった。そこで安心していたら、どうもおかしい。他に植えたはず草花がいくつも消えている。そう、浸食されてしまったのだ。という訳で、「誰だ!こんなにどこにでも植えまくったのは!」と、鎌を片手にまたもや戦闘開始。

このまま作業が進むと、我が庭の冬は一層閑散としそうだが、頭の中はすでに春。あそこにあれを植えて、あれをここに移して......。懲りないところが、能天気? いや、近頃私はこう思う。これが人生じゃないか、これでいいのさって。

前号で、今年は展示会を開かないというお知らせをしましたが、たくさんの収集家の方が年賀状に「展示会でお会いするのを楽しみにしています!」と書いておられたのです。

それで、今号でも同じお知らせを繰り返すことにします。もう20年近くも欠かさず続けている恒例展示会をお休みし、申し訳なく思っていますが、現在の企画が完成しましたら、きっと全部を並べて皆さんにお見せする機会を作りますので、それまで暫くお待ちください。

開催したい気持ちは私も同じ、本当ですよ!