デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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「忘れられた美」 その2

前回は、私のしている作業についての大まかな説明を、ビデオドキュメンタリーの形式ならばこうなるだろうという想定で書いてみました。「第1話」では、木版画が単なる「絵」ではなく、紙をも含めた「全体」を作品として鑑賞できるということを書きました。今回は、その制作工程見ることにしましょう。

「伝統木版画の忘れられた美」
「第2話」

[カメラ] 墨を含んだ筆が、薄い半透明の雁皮紙に繊細な線を描いている。暗い部屋の中でライトテーブルに向かうデービッドが、版下を作るためにトレースをしているところ。これから復刻する江戸時代の絵を拡大し、その上に雁皮紙をセロテープで固定している。下からの光が、紙を通り抜けて彼の顔を照らしている。

[ナレーション] 日本の伝統木版画を作る工程は、この作業から始まります。絵の線が紙にくっきりと写されます。今回私たちが完成まで追っていくのは、1840年代に作られた摺物の復刻です。

[デービッドの声] [カメラは、説明に合うような場面を挿入しながら、トレース作業を写し続ける] 「昔、彫の案内となる版下は、筆使いに熟練した専門の職人が行いました。絵師が描いた絵は、大まかな形をスケッチしたようなものであることが多く、それを彫師が分かるようにはっきりした線で書き直したのです。

「私の筆使いなど、版下を専門としていた昔の人たちには及びもつきません。それで、原画となる絵を拡大コピーし、ごく細部まではっきり見ることができるようにするのです。すべての線をトレースし終えると、縮小して最初の大きさに戻し、再び薄くて強度のある手漉き雁皮紙に印刷します。私が現代の技術を使うのはこの工程だけで、ここからは最後まで、江戸時代の職人が使ったのと同じ道具で仕事をします。」

[カメラ] 完成した版下のクローズアップ。上に物差しが置かれている。見える線は信じられないほどの繊細さ。そのため視聴者はこうつぶやくはず「この線を彫れるのだろうか?」画面では、次の工程となる、版下を版木に貼付ける作業に進む。デービッドは、摺台の上の新(さら)の版木を前に座っている。彼は、作業をしながら説明をする。

[デービッド] 「版木は山桜です。これ以上、木版画に適した材はありません。固すぎる木は、絵の具の水分を吸収しません。柔らかすぎると、彫った線がすぐに崩れてしまいます。この材はこのバランスを完璧に保っているのです。良い山桜の版木だと、細かな線を彫ることができ、なおかつ、きれいな色も摺れるのです。きちんと扱えば、とても多くの枚数を摺ることができます。実際、金属版を使うよりもずっとたくさん摺れるのです。」

[ナレーション(画面は作業を続けるデービッド)] 昔、この版下を版木に貼付ける作業は、最も熟練した職人だけに委ねられました。この時点で、どんなに僅かなずれであれば、最終結果に影響するからです。 ... 版下は表を下にして貼ります。紙が乾き始めると、デービッドは指の腹を使って、木の表面に線がくっきり見えるようになるまで、紙の繊維を剥がしていきます。」

[カメラ] 次の場面では、時間を寸断する必要がある。彫られた部分が広がるに連れ、それを示す個々の映像は一日の異なる時間帯であり、デービッドの着ている服も変化する。(彼のヒゲが伸びるほど長い時間はかからないだろうが!)

[ナレーション] この版木の彫は、5日程かかるでしょう。彼は彫台の前で、顔を版木に近づけた姿勢のまま、毎日何時間も作業をします。彼の脇には小降りの木桶が置かれ、その上には砥石が載っています。彫刻刀の鋭い切れ味を保つため毎日何回も研ぎます。

[デービッド(彫りながら語る)] ここにある彫刻刀は、とても使い心地がいいんです。どの刃も、日本刀と同じように2層できています。先端部分となる層には非常に固い鋼(だが脆(もろ)い)を使い、強さを補強するために幾分柔らかな材質の地鉄(じがね)の層を叩き合わせています。私は侍ではありませんが、かなり似た道具を使っているんです!」

[ナレーション(カメラはゆっくり彫り終わった墨版(主版)のクローズアップへと移っていく)] これは墨版といって、輪郭を摺る版木です。これ自体すでに芸術作品と言えるほどですが、版画完成へは最初の一歩という段階です。

[デービッド] 「この版木は彫り終えましたが、今回は多色摺を作るので、もっと版木が必要になります。江戸時代の職人は、使用する何枚もの版木がぴたりと合致するよう、単純かつ非常に優れた方式を採用していました。この版木の角のところを見てください、表面に切り込みがありますね。そして、こちらにもうひとつあります。後で摺の作業をするとき、紙をこのふたつの溝(見当)にぴたりとはめると正確な位置に納まるのです。」

[ナレーション] デービッドは、摺の道具と滑らかな版下専用の紙を取り出し、この墨版で何枚もの「校合(きょうごう)摺り」を作ります。ここで摺られた輪郭は、色の組み合わせをどのように分解するかを決めて色版を作るために使います。たとえば、この紙には着物の色を摺る場所が示されています。こちらは、背景用です。1色毎に1枚必要です。

[デービッド] 「今回私は復刻をしているので、すでに決まった配色に従うだけです。でも、オリジナル作品を制作するときには、頭の中で色の配分を決めていきます。どんな色合いになるか、最終結果を想像しての作業となります。」

[ナレーション] 今回の作品を作るための色配分は、これだけあります。1枚ずつ、新しい版木に貼って再び彫の作業です。

[デービッド] 「見てください! この版にも見当の印が正確に付けられていますね。版木に付けられた見当は、全て墨版と一致します。素晴らしい知恵です!」

[デービッド(作業を継続しながらの語り)] 「こういった版画が作られた昔、彫の作業は数人が共同で行っていました。顔や文字などの大事な部分は年期の入った職人がし、もっと単純な部分は下積みの人たちがしたのです。仕事場の中では、版木が職人たちの間を移動していたことでしょう。大きな工房の活気に満ちた様子を想像してみてください。職人たちがノミに木槌を当てる音も交じっています。 「ご存知のように、私はひとりで全部の作業をするので、仕事をしながらいろいろと想像します。自分が駆け出しの若造だったり、またあるときは親方気分だったり!」

[ナレーション] 江戸時代には、彫と摺は別の職人の仕事でした。でもデービッドは両方をしますから、版木を全て彫り終えると、彫の道具を片付けて摺台の準備です。

[デービッドの語り(摺の準備をしながら)] 「彫と摺の両方を自分ですることに誇りを感じてはいるのですが、これがいいことかどうかは疑問の残るところです。以前、年配の彫師が私にこんなことを言ったことが忘れられません。『摺のまねごとなんか止して彫に専念すれば、きっといい彫師になれるだろうにねえ。』彼の言う通りかも知れません。でも、自分ではどうしようもないのです。両方をこの手でしたいのですから!」

[ナレーション] 伝統的木版画には、かなり限定された基本色しか使いません。デービッドはこの版画に緑色が要るので、藍と黄色を混ぜて作り、必要なら墨も加えるでしょう。

[デービッド(カメラに向かって)] 「ここに、私たち職人にとってとても大事な点があります。伝統木版画にある色は、出来合いの色を買ってきて使用したものではなく、摺師が創り出した色だということです。前ページにある写真は、江戸時代に歌麿の版画を作るために準備された校合刷りです。歌麿が指示した『むら』・『くさ』・『き』と書かれた文字が見えますね。これだけでは何も意味をなしません。『むら』といっても、どんな紫か。何千という種類の紫があるのですから!

「つまり、摺師が全体の色調を考えながら決めたのです。腕のいい摺師なら、芸術作品を生みだせたのです!私自身は、まだまだ苦労することが多いのですが、かなり上達してきています。」

[ナレーション(デービッドは、幅広の水刷毛で和紙を湿らせている)] デービッドが摺に使うのは、越前奉書です。現在この和紙を作っている家は、とても少なくなっているので、デービッドは先行きをかなり心配しています。

[デービッド] 「たくさんの種類の和紙が、日本中で生産されています。でも、木版画に適しているのは越前奉書だけです。雪の多い裏日本の今立市で、もう何百年も作り続けられています。江戸時代の浮世絵版画のほとんどは、同じ村で作られる同じ和紙で作られているのです。昔は、この和紙作りをする工房はたくさんありましたが、現在も続けている所は数えるほどです。越前奉書は、日本の伝統木版画の命とも言えるほどで、生産が中止されて手に入らなくなるようなことがあれば、私の仕事も即終わりです。代わりとなる紙はありません。」

[カメラ] デービッドが摺り始め、基本工程を示していく。色を版木の上に載せると、それを刷毛でサッサッと広げる。次に和紙を1枚取り出して、先ほど見た見当にぴったり当てるようにして版木の上に載せる。バレンを持って紙の上でこする。和紙を剥がして摺った状態を見せる。

[デービッド] 「これで基本的なところは、理解していただけたことでしょう。版木の上に彫り残された部分で和紙に色を付けるのです。この作品には色版を12枚使います。これが版木の状態で(デービッドは何枚かを持ち上げて、両面を使っていることをカメラに向けて見せる)、ここにあるのが私の使う絵の具です。」(溶かれた絵の具が、並んだ器の中に入っているのが見える)

[カメラ] デービッドは目の前で、何枚もの版木と絵の具で1枚の版画を摺っていく。この工程は時間がかかるため、早回しとなる部分がいくつかあるが、大事な場面では普通の早さになる。画面の端には、摺られていく段階毎の画像が完成するまで表示される。

[デービッド(カメラに向かって)] 「これが完成した版画です。御覧になってお分かりのように、どの色も別々に摺られています。ですから、200枚を摺るのにどれほどの労力を要するか想像してみてください。最も効率の悪いやり方みたいですね。

「でも考えてみてください。ここには、効率の悪さなど存在しないのです! 私は、版木を彫るのに9日間を費やしました。墨版に5日、そのあと色版に4日です。それを使って私は200枚摺る予定なので、もう12日間かかるでしょう。計21日間、じっくり取り組んだ結果が、200枚の美しい版画の束になるのです。使われたのは、世界屈指の優れた和紙、何百年という月日に絶えうる品質です。

「200枚の1枚ずつが、私の費やした21日間の働きの結晶を、まだ生を受けていない次の世代にまで、何百年も慈(いつく)しまれるのです。

「効率が悪い? 私なら、自分に与えられた21日間を全てこの目的に使えたらいいのにと思います!」

[第2話終了]
つづく

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