デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」の一冊の内容です。

ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。

41号から最新号まで

1号から40号まで



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'Hyakunin Issho'
Newsletter for fans of David Bull's printmaking activities
Summer : 2006

なんて雨の多い夏でしょう!作業台に向って、目の前にある窓から清美川を見下ろすと、まるで様子が違います。いつもは、底にある石が見えるほどちょろちょろの流れなのに、今は水量が多く強い勢いでドクドク流れています。 自宅は、水面からかなり高い位置にあるので、洪水の心配はありませんが、

作業台の目と鼻の先でひとたび何かが起きたらと考えると、おちおち仕事をしていられなくなります。 川の流れに見入って、どれほど長い時間を無駄にしたことでしょう!

春号は薄くて内容も貧相でしたが、この夏号はいつも通りに戻りました。でも、内容はちょっと違います。中心となる話を書くのに没頭し過ぎて、他の事を入れる余裕が少なくなってしまったのです。

でも大丈夫、恒例となった前年度の会計報告、木版館に加わった新作、そして貞子のコーナーは、なんとかねじ込むことができましたから!

今回の号は、とりあえずこれで満足していただきましょう。秋号には、たくさんご報告することが、...あるはずです。

版画家の現実

時折、版画家になるにはどうすればいいか、という問い合わせを受けます。美術が好きで、得意でもあるので、趣味としてではなくプロとして生活をしていきたいと思う人はたくさんいます。こう考えるのがいけないというのではまったくありませんし、この道を選ぼうとしている人達をがっかりさせたいなどとも思っていません。でも、こういった若い人達の中には、この道を選ぶことに伴う現実を良く理解していない人がほとんどではないかと思うのです。私がどのように生計を立てているかについて、ちょっと深く掘り下げてみましょう。デービッドは、何役をこなしているのか...

彫師デービッド、摺師デービッド

版画を作るという役割は、誰の目にも歴然でしょう。私の活動の核となる部分ですから、これがなければ他のどの役も意味をなしません。でも、この役割に特別な技術が要求されるでしょうか。私の答えは「いいえ、僕はそう思いません」です。ちょっと詳しく説明しましょう。たとえばオペラ歌手ですが、歌うという基本的技術がなければなれません。ところが、版画を作るのには、特別な能力が必要ないのです。この極端な例として、力強さと大胆さに溢れた作風を持つ棟方志功があり、反対の極に、精密さと極端なまでに細部にこだわるデービッドがあります。つまり、どのような特性と技術を持つ人でも、作品を表現する可能性があるのです。ただ、ちょっと「器用」である必要はありますが、この基本能力さえあれば、誰にでも版画家になれる可能性があると言えるでしょう。

実業家(版元)

そうです、版画は誰にでも作れ、数多くの人達が制作をしています。でも、それで生計を立てるとなると、「道具箱」の中にまったく別の能力が入っている必要があります。本物の芸術は金銭に換算できないものだと、「商取引」を見下すような人がいますが、私はまるでそう思いません。現代社会は、労働の分担によって成立しているので、労働によって生産されたものの価値を、いかに正当に変換してゆくかという共通の基準が不可欠です。それが、「貨幣」と呼ばれる存在です。使い易く持ち運びも楽、生産物の価値を変換するのにこれ程便利な物はありません。私がみなさんに版画を渡し、みなさんが私にお金を渡す。この時点で、双方(買う側と売る側)が同等の価値を認めているのです。

ですから私は、版画制作を始めたその時から、自分を実業家でもあると考えていました。毎年、新しい企画を立てる際には、計画の一覧表作りと経済分析が、制作する版画の選択と同じくらい考慮の対象となるのです。

でも、「商取引」は単に帳簿の収支を合わせればいいのではありません。企業の指導者は、すべて船長のような存在ですから、常に船の進路とその方角に進む理由を把握していなくてはなりません。つまり、企業とはどのような存在かという全般的な洞察力がなくてはならないのです。版画をひとつ作ることは簡単で、作品を数枚販売するのも難しいことではありません。でも、首尾一貫した構想力と生産力によって、これを何十年も継続するとなると話は別になってくるのです。

事務職員デービッド

デービッド社長が、空想上のオフィス城に座を占めている一方、日常の煩雑な現実問題も処理されなければなりません。明細書の準備、支払いの記録など、無数の細かな事務があります。明日エッセイを印刷するけど、プリンターのトーナーは足りるだろうか。来週ニュースレターを発送するけど、封筒とラベルはあるだろうか?今回はどこの印刷会社に頼もうか。新しいお客さんの住所と名前は、パソコンに入力してあるだろうか?昨夜は、データーのバックアップを予定通り正確にしてあっただろうか?


プログラマー、デービッド

収集家の方達が、ほどよい時期に正確な情報を受けているかを確認することはとても大切です。でも企画が一つだけだったあいだは、何年も曖昧なままにしていました。最近は規模が拡大して、いくつもの違った種類の版画を扱うようになっただけでなく、収集家も世界中に分散するようになってきたので、より高度な帳簿用ソフトが必要になりました。ところが、私の販売方法は複雑で、既成のソフトでは処理ができません。それで、明細書と帳簿付けのできるソフトを、自分でゼロからプログラミングしなくてはなりませんました。専門の会社に外注すれば百万円単位のお金が掛かりますから!


マーケティングマネージャー、デービッド

たとえ世界で一番という素晴らしい組織力と円滑な運営を備えていても、誰もその商品を知らなければ何の役にもたちません。大規模の会社ならば当然、広報・販売促進部という部署が設けられていますが、これはどんな小企業でも非常に重要です。

木版画は所有すべき物だなどとは、誰も思わないでしょうから、根本方針として私は、「ああ、あれを買いたい...」という気持ちにさせるような狙いで自分の作品を「宣伝」したことはありません。私の実践するマーケティングは、興味を持ってくれそうな人達の目に商品が触れるようにするという、単純な方法です。恒例の展示会がこういった努力を最も集中してする対象で、メディア関連に展示会の情報を連絡します。このメディアへの宣伝活動をどのようにするかというのは、とても難しく計算しにくいところです。手紙、パンフレット、製品の見本、プロモーションDVD... これだけでひとつの職業が成立するくらいですが、せせらぎスタジオでは、デービッドにもうひとつ役割が追加されることになります。専門家に委託するような予算は皆無ですから、たとえ簡単なパンフレットであれ、編集してあるパッケージ付きのDVDであれ、すべて自分で制作することになります。

包装デザイナー、デービッド

他の版画家は、作品ができるとギャラリーに送って販売その他の仕事を委託してしまいます。額に入れて展示するのも、包装して発送するのも、すべて他の人達です。でも私の場合は、連鎖する全行程をすべて自分で考えます。作品の台紙、それを入れる袋、保存とスタンドが兼用になる箱、発送する時のケース、...


ウェブデザイナー、デービッド

現在、インターネットを通じての注文が半数を占めますから、ホームページなしでこの仕事を継続するのは、ほぼ不可能な実情です。ホームページ制作を専門の会社に委託するなど、とても考えられせんから、これも自前で賄うことになります。できの悪いサイトならば、ない方が良いくらいですから、日々更新して常に新しい情報を提供しています。


コンピューターのセキュリティー管理者、デービッド

インターネットが一般に使われ始めたばかりの頃は、複雑な事を考えなくても良かったのですが、最近は難しくなってきています。私のコンピューターとサーバー(東京とアメリカ)に保存してあるお客さんの情報には、あまり個人的な内容は含まれていませんが、どのような資料であれ、安全に保護しなくてはなりません。ところが、昨日安全だった方法が明日はもう適応しないということがあるほど、日進月歩の世界ですから、常に新しい技術を取り入れ続ける必要があります。


物書き、デービッド

版画家や美術家の中には、自分の作品を言葉で説明すべきでないと考える人がいます。作品自体が語り尽くせないのは、作家の表現能力が未熟だからと信じているのかも知れません。でも、私の作品はオリジナルではなく、作品の背景についてあまり知らない人が多いため、作品とそれを見る人達との間をうまく橋渡しをする努力が欠かせないのです。そんな訳で、私の工房から飛び立つ版画にはすべて、ちょっとした説明文が付随しています。加えて、もう長年継続している、このニュースレターがあります。自分と収集家の安定した関係を維持するために、必須の役目を果たしていることは、すでに何度も確認してきました。記述、編集、レイアウト...すべてが私の机上で行われます。

以上の活動のほとんどすべてが、私にとって「外国」で行われているのですから、何をするにも大変さは一回り大きくなります。私と話をしたことのある人ならば、デービッドの日本語能力はおわかりでしょうが、せいぜい必要事項を通じ合うのに問題のないレベルです。電話に応答する度、メールを受け取る都度、内容の全てを掌握できたと確信するにはほど遠い段階ですが、それでもなんとかバイリンガルとしてビジネスを継続できています!。

* * *

もっと考え続けていれば、まだ次々と、この仕事を継続するためにしている役割が追加されることでしょう。(工房の改装工事のことも加えていませんし...)ここまで書いて来た内容を読み返して、自身いくつかの点に驚いているくらいです。第一に、掲げた役割項目の幅の広さです。特に意識することなくこれらの仕事をこなしていますが、毎日会社に行って、ある特定の仕事をしている人達のことを考えてみると、我ながら驚いてしまいます。

加えて、もっとびっくりしたのは、実際に版画制作に関わっている割合が少ないことです。私は、自分がウェブデザイナーだとは思っていませんし、プログラマーであるとも、セールスマンであるとも思っていません、...私は一介の版画家にすぎないと思っているのです!

ですから、最初に書いたような質問を受けた時にはどう答えたらいいのでしょうか。「版画家になろうとするなら、こういった能力が全て必要なんだよ」などと言えば、それは嘘になります。私だって、始めたばかりの頃から全てできたわけではありませんから。ただここで得る教訓のようなものは、今日どの分野であれ、ある会社の従業員としてではなく独立した事業を営むためには、かなり柔軟な人間である必要があるということでしょう。慣れない事でも手掛けてみる勇気があり、比較的すぐに要領を把握することができなくてはならないのです。こういった技能さえ手中にあれば、どんなことも可能になります。

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この記事に関してまだ、楽曲で言うところのコーダ(結尾楽章)のように重要な点が残っています。自分がしている役割を目立たせるように、項目別に書いてきましたが、内容全体として完結するにはまだ不十分です。

年に渡って、万単位の版画が私の元から発送されてきたわけですが、ほとんどの作品の包装は、近くに住む友人の市川さんがしてくださっています。「百人一首」、「摺物アルバム」、「四季の美人」のどれかを持ちになっておられる方なら分っていただけると思いますが、彼女は包装だけをしているのではありません。作品を保存するフォルダーなどは、彼女が実際にひとつひとつ手作りしたものです。今年は、掛軸ひとつだけという企画なので、あまり彼女の出番はありませんが、来年からは再びたくさんのお手伝いをお願いできることになるでしょう!

そして、最後であっても決して軽んじる事のできない人物に言及しなくてはなりません。私のあらゆる努力に助けの手を差し伸べてくれる貞子さんです。彼女は謙虚な人ですから、ここに書かれる事は嫌だと思っている事でしょう。でも、長々と自分のしていることを書き連ねてきて、彼女の貢献を無視するとしたら、きわめて野暮の一語につきることになります。私は、自分の事業に関する決断は、もちろんすべて自分自身でしていますが、人の意見に耳を傾けないわけではありません。彼女の助言から受ける影響もしっかりと反映されているのです。

また、作品に付随するエッセイやこのニュースレター翻訳は、現在彼女が全て担当しています。翻訳ならば、たくさんの人がやっているから、と考える方もいらっしゃるでしょうが、私達の場合はちょっと違っています。まず彼女が訳し、その日本語を私が読んでゆきます。この時点で、細かなニュアンスの違いを見つけたり、また私自身が原文を書き換えたりします。別の言語に置き換えるという作業は、改めて本文を客観的に見ることができるので、ふたり共に学ぶことが多いのですが、このように手間のかかる翻訳を依頼することなど普通できるものではありません。

このように、彼女は色々な意味で私の生活と仕事から切り離せない存在になってきています。指折り数えてみると、知り合ってかれこれ12年になりますが、これがまだまだ私達の関係のほんの始まり...であって欲しいものです。

2005年の事業報告

私にとっては「株主」とも言える収集家の方達に、恒例の報告をする時です。考えてみると、「まだ続けていますよ!」という報告かもしれません。今、昨年の記録を見ながら、この記事を書いているのですが、過去1年でどのように変化したかを列記すると分り易いかも知れません。

  • 2004年:主となる企画「四季の美人」は、収入の27%、過去の作品からの収入で、かろうじて沈没をまぬがれました。
  • 2005年:主となる企画「版画玉手箱」は、2倍に伸びて収入の56%、残りは過去の作品が補っています。版画玉手箱の企画は大成功でした。

 

  • 2004年:1235枚の版画を送り出しました。一日当たり3.4枚の計算になります。
  • 2005年:3488枚の版画を送り出しました。 版画玉手箱は枚数が多かったためです。一日当たり9.6枚の計算になります。とても忙しい年でした。

 

  • 2004年:海外からの注文は、枚数では約半分を占めるほどになりましたが、収入の23%にすぎません。これは、単価の高い百人一首の顧客が主に日本の人達だからです。
  • 2005年:海外からの注文による収入は、40%にまで伸びました。これは、版画玉手箱が外国の人達に人気があったからでもありますが、私のインターネット販売が着実に成長している結果でもあります。

 

  • 2004年:厳しい年でした。四季の美人は売れ行きが悪かったにもかかわらず、高い制作費用は負担しなければならなかったからです。
  • 2005年:事情は逆転しました。版画玉手箱の売れ行きが良かったため、経済的なピンチから脱却し、表にもありますように、主な費用を差し引いた後に残額があったのです。なかったのは時間で、このピンチは制作予定のせいでした。玄関から一作を発送すると、すぐに次の作品に取り掛からなくてはならなかったからです。愚痴を言っているのではありません、計画をたてた時点でこうなるとはっきり分っていたのですから。版画制作にどっぷり浸かる1年を望んでいて、まさにその通りの結果が来たわけです!

2005年の収支決算

数カ所を除いては、ほぼ昨年と同じ結果となっています。:

ー税金と健康保険の合計はかなり減っています。これは、非常の低かった前年の収入を基準に計算されたためです。(2005年の収入を基準に計算されている現在は、逆に跳ね上がっています):

ーこの年から、送料をいただくことにしたので、追加収入となっています。でも全部の送料が補われているわけではありません。昨年以前から過去の作品を収集し続けておられる方たちからは、戴いていないからです。それでも、収入面では大きな助けとなって、この収入があった御陰で昨年はお金の心配をせずに済みました。:

在庫状況

御購入可能な版画の最新情報です。

百人一首

全百枚の場合のみですが、まだ在庫があります。また、以前購入された方が不足分をご希望になる場合に備えて、10枚ずつの集もいくつか用意してあります。

摺物アルバム

第1集は完売となりました。第2集はまだ数十セットですが、他の集はたくさん在庫があります。

四季の美人

まだたくさん在庫があります。

版画玉手箱

制作した200セットのうち、140セットが売れました。ご希望の方は、一括購入ができますが、制作年の方式と同じく、1枚ずつお集めになることもできます。

 

現在進行中の企画

この事業報告は、ちょっと遅くなり過ぎました。ここにある数字は、すべて昨年の状況を示したものです。続く1年は一体どうなって行くのでしょう?実は、大きく変化します。今まで継続していた1,000万円前後の総収入は、2005年で終わりになりそうです。

それは、翌年の企画を考えていた2005年の終わりに、はっきりと、お金の代わりに時間を選んだためです。1年間かけて懐月堂安度の掛軸を作るという、気の長い企画に取組むことに決めました。版画玉手箱のような人気を得る見込みはまずない企画だろうと、十分承知の上でした。今年の収入はぐんと下がるでしょう。その代わり、もっと落ち着いた気持ちで—幾らか緊張を解いて—版画制作に専念しています。毎日、長い時間仕事をしているのは同じですが、しょっちゅう締め切りに追われるという状況とは大違いです。

実際のところ、これはちょっと危険かもしれません。掛軸を制作する行程のそれぞれに必要な時間を注意深く計算し、展示会までに完成するようカレンダーに計画を書き入れてありますが、予定通り順調に進めてゆけるかどうかは、やってみなければわかりませんから。今までのところは、きっちり計画通り進行していますが、きっと12月が間近になったら、締め切りを目前に血眼になって仕事をすることなりそうです!

さあ、どうなることか!

数秒間の旅

香りというのは面白い。この香り、あの香りということはできるが、実際の環境には様々な匂いが入り交じっていて、しかも湿度など様々な要素の影響を受ける。だから、嗅覚で感じていると思っても、実際は体全体で感じる匂いというのがあるのだと思う。温度、湿度、空気の透明度、木々の葉の発する香気、当人の心理状態... こういった無数の条件が偶然に揃うと、その時にだけ、まるで煙が湧き出るように体を包み、人を過去の記憶へと引き込んで行く。忙しなく動き回っている時には起きない。心の中にちょっとしたゆとりがあり、懐かしい香りに出会うと、そんな数秒の旅を体験するチャンスがある。

先日、珍しく歩いて図書館に向かうと、突然ある香りの霧に包まれ始めた。来るかな来るかな?カメラのピントが合いそうになると行き過ぎて徐々にくっきりと画像を映し出して行く、ちょうどそんな感覚である。私はついに立ち止まった。

私は小学4年生くらい、仲良しになった友達が「カバンを置いたら家においでよ、途中まで迎え行ってやるからさ。」と言う。

彼女の家は、学校の裏門を出て自宅とは反対方向にある。単純な道で、ただただまっすぐ行けば踏切があるからそれを渡って、またまっすぐ行けば良いと言う。そのあたりに着く頃には彼女が向いに出ているからと言う。私は走って自宅に戻り、カバンを置くと、母親の呼びかけにも生返事で学校までかけ戻った。さて、裏門までは良し。だが、そこからは一歩も先に行ったことがなかった。裏門を通り過ぎて未知の世界に入ってからは、急に歩幅が狭まりゆっくり歩きとなった。心臓がどきどきしている。友達の姿はまだ見えない。すぐに踏切が見えたので、ちょっと安心して歩幅が広がる。踏切を過ぎて間もなく道が二手に分かれた。のろのろ歩きとなる。

蒸し暑く、生い茂る草の香りが強烈に匂う。「真っすぐって、どっちの方だろう」逡巡して動けなくなった時、大きな声が聞こえた「おお〜い!」素晴らし笑顔をする友達だった。長いお下げで、そばかすの多い顔をくしゃくしゃにして笑う。「ああ良かった!」

その瞬間、私は香りの霧の外に出てしまっていた。ほんの数秒間のタイムトラベル、それも数年に一度だけのチャンス、昔の自分を抱きしめたい気持ちだった。

もうお分かりだろうが、このタイムトラベルは誰とも一緒に味わうことができない。どんなに長い時間を一緒に過ごしている人とでも。なぜなら、個人の体が感じるものだから。それなのに、うっかり共有できるかのように錯覚することがある。

それは妹に貰ったピンクの花の形をした石鹸だった。ある日、その小さな石鹸を手の平で包むように泡立てていると、あっこの香り! デービッドのふたりの娘さんはまだ小学生、彼の髭はまだ黒々としていて、かわいいふたりの娘を見る目は優しい。男やもめの体が動く度に良い香りが流れるのだが、それはあまりにも男性には不釣り合い、まるで女の子の香りである。子供のシャンプーを一緒に使っているのかも知れない。フフフッと笑った瞬間、現実に引き戻されてしまった。

その数日後、デービッドが家にやってきた。ふとこの石鹸のことを思い出し、彼の鼻先に持って行き、「ねえこの匂い覚えてる?」だが、まるで反応なし。洗面所に走り、濡らした両手に石鹸をこすりつけて、鼻先に広げてみると、...「君なにやってんの?」

そっかあ、一緒に行けないタイムトラベルなんだっけ。

木版館ニュース

忙しない日々が続いた「版画玉手箱」の制作年が終わり、今年は「木版館」の企画を推し進めることができると確信していました。あいにく、思っていたほどの進行状況ではありませんが...

そうは言っても、ちょっとずつは作品が完成し、10枚強の版画が私の元を飛び立って行きました。きっとお客様に喜ばれていると思います。注文のほとんどは海外からで、これは日本語のサイトが遅れているためです。近々なんとかしなくては!

18回の展示会

真夏の暑い最中であっても、1月になるとやってくる事を考えずにはいられません。そう、展示会です。いつも通り、有楽町の交通会館で1月の第3週に開催です。

いつもお越しの方達にとっては、大きな変化はないでしょうが、今回はちょっとした新風が吹き込まれます。ご想像通り、木版館で扱う作品が加わるというのがひとつですが、他にもあります。今のところ細かいことはまだお伝えしませんが... というのも、まだ摺り始めていないもので... さあ、どのようなものが加わるのでしょう?

詳細については、次回のニュースレターでおしらせしますが、主な予定を書いておきます。

  • 日時:2007年1月21日(日)〜27日(土)
  • 開催時間:午前 11:00 〜 午後 7:00(最終日は6時)
  • ギャラリートーク:21日 午後 2:00より
  • 住所:東京都千代田区有楽町東京交通会館、地下1階ゴールドサロン