デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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版画家の現実

時折、版画家になるにはどうすればいいか、という問い合わせを受けます。美術が好きで、得意でもあるので、趣味としてではなくプロとして生活をしていきたいと思う人はたくさんいます。こう考えるのがいけないというのではまったくありませんし、この道を選ぼうとしている人達をがっかりさせたいなどとも思っていません。でも、こういった若い人達の中には、この道を選ぶことに伴う現実を良く理解していない人がほとんどではないかと思うのです。私がどのように生計を立てているかについて、ちょっと深く掘り下げてみましょう。デービッドは、何役をこなしているのか...

彫師デービッド、摺師デービッド

版画を作るという役割は、誰の目にも歴然でしょう。私の活動の核となる部分ですから、これがなければ他のどの役も意味をなしません。でも、この役割に特別な技術が要求されるでしょうか。私の答えは「いいえ、僕はそう思いません」です。ちょっと詳しく説明しましょう。たとえばオペラ歌手ですが、歌うという基本的技術がなければなれません。ところが、版画を作るのには、特別な能力が必要ないのです。この極端な例として、力強さと大胆さに溢れた作風を持つ棟方志功があり、反対の極に、精密さと極端なまでに細部にこだわるデービッドがあります。つまり、どのような特性と技術を持つ人でも、作品を表現する可能性があるのです。ただ、ちょっと「器用」である必要はありますが、この基本能力さえあれば、誰にでも版画家になれる可能性があると言えるでしょう。

実業家(版元)

そうです、版画は誰にでも作れ、数多くの人達が制作をしています。でも、それで生計を立てるとなると、「道具箱」の中にまったく別の能力が入っている必要があります。本物の芸術は金銭に換算できないものだと、「商取引」を見下すような人がいますが、私はまるでそう思いません。現代社会は、労働の分担によって成立しているので、労働によって生産されたものの価値を、いかに正当に変換してゆくかという共通の基準が不可欠です。それが、「貨幣」と呼ばれる存在です。使い易く持ち運びも楽、生産物の価値を変換するのにこれ程便利な物はありません。私がみなさんに版画を渡し、みなさんが私にお金を渡す。この時点で、双方(買う側と売る側)が同等の価値を認めているのです。

ですから私は、版画制作を始めたその時から、自分を実業家でもあると考えていました。毎年、新しい企画を立てる際には、計画の一覧表作りと経済分析が、制作する版画の選択と同じくらい考慮の対象となるのです。

でも、「商取引」は単に帳簿の収支を合わせればいいのではありません。企業の指導者は、すべて船長のような存在ですから、常に船の進路とその方角に進む理由を把握していなくてはなりません。つまり、企業とはどのような存在かという全般的な洞察力がなくてはならないのです。版画をひとつ作ることは簡単で、作品を数枚販売するのも難しいことではありません。でも、首尾一貫した構想力と生産力によって、これを何十年も継続するとなると話は別になってくるのです。

事務職員デービッド

デービッド社長が、空想上のオフィス城に座を占めている一方、日常の煩雑な現実問題も処理されなければなりません。明細書の準備、支払いの記録など、無数の細かな事務があります。明日エッセイを印刷するけど、プリンターのトーナーは足りるだろうか。来週ニュースレターを発送するけど、封筒とラベルはあるだろうか?今回はどこの印刷会社に頼もうか。新しいお客さんの住所と名前は、パソコンに入力してあるだろうか?昨夜は、データーのバックアップを予定通り正確にしてあっただろうか?


プログラマー、デービッド

収集家の方達が、ほどよい時期に正確な情報を受けているかを確認することはとても大切です。でも企画が一つだけだったあいだは、何年も曖昧なままにしていました。最近は規模が拡大して、いくつもの違った種類の版画を扱うようになっただけでなく、収集家も世界中に分散するようになってきたので、より高度な帳簿用ソフトが必要になりました。ところが、私の販売方法は複雑で、既成のソフトでは処理ができません。それで、明細書と帳簿付けのできるソフトを、自分でゼロからプログラミングしなくてはなりませんました。専門の会社に外注すれば百万円単位のお金が掛かりますから!


マーケティングマネージャー、デービッド

たとえ世界で一番という素晴らしい組織力と円滑な運営を備えていても、誰もその商品を知らなければ何の役にもたちません。大規模の会社ならば当然、広報・販売促進部という部署が設けられていますが、これはどんな小企業でも非常に重要です。

木版画は所有すべき物だなどとは、誰も思わないでしょうから、根本方針として私は、「ああ、あれを買いたい...」という気持ちにさせるような狙いで自分の作品を「宣伝」したことはありません。私の実践するマーケティングは、興味を持ってくれそうな人達の目に商品が触れるようにするという、単純な方法です。恒例の展示会がこういった努力を最も集中してする対象で、メディア関連に展示会の情報を連絡します。このメディアへの宣伝活動をどのようにするかというのは、とても難しく計算しにくいところです。手紙、パンフレット、製品の見本、プロモーションDVD... これだけでひとつの職業が成立するくらいですが、せせらぎスタジオでは、デービッドにもうひとつ役割が追加されることになります。専門家に委託するような予算は皆無ですから、たとえ簡単なパンフレットであれ、編集してあるパッケージ付きのDVDであれ、すべて自分で制作することになります。

包装デザイナー、デービッド

他の版画家は、作品ができるとギャラリーに送って販売その他の仕事を委託してしまいます。額に入れて展示するのも、包装して発送するのも、すべて他の人達です。でも私の場合は、連鎖する全行程をすべて自分で考えます。作品の台紙、それを入れる袋、保存とスタンドが兼用になる箱、発送する時のケース、...


ウェブデザイナー、デービッド

現在、インターネットを通じての注文が半数を占めますから、ホームページなしでこの仕事を継続するのは、ほぼ不可能な実情です。ホームページ制作を専門の会社に委託するなど、とても考えられせんから、これも自前で賄うことになります。できの悪いサイトならば、ない方が良いくらいですから、日々更新して常に新しい情報を提供しています。


コンピューターのセキュリティー管理者、デービッド

インターネットが一般に使われ始めたばかりの頃は、複雑な事を考えなくても良かったのですが、最近は難しくなってきています。私のコンピューターとサーバー(東京とアメリカ)に保存してあるお客さんの情報には、あまり個人的な内容は含まれていませんが、どのような資料であれ、安全に保護しなくてはなりません。ところが、昨日安全だった方法が明日はもう適応しないということがあるほど、日進月歩の世界ですから、常に新しい技術を取り入れ続ける必要があります。


物書き、デービッド

版画家や美術家の中には、自分の作品を言葉で説明すべきでないと考える人がいます。作品自体が語り尽くせないのは、作家の表現能力が未熟だからと信じているのかも知れません。でも、私の作品はオリジナルではなく、作品の背景についてあまり知らない人が多いため、作品とそれを見る人達との間をうまく橋渡しをする努力が欠かせないのです。そんな訳で、私の工房から飛び立つ版画にはすべて、ちょっとした説明文が付随しています。加えて、もう長年継続している、このニュースレターがあります。自分と収集家の安定した関係を維持するために、必須の役目を果たしていることは、すでに何度も確認してきました。記述、編集、レイアウト...すべてが私の机上で行われます。

以上の活動のほとんどすべてが、私にとって「外国」で行われているのですから、何をするにも大変さは一回り大きくなります。私と話をしたことのある人ならば、デービッドの日本語能力はおわかりでしょうが、せいぜい必要事項を通じ合うのに問題のないレベルです。電話に応答する度、メールを受け取る都度、内容の全てを掌握できたと確信するにはほど遠い段階ですが、それでもなんとかバイリンガルとしてビジネスを継続できています!。

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もっと考え続けていれば、まだ次々と、この仕事を継続するためにしている役割が追加されることでしょう。(工房の改装工事のことも加えていませんし...)ここまで書いて来た内容を読み返して、自身いくつかの点に驚いているくらいです。第一に、掲げた役割項目の幅の広さです。特に意識することなくこれらの仕事をこなしていますが、毎日会社に行って、ある特定の仕事をしている人達のことを考えてみると、我ながら驚いてしまいます。

加えて、もっとびっくりしたのは、実際に版画制作に関わっている割合が少ないことです。私は、自分がウェブデザイナーだとは思っていませんし、プログラマーであるとも、セールスマンであるとも思っていません、...私は一介の版画家にすぎないと思っているのです!

ですから、最初に書いたような質問を受けた時にはどう答えたらいいのでしょうか。「版画家になろうとするなら、こういった能力が全て必要なんだよ」などと言えば、それは嘘になります。私だって、始めたばかりの頃から全てできたわけではありませんから。ただここで得る教訓のようなものは、今日どの分野であれ、ある会社の従業員としてではなく独立した事業を営むためには、かなり柔軟な人間である必要があるということでしょう。慣れない事でも手掛けてみる勇気があり、比較的すぐに要領を把握することができなくてはならないのです。こういった技能さえ手中にあれば、どんなことも可能になります。

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この記事に関してまだ、楽曲で言うところのコーダ(結尾楽章)のように重要な点が残っています。自分がしている役割を目立たせるように、項目別に書いてきましたが、内容全体として完結するにはまだ不十分です。

年に渡って、万単位の版画が私の元から発送されてきたわけですが、ほとんどの作品の包装は、近くに住む友人の市川さんがしてくださっています。「百人一首」、「摺物アルバム」、「四季の美人」のどれかを持ちになっておられる方なら分っていただけると思いますが、彼女は包装だけをしているのではありません。作品を保存するフォルダーなどは、彼女が実際にひとつひとつ手作りしたものです。今年は、掛軸ひとつだけという企画なので、あまり彼女の出番はありませんが、来年からは再びたくさんのお手伝いをお願いできることになるでしょう!

そして、最後であっても決して軽んじる事のできない人物に言及しなくてはなりません。私のあらゆる努力に助けの手を差し伸べてくれる貞子さんです。彼女は謙虚な人ですから、ここに書かれる事は嫌だと思っている事でしょう。でも、長々と自分のしていることを書き連ねてきて、彼女の貢献を無視するとしたら、きわめて野暮の一語につきることになります。私は、自分の事業に関する決断は、もちろんすべて自分自身でしていますが、人の意見に耳を傾けないわけではありません。彼女の助言から受ける影響もしっかりと反映されているのです。

また、作品に付随するエッセイやこのニュースレター翻訳は、現在彼女が全て担当しています。翻訳ならば、たくさんの人がやっているから、と考える方もいらっしゃるでしょうが、私達の場合はちょっと違っています。まず彼女が訳し、その日本語を私が読んでゆきます。この時点で、細かなニュアンスの違いを見つけたり、また私自身が原文を書き換えたりします。別の言語に置き換えるという作業は、改めて本文を客観的に見ることができるので、ふたり共に学ぶことが多いのですが、このように手間のかかる翻訳を依頼することなど普通できるものではありません。

このように、彼女は色々な意味で私の生活と仕事から切り離せない存在になってきています。指折り数えてみると、知り合ってかれこれ12年になりますが、これがまだまだ私達の関係のほんの始まり...であって欲しいものです。

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