デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」の一冊の内容です。

ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。

41号から最新号まで

1号から40号まで



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'Hyakunin Issho'
Newsletter for fans of David Bull's printmaking activities
Winter : 1993

「千里の道も一歩から」という、古い日本のことわざがあります。でもたぶん、私の場合はそれを「百里」に変えたほうがいいでしょう。私の旅も小さな一歩から始まり、今、半分まで来ました。前回の「百人一緒」で言いましたように、この号は記念すべき「特別号」です。

秋の号で、皆さんに投稿をお願いしましたが、ほとんどの方は忙しすぎたり照れくさかったようです。そこで、私自身のファイルから、何か材料があるか調べてみました。皆さんとわかちあえるいくつかのネタが見付かりました。

この号が年内に届くように願っています。秋はいつも忙しいので、ぎりぎりの時期になるまで「百人一緒」にとりかかれません。さらに、ご存じのように、印刷会社も年末は忙しくなります。この場で、羽村在住の友人坂崎隆義さんと土井昭美さんに感謝の言葉を申し上げたいと思います。二人はおしみなく時間をさいて、この冊子と月々のメッセージの翻訳を手伝ってくれています。この協力がなければどちらも発行できなかったことでしょう。

読者からの手紙

長野市に住むレベッカ・マルクから。ベッキーさんは、以前にも「収集家の紹介」の欄で、紹介させていただいたことがあります。今度は、彼女に書いてもらう番です。

私はこの壮大な企画の参加者となった日のことを鮮明に覚えています。私はジャパンタイムズを読んで参加することを決めたひとりです。私は日本文化の一側面として、百人一首に興味をもっていました。そして私は、木版画に対する深い理解からというよりも、この角度からこの企画に夢中になっていきました。

どうして私はこんなにも長い間、これに関わっているのでしょう? 多分、それは、私が自分の参加を芸術への一種の支援だと考えているからだろうと思います。私は、自分にはないものをもっている人を尊敬します。デービッドがこの企画に一心にうちこんでいる姿はちょっと驚異的です。私は、ばかなくらい一心不乱に、このような大変な仕事に取組む人は誰でも、金銭的及び精神的援助を受ける資格があると思います。そして私はまた、この展開を楽しんで見てきました。職人とこの企画の確かな進歩と発展を。だから私は、デービッドが時に実験をしたり、原作に忠実でないことをしても決して反対しません。彼が自分自身の創造的な何かを版画に少しでも付け加えはじめないのなら、それは息が詰まるようなものになってしまうでしょう。「がんばって、デービッド、決してやめないで!」

佐藤栄一様から

ブルさんによって、二百十四年も前の日本の文化がそのままの形で蘇って、現代の私たち日本人の生活から消えてしまった江戸時代の色彩が見事に再現された作品に感激しました。作品を拝見して、私はカナダ人のブルさんが独学でよくここまで、昔の日本の版画の技法を修得されたことに、ただ驚かされるばかりです。また、外国の方に江戸時代の版画をこのように身近かなものとした再現していただいたことに、日本人として心から感謝申しあげたいと思います。

十年にも及ぶ職人ブルさんの長大な版画制作が立派に成就されることを心より願っています。色々困難がおありかと思いますが、頑張って下さい。

跡見学園短期大学図書館の中井敏江様と高橋美枝子様から

永住権を得られて、おめでとうございます。『百人一緒』の最後に「私の国は...日本です。」とお書きになっていらっしゃるので心を打たれました。日本人の私たちもうれしいです。そして、私達ふたりはブルさんと同じにテレビを見ない暮らしをしていることをお知らせ申し上げます...

稲城市の田中房彦様から

早く『百人一緒』に歩みつづける日が来ることを節に望みます。私も百人分の一人になれたことに大きな喜びを感じています。

私の考えですが、全体的に深い色調で統一されているように思いましたが、作品の一、二ヶ所、朱、紫、みどりといった原色に近い色を加えますと作品全体がさらにひきしまり生きてくるように思いました。原画に忠実に再現されようとしている貴君の気持ちはよくわかりますが個人の工夫感覚で、オリジナリティに富んだよりよき作品ができますことを希望すると共に益々のご活躍を心よりお祈り致します。

羽村市の土井昭美様から

私が一番おもしろいと思った記事は第10号の「職人 対 Craftsman」 です。私は時々、西洋と日本の文化の違いについて夫と話をします。彼は言います。「西洋人は、どんな状況でも自分たちが正しいと考えているに違いない。例えば、彼らは日本人がくじらを食べることを認めない。一方、日本人のほうは、他の文化を尊重し、それらを許容する度量がある。でも、日本人はちょっと他の文化に対して寛容すぎるかもしれない...。」 私の意見は夫と全く同じではありません。私にはロンドンにペンフレンドがいますが、彼女は私たちの文化を尊重してくれています。私はデービッドさんもそうだと思います。デービッドさんは「日本人のやり方と西洋人のやり方は非常に異なっている」とはおっしゃっていますが、どちらが優れている、とはおっしゃっていません。私も同じ意見です。そして私は、日本人のやり方と西洋人のやり方とが同じ頭の中に、同じ手の中に同居しようとしているという、デービッドさんという人に、とても興味があります。

埼玉県大井町の川中恵美子様から

ブルさんの作品ができ上がるまでの過程を知ることができてますます作品への愛着がわいてきたように思います。様々なご苦労があることもよくわかりました。ブルさんのお部屋だけが現代の日本の社会からタイムスリップしたかのように思え、心休まる気がいたしました。日頃から、子供には、常に創造的な心を見失しなわないようにと心がけていくつもりです。ブルさんご一家にお会いしますますよい刺激になったと思います。

福井県の山口絹子様(和紙職人の奥様)

わが漉きし 紙に沁みゆく 色の美に 魅せらると言ひ来ぬ カナダの君が
賀状に版画のかるた画き来しテービットさん和紙たのむとあり
己が身をさいなむ病魔にうち勝つと 夫はひたすら 今日も紙漉く

アダチ版画研究所の安達以乍牟様から

「百人一緒」有難う御座います。御仕事と、その周辺を皆様に知ってもらう為の御努力に敬服してます。私達が行う事を貴方が実行して下さっている。感謝します。来永く続くことをお祈り致します。

その13:前半が終わった!

(ついに完結)

最初の年に、小さな「フリースペース」で「ミニ」展示会を開いた後で、これからはお客さんに、もっと興味をもってもらえるような展示会を開こうとつとめました。羽村市には、私がしたようなことに使えるギャラリーも展示場もありませんが、となり町の青梅に、感じのいいギャラリーを見つけました。 2回目と 3回目の展示会にはそこを借りました。実演をするために、仕事の道具と版木を持ち込み、作品の内容を補足説明するために、様々な写真なども展示しました。マスコミはいつも積極的に記事を書いてくれましたので、ギャラリーが都内から離れた場所にあるにもかかわらずお客さんも多く、定期購読の申し込みも確実に増えていきました。

91年と92年には、テレビ関係者や新聞記者、雑誌のカメラマンがひっきりなしに私の仕事場に取材に訪れました。ですから、記事を切り抜いたスクラップブックもかなりの厚さになりました。私は、かつてない最良の経験をしたようです。マスコミから「いい意味」での注目を浴びて、「悪い意味」で取り上げられることは一度もありませんでした。特別に有名な人物にはプライバシーもなく、通りを歩いているだけで人目をひきます。しかし幸いなことに、私にはそんなことは起こりませんし、この先も決してないと信じています。かわりに、スクラップブックの記事は、とても素晴らしい個人的な楽しみを与えてくれました。このことは認めざるをえません。

91年の秋のことです。私は百人一首シリーズの四分の一を完成させました。その時に、「英語教師兼版画家」から「版画家」へと、立場が変わりました。自分で予定していた通りの方法ではありませんでしたが。版画の仕事だけで生活ができるようになったから英語教師をやめたのではなく、妻がカナダの学校へと出発したから、ささやかな教室を閉鎖しないわけにはいかなかったのです。版画の仕事をして、教室の準備と授業、さらに家事を適切にこなし、二人の娘の面倒を見る時間は、とうていとれませんでした。どれかをあきらめなければなりません。それが英語を教えることでした。私は 5年間、英語教室を続けました。これがついに終わるのはたとえようもない心の痛手でした。 5年の間、近隣の何十人もの人々と知り合いました。下は幼児から上はおばあちゃんたちまで含まれました。2023+回を越える授業を通して、これらの方々が英語でコミュニケーションする能力が高まるように、また、そのことよりもおそらくは重要な、自分達の発想とはかなり異質な思考方法にふれるようにと、相当な努力をしてきました。私の人生にかすかなさざなみをたてて通り過ぎた方もいますが、大きな影響を与えてくれた方も大勢います。六畳間の座布団に座って、何回も何時間も議論を重ねる中で、私は、この国のこと、人々のことをたくさん学びました。逆もまた真なり、とも考えます。私自身も、それぞれの方々の人生になにがしかの影響を与えたと思います。むくわれることの多い 5年でした。

自分自身で時間を管理できる立場になったことは、とても喜ばしいのですが、経済的には苦しくなりました。家計はいつも赤字です。また、英語教授でたくわえたわずかばかりの貯金は、毎月だんだんと消えていきましたから、私はもっと多くの方に、自分の仕事を知ってもらう方法を模索しました。それで、93年の 1月に東京都内で展示会を開くことに決めました。都心に住んでいて、きっと私の仕事を気に入ってくれるに違いない人々のことを考えていたのです。前に青梅で展示会を開きましたが、そこまでは遠くて来られない、という人たちを想定していました。計算してみると、「へんぴな」青梅のギャラリー(一日 1万円かかります)には週に 250人が集まり、 9名の方が定期購読者になってくれました。ということは、にぎやかで「人の集まる」新宿で見つけたギャラリー(一日10万円かかりますが)には相当な人数が集まるに違いありません。おそらく財政的な問題を解消してくれるだけの定期購読者が見込まれることでしょう。

前年の収入の五分の一すべてをつぎこんで、わずか 6日間の展示会を開くことは、コインを投げて、裏か表かを決めるような賭けでしたが、思いきって会場を予約しました。すべてを含めてちょうど 100万円使いました。ギャラリーの費用に写真代、搬送費用、パンフレット代金などなどです。さて、結果はどうだったでしょう? その週の終わりに、 4人の方が契約してくれました。前の年に青梅で開いた時より 5人少なかったわけです。もちろん、新しく契約していただいた 4人の方にはこのうえもなく感謝しています。このことはおわかりいただけると思います。しかし、全体的には残念な結果に終わったことを認めないわけにはいきません。これが普通なのだろうと考えています。前年の展示会は、「バブル」の絶頂でしたから、そちらのほうが例外だったのでしょう。

私は頭がおかしくなったのかどうかわかりませんが、 6年の 1月に、また同じギャラリーを予約しました。東京での展示会は「あきらめ」て、地方のギャラリーにもどることは考えられません。この 1年で景気がよくなったとは思いませんが、背を向けて逃げ出したのでは、どこにも行き着かないだろうということはわかります。10年がかりの計画が、半分まで達成したことにより関心を呼び、多くの方が来てくれて催しが成功することを望んでいます。去年の今ごろ、展示会の前ですが、私は愚かにも自信過剰でした。あらゆる問題は解決するだろうと思っていました。しかし(手痛い)教訓を学びましたから、今年は多くは期待していません。黒字になるかもしれませんし、赤字のままかもしれません。いくら費用がかかったか、どれほどの人が集まったか、何人が定期購入してくれるか、ということよりも、50枚の作品が壁にかかるという事実が残ります。 5年前には何もなかったのです。50枚! こうして作った作品が全部壁にかかっているのを見るのは、最高の気分でしょう。多くの人が来てくれても、あるいは誰も来なくても、やはり気分は変わらないでしょう。

展示会が終われば、片付けをして家に帰り、残り半分の旅に出ます。この先 5年間に何が起きるか予測はできません。(実際、今までの 5年間に起こったことは、少しも予測できませんでした。) しかし断言できることはあります。さらに50枚が生まれるということです。これまでの50枚よりもさらに内容がよくなっていればいい、と思います。私はいまも、この企画に熱をあげていますし、意欲はおとろえません。89年の初頭、大昔とも思える、今から 5年前と同じようにです。技術が着実に進歩していることが理由の一つであり、さらには、今もこの工芸から新しいことを学んでいるからです。収集家の方とのコミュニケーションを通じて意見をうかがうことも、重要な要素の一つです。けれど、根本的な理由は、この仕事がとてもやりがいがあるからだと思います。

しばらく前に新聞で映画の批評記事を読みました。男達の一団が体験した「変化」を扱ったものです。彼等は太っていきました。「自分達が得たもの」は「自らが得ようとしていた」ものだ、と男達にはわかっていました。気がついていたのです。「この地点からは、坂道を下だるように落ち目にになる」と。といった話です。男達は30代のなかばです。数週間前に、私は42回目の誕生日を迎えました。このこと自体はそれほど嬉しくもありません。しかし自分が「下だり坂」だとは決して思いません。自分は今、何か特別な人間だとは考えていません。ごく普通だと思います。しかし、この映画の中の男達の考え方は間違っているばかりでなく、ひねくれている、と断言できます。ただ、明らかに、人生の一般的な側面の一つを反映しています。赤ん坊として出発し、「学生」になり、学業を「卒業」して社会に入り「大人」になり、「仕事を得る」。そこで進歩は終わるかのように見えます。会社勤めのあとは退職し、手をこまねいて死を待つだけ、と。

これが、受け入れるべき人生の計画だとは信じたくありませんが、私の目につく範囲では、若者たちは何の疑問もなく、この考え方を受け入れているようです。彼らにとっての重大な問題とは、「人生で何をなすべきか」とか「地球上で、いかにして最良の時を過ごすか」ということではなく、「どの学校に入るようにしたらよいか」あるいは「大人になったら何になりたいか」といったことです。この考え方は単純な、ただ一つの回答を求めています。「世の中とはそんなものだ」と、彼らは考えています。しかし私はこう考えたいのです。学校や仕事に捕われる時間を少なくし、誰もが同じ道路地図をたどりながら、皆と同じように融通のきかない行進をする時間が減らせるような社会を、築き上げることができるのではないかと。これを実現できるかもしれないアイデアがいくつかあります。残り半分になりましたが、この、版画製作プロジェクトについての冊子の中で少し視点を広げて、意見を交換できるかと思います。

今夜は、ワープロをたたきながら少し本題を離れてしまったようです。今度の展示会までにこの原稿を書き上げることになっていました。準備は整いました。案内状も送りました。新たな 100万円が手を離れました。さて、どうなることでしょう。成功するでしょうか? 無一文になるでしょうか(再び)? 英語を教える仕事に戻らなくてはならないでしょうか? まったく、サスペンスですね。(このスリルを求めて、カナダで「気楽なサラリーマン」をあきらめたことを思い出します。)

収集家の方々

これまでのニューズレターで、私の版画の収集家の方たちの何人かを紹介してきましたが、一年に 4回の発行では、すべての方を紹介することはできません。この「半分記念号」を機会に、御紹介できなかった方々に対し、せめて少しばかりの感謝の言葉を捧げたいと思います。

この方たちは何をしている人でしょうか? 私が実際にお会いしたのは、主婦、学校の先生、証券マン、バスの運転手さん、歯医者さん、会社員、画家、弁護士、会計士、図書館員...など、実に様々な人たちです。一年間だけ集められた方もいました。はじめは一年だけ参加するつもりだったのが、もっと長くなってしまった方もおられました。 5年間の作品をすべて本棚に保管して、「最後の最後まで」私につきあいたいと言ってくださっている方もおれらます。

収集家の方々へ
ここにみなさんのお名前を掲げ、私の仕事を支えてくださっていることに対して、心から感謝したいと思います。ありふれた言い方に聞こえるかもしれませんが、これは本当の気持ちです。みなさんの援助がなければ、これらの版画は生まれなかったでしょう。みなさんからの版画代金は和紙や版木、ニューズレターの印刷代金などになるだけでなく、直接、私の家族の生活を支えてくれました。食卓にのぼるこはん...雨風をしのぐ屋根...私たちの衣服... 私たちが必要なものはすべて、みなさんのおかげで得ることができました。

ほとんどの方々は、これまでに私のことをたくさん知っていただいていると思いますが、私の方はみなさんのうちのほんの少しの方を知っているだけですし、そのうちのほとんどは私の家の近くに住んでおられる方です。展覧会で少しだけお会いした方もおられますが、電話でしかお話ししたことがない方も大勢いらっしゃいます。私の日本語がうまくないために、話がなかなかすすまないこともあります。ですから、みなさんからいただく手紙やはがきは、大変ありがたく、楽しいものです。(助手の方たちが、私が読めないところを読むのを手伝ってくださいます。)

集めてくださった版画が10枚であろうと50枚であろうと、みなさんの御援助に本当に感謝します。みなさんがこれらの版画をもつことに、私がこれらを作るのと同じくらいの楽しみ感じてくださっていればいいなあと思います。

テービッド

1989

長 文男様

羽村市

寺門ミチ様

青梅市

山下 巌様

青梅市

曽田泰子様

羽村市

森本キミエ様

鳴門市

片桐達介様

静岡県 春野町

森分貞方様

倉敷市

田中貞雄様

福島県 会津高田町

川中 修様

埼玉県 大井町

大場隆夫様

川崎市

石川 晃様

宇都宮市

Mr. K. Anansiriprapha

Thailand

佐藤栄一様

八王子市

鎌田業継様

羽村市

光山高弘様

羽村市

1990

野田美江子様

秋川市

佐藤美知子様

羽村市

小澤七絵様

羽村市

Mrs. F. Robinson

Vancouver, Canada

Ms. Phyllis Morita

東京

Ms. Rebecca Marck

長野市

Ms. Amy Aki

岡山市

芦田美代子様

羽村市

高橋清美様

羽村市

橋本美恵子様

羽村市

蛯沢美代子様

羽村市

Mr. Basil McIlhagga

東京

Ms. Ann Hughes

神戸市

鈴木鈴子様

羽村市

松内富実夫様

羽村市

向各地希市様

羽村市

Mr. Michael Lynch

横浜市

Larry and Yuki LaCoss

福生市

Mr. Michael Metteer

Philadelphia, USA

Ms. Sheila Phalon

東京

Mr. P.M. Groen

Jakarta, Indonesia

有城重良様

大阪市

飯澤美穂様

秋川市

Ms. R. Walker

東京

柴田正治様

羽村市

1991

福井和子様

羽村市

山本信之様

小平市

金子登茂子様

青梅市

大竹桂子様

武蔵野市

横田清子様

武蔵野市

伊藤光子様

三鷹市

島田文二様

武蔵村山市

村井 一様

東大和市

大澤 喬様

羽村市

Mr. Leighton Akin

川崎市

大山靖史様

宇都宮市

杉森 亮様

神奈川県 山北町

細谷京子様

東京

牛山勝利様

東京

馬場 修様

青梅市

加藤敏幸様

羽村市

北島 茂様

青梅市

寺本 柾様

新宮市

竹内靖詞様

新宮市

一倉三恵子様

埼玉県 熊谷市

大川婦子様

埼玉県 菖蒲町

軽部和樹様

埼玉県 熊谷市

1992

Mr. Mark Roberts

California, USA

武田千恵様

新潟市

宇佐美江中様

青梅市

中川彪三様

青梅市

関すみ江様

羽村市

近藤悦子様

羽村市

小柳祥子様

羽村市

金井清三郎様

相模原市

田中房彦様

稲城市

飯田和子様

清瀬市

山田洋光様

栃木県 国分寺町

Mr. Ned Herperger

Regina, Canada

山田桂子様

羽村市

川和 浩様

東京

新藤恵代子様

埼玉県 行田市

白根和美様

埼玉県 江南町

日下部利子様

埼玉県 熊谷市

1993

Mr. & Mrs. Guttentag

東京

早坂 叔様

東京

佐野好子様

武蔵村山市

小山陽様

武蔵村山市

佐々木公子様

東京

奥村淑子様

東京

跡見学園短期大学図書館

東京

石川公子様

羽村市

吉州隆道様

埼玉県 熊谷市

大熊玉枝様

埼玉県 東松山市

鈴木房江様

埼玉県 東松山市

Mr. Stefan Nalletamby

東京

松本秀子様

埼玉県 鴻巣市

Mr. & Mrs. S. Simons

Victoria, Canada

今年は長く、困難な一年でした。この企画を始めた時、最初の段階はむずかしいかもしれないけれども、そのうちすぐにもっと楽にうまくできるようになるだろうという印象をもっていました。もちろん、どんなにしっかり準備をしても、物事はいつも計画通りにいくとは限りません。でもそれでかまわないと思います。もし、道に、でっぱりやカーブがなかったら、私たちはみんな、車のなかで眠り込んでしまうことでしょう!

でも、今しばらくの間、仕事は横においておきましょう。今年の10枚の版画は終わりました。このニューズレターも、ほとんど仕上がって、印刷に出す準備ができています。いつもとちがって年賀状まで早くもうみんな書いてしまいました。今は休憩時間です。私は、ここにしばらくただじっと座って、何もしないでいようと思います、もし、そのやり方を思い出せたなら...

これまでの 5年間、本当にありがとうございました。ではまた来年...