デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」の一冊の内容です。
ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。
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今年の展示会も終り、いつもの仕事のリズムにもどりました。彫り、彫り、そして又彫り...
このニューズレターは本来、そのほとんどを職人さんの紹介にあてるつもりでしたが、過去 2回のニューズレターは少しばかり脇道にそれてしまいました。今回は又もとのパターンにもどって、私の摺り用の刷手を作って下さっている職人さんを訪ねてみましょう。それから版画作りについて私が皆様に話すのではなくて、反対に皆様から話していただきましょう...
(前回からの続き)
それはもう一つの興味深いコンタクトをももたらしました。それは八王子在住の関健二氏からの電話で、彼は木版画摺り師だと自己紹介されました。彼は外人の浮世絵版画家という記事を読んでびっくりして、どうなっているんだろうということで訪ねてくださいました。関さんは、20世紀のデザインのものの仕事を主にされており、現代の有名な版画家の摺りの仕事をされています。彼との出会いはとても興味深いものでした。昔は、弟子は他の人の仕事を見るチャンスはなく、単に親方のやり方に従ったものでした。良きにつけ悪しきにつけ私にはそのような束縛はありません。(だからそれぞれの職人さんのプライバシーを守って、Aさんはこうしたけど、Bさんはこうだったなどと言わないようにしなければいけません) 一つ、関さんと、私の主なガイドである松崎さんに共通していることは、彼らがオープンで、進んで私を取けてくださろうとすることです。
この時には私は第 3番目の版画にとりくんでいました。私は東洋文庫を又訪ね、各月の彫りの版下を作るのに用いる全シリーズのカラーのネガを注文しました。私はビジネスのことについて(ちょっと遅くなりましたが)も彼らと相談しましたが、彼らの原画を用いることには何ら異存はなく、そのかわりに出来上がった版画を彼らのコレクション用に送ることを求められました。
大きなチャンスが 6月半ばにやってきました。それは以前の私のちょっとした宣伝用のチラシに答えて時事画報通信社の橋本氏がインタビューの為に訪ねて下さったことです。最初、彼は礼儀正しく、控えめでしたが、話の途中で、彼の質問に答えて、私が作った小さなノートを彼に見せました。これには、歌の入った春章の版画の小さなコピー、可能な配色、等のメモ、それと、平成10年12月までの各版画の予想完成月日が書かれていました。彼はこれらを全部見ていました。そして座り直して、しばらく何も言わないで私を見つめていました...それから「本当にやる気なんですね」... 私の返事は真実味があったのでしょうか、彼はとても熱心になってきました。それからの午後は、あらしのような写真撮影や質問、そして約一ヶ月後には私の仕事についてのすばらしい記事と写真の載った雑誌『フォト』が郵送されてきました。明らかに読者の方々もよく書かれた記事だと思われたのでしょう。次の数ヶ月の間にたくさんのお電話をいただき、 8人の方々が版画シリーズの収集家になってくださいました。もちろんこれはすばらしい助けになりました。他の人々も私のしていることに興味を持ってくださいました。まもなくこれらの新しい収集家の方々から感謝やはげましのお手紙やハガキをいただくことになりました。やっと、本当に始まりました。
その年の夏は、三千代の両親が私達と一緒に住むようになったので、東京で過ごしました。 7月〜 8月の間、英語クラスは休みで、私はひたすら版画を作りました。 4番目...5番目...まだ版画製作で生活してはいけませんでしたがそれは時間の問題のように思えました。もし 9月に又英語クラスが始まった時に、英語クラスをやめてフルタイムで版画製作ができるようになるまでにはさらに 2年間もかかるとわかっていたとしたら、私は泣き出してしまっていたにちがいありません。
... 続く ...
元浅草にもどって、上野駅から東へ延びている道路、まずパチンコ店用のパチンコの台や玉を売っている店がかたまっている場所を通り、仏檀や神具を売っている数十店の店がならぶ広い通りを過ぎ... このあたりには、ニューズレターで以前 2回来たことがありますね。 1回は版木職人の島野さんを訪ねて、もう 1回は*職人の金子さんを訪ねてきました。今回の目的地は、宮川彰男氏の小さな店で、私が版木に顔料をのばすのに使う刷手を作っています。
その店は本当に小さく、私が腕をのばすと両側の壁にとどくのではないかと思います。そのスペースはいろんな種類の刷手の入った飾りだなや引き出しでいやがうえにも狭くなり、入口から入ったすぐそばには狭い台があり、そこで刷手が『縫い』あげられていきます。私がその台の縁に座り、宮川さんと話している間、彼の奥さんはそばに座って版画職人の小さな刷手を仕上げていきます。彼女の前には、刷手の本体となる木片をつかむ木のかすがいが置かれています。刷手の本体となる木片にはドリルでたくさんの穴があけられており、彼女はこの穴にステンレス・ワイヤを通して、小さな束になった馬の毛を留めていきます。それが終ると、もう一つの木片をのせ、鋲で留め、毛の長さをそろえ、毛先をやわらかくすると、待っている版画職人の刷手ができあがります。
このような仕事がこの狭い台の上で、大正時代の創業以来70年も続けられてきました。私は、「その昔の江戸時代から続けられてきた...」とは言いませんでした。そうですね。仕事は時代と共に変わっていきます。宮川さんの店は古い歴史がなかったとしても伝統職人用の刷手の主な専門店の一つとして知られ、客のほとんどは伝統職人達です。版画職人ばかりではありません。私達が話している間にも、何人かの客が文楽の人形の頭をぬる特別の刷手があるかどうかたずねました。彼の答えは「ありますよ」ではなく、「どのサイズがいりますか」でした。もちろん彼はいろいろとそろえています。彼は又漆職人用、鎌倉彫り用、仏檀作り用、着物の染め用、等々あげきれないほどの刷手を用意しています。私がどれぐらいの種類の刷手がありますかとたずねると、彼は肩をすくめて...「数えきれないな...」。
さながら動物園のようです。馬、山羊、羊、豚、タヌキといったありふれた動物から黒てんのようなエキゾチックで高価な動物まで... 毛は世界中からきており、主な供給先は中国です。
伝統職人用の道具という特殊性は刷手の測り方に表れています。近くの金物屋さんでは、大工用のペイントブラシは、センチメートルで表されています。最近宮川さんから買った私の刷手には二寸五分と印されています。このニューズレターの読者は10分は一寸で、10寸は1尺だと憶えてられるくらいの年ですか。宮川さんは、刷手の本体は寸で、毛の長さはセンチで、穴の大きさは何分の1インチで表わした注文を受けることがあります。
私が今までに出会った自分のスケジュールで仕事としている職人さんたちと違って、宮川さんご夫妻は店の時間の日々のリズムで仕事をします。店の中の狭い台では、一人しか働けないので、二階の居住スペースも使われることになります。これは、まさに家内(コテージ)工業で、ただこのコテージは山の中ではなく、車やトラックの流れの絶えることのない 4車線の浅草道りに面しています。しかし、これはたぶん伝統工芸店としてはもっとも適した環境でしょう。その昔、この種の職人は、騒音と活気にかこまれた下町のまさにもっとも入口の密集した場所に住んでいました。今では宮川さんの店をのぞいてみるトラックの運転手はいませんがツヤコさんは私の次の刷手を作りながら、彼らが通り過ぎていくのを見ています。通り行く人々が浅草寺や又は吉原の方へ歩いていくのを彼女の祖先が見てきたように。この場所が何百年前にそれらすべてがおこった所なのです。そしてこの場所では、それは宮川さんご夫妻のような人々が小さな細い台に座って、束ねて、束ねて、束ねていくかぎりずっと続いていくことなのです。そして時々は頭を上げて「もちろんありますよ。どのサイズがいいですか」と答えながら...
宮川さん、古い伝統を守り続けて下さり、ありがとうございます。
2年ほど前にテレビのクイズショーに出たことがありました。プロデュサーが電話を下さった時には少しおどろきました。というのは私の日本語はそのような番組に加わるには十分ではありませんでしたので、しかしそれは、パネルメンバーとしてではなく、クイズのトピック提供の為でした。伝統的版画製作には普通の人にはちょっと不思議に思われるようなことがあり、パネルメンバーをためしたり、困らせるのが目的でした。
そのプロデュサーはどんなことに、興味をもったでしょうか。そうですね。そのことは直接話すよりは、この『百人一緒』で私達でクイズをやってみた方がいいのではないかと思いました。そこで版画製作の仕事や私の使う材料について10の質問を用意してみました。やさしいのも難しいのもあります。
あなたの時間を無駄にしないようにちょっとした賞を考えています。応募は次のニューズレターが出るまでです。少くともいくつかの答があたっていれば、最近私が作ったレターペーパーを送ります。答えをハガキ、又は次の支払の時に郵便振り込み用紙のメモ欄に書いてお送り下さい。楽しく答えを考えて下さい。松崎さんにアドバイスの電話をかけるのはフェアーじゃないですからね!
難しすぎると思われっても落胆しないで下さい。もちろん全部の答えは次のニューズレターに載せますが、その時までどうぞ待たないで、試してみて下さい待っています。
版画製作に忙しくても、この小さなニューズレターを無視したことはありません。それを計画したり書いたりするのはとても楽しみで、実際次のニューズレターもすでに書き終り、ワードプロセッサーに入っています。それは、三千代が 4月末に日本に帰ってきたときに働く為の『プレゼント』です。(いつの日かこれらのストーリーを自分で日本語で書き、それを英語に翻訳することができるでしょうか。)