デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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宮川彰男さん : 刷毛職人

元浅草にもどって、上野駅から東へ延びている道路、まずパチンコ店用のパチンコの台や玉を売っている店がかたまっている場所を通り、仏檀や神具を売っている数十店の店がならぶ広い通りを過ぎ... このあたりには、ニューズレターで以前 2回来たことがありますね。 1回は版木職人の島野さんを訪ねて、もう 1回は*職人の金子さんを訪ねてきました。今回の目的地は、宮川彰男氏の小さな店で、私が版木に顔料をのばすのに使う刷手を作っています。

その店は本当に小さく、私が腕をのばすと両側の壁にとどくのではないかと思います。そのスペースはいろんな種類の刷手の入った飾りだなや引き出しでいやがうえにも狭くなり、入口から入ったすぐそばには狭い台があり、そこで刷手が『縫い』あげられていきます。私がその台の縁に座り、宮川さんと話している間、彼の奥さんはそばに座って版画職人の小さな刷手を仕上げていきます。彼女の前には、刷手の本体となる木片をつかむ木のかすがいが置かれています。刷手の本体となる木片にはドリルでたくさんの穴があけられており、彼女はこの穴にステンレス・ワイヤを通して、小さな束になった馬の毛を留めていきます。それが終ると、もう一つの木片をのせ、鋲で留め、毛の長さをそろえ、毛先をやわらかくすると、待っている版画職人の刷手ができあがります。

このような仕事がこの狭い台の上で、大正時代の創業以来70年も続けられてきました。私は、「その昔の江戸時代から続けられてきた...」とは言いませんでした。そうですね。仕事は時代と共に変わっていきます。宮川さんの店は古い歴史がなかったとしても伝統職人用の刷手の主な専門店の一つとして知られ、客のほとんどは伝統職人達です。版画職人ばかりではありません。私達が話している間にも、何人かの客が文楽の人形の頭をぬる特別の刷手があるかどうかたずねました。彼の答えは「ありますよ」ではなく、「どのサイズがいりますか」でした。もちろん彼はいろいろとそろえています。彼は又漆職人用、鎌倉彫り用、仏檀作り用、着物の染め用、等々あげきれないほどの刷手を用意しています。私がどれぐらいの種類の刷手がありますかとたずねると、彼は肩をすくめて...「数えきれないな...」。

さながら動物園のようです。馬、山羊、羊、豚、タヌキといったありふれた動物から黒てんのようなエキゾチックで高価な動物まで... 毛は世界中からきており、主な供給先は中国です。

伝統職人用の道具という特殊性は刷手の測り方に表れています。近くの金物屋さんでは、大工用のペイントブラシは、センチメートルで表されています。最近宮川さんから買った私の刷手には二寸五分と印されています。このニューズレターの読者は10分は一寸で、10寸は1尺だと憶えてられるくらいの年ですか。宮川さんは、刷手の本体は寸で、毛の長さはセンチで、穴の大きさは何分の1インチで表わした注文を受けることがあります。

私が今までに出会った自分のスケジュールで仕事としている職人さんたちと違って、宮川さんご夫妻は店の時間の日々のリズムで仕事をします。店の中の狭い台では、一人しか働けないので、二階の居住スペースも使われることになります。これは、まさに家内(コテージ)工業で、ただこのコテージは山の中ではなく、車やトラックの流れの絶えることのない 4車線の浅草道りに面しています。しかし、これはたぶん伝統工芸店としてはもっとも適した環境でしょう。その昔、この種の職人は、騒音と活気にかこまれた下町のまさにもっとも入口の密集した場所に住んでいました。今では宮川さんの店をのぞいてみるトラックの運転手はいませんがツヤコさんは私の次の刷手を作りながら、彼らが通り過ぎていくのを見ています。通り行く人々が浅草寺や又は吉原の方へ歩いていくのを彼女の祖先が見てきたように。この場所が何百年前にそれらすべてがおこった所なのです。そしてこの場所では、それは宮川さんご夫妻のような人々が小さな細い台に座って、束ねて、束ねて、束ねていくかぎりずっと続いていくことなのです。そして時々は頭を上げて「もちろんありますよ。どのサイズがいいですか」と答えながら...

宮川さん、古い伝統を守り続けて下さり、ありがとうございます。

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