明治の模様帖から

今回の作品は、最初からこのように画かれた絵ではなく、「編成」されています。ですから作者の名前は、絵師ではなく編集者としての私になります。

作品の構成要素となる竹林、空想的な雰囲気のある海岸、渦模様の背景、これらはすべて私のコレクションの中から選んで用いました。明治と昭和の作品です。編集者あるいは版元としての裁量で、これらの作品にある要素を自由にアレンジし、見て心地よく面白味もある構成にしてみたのです。ここまではこの絵の「何たるか」に関する説明ですが、私がぜひ述べたい観点があります。

木版画は世界中の文化圏にたくさん存在していましたが、どの場合も「大雑把な間に合わせ」的な彫と摺で作られていました。内容を伝達するということが主な目的でしたから。また、ほとんどの文化と歴史的な時期において、版画はかなり明確な目的を持っていました。18世紀初期のイギリスでは風刺と道徳性を説くための媒体でしたし、アジア文化の初期段階においては宗教画であり、現代になると、世界中にいる私の友人にとって「メッセージ(たいていは主張)」を伝達する手段です。

日本の多色摺版画の世界に、このような例がないわけではありませんが(じっくり探せば見つかるでしょう)、一般的な傾向ではありません。それは日本人が、美しい鑑賞物としての版画を純粋に望んでいるからなのです。

思想や意見を伝えることが目的ならば、線を丁寧に彫る必要などありませんし、深みのある色にするとか、色合いの工夫をするといった必要もないわけです。そういったことを必要とする唯一の理由は、美しい作品を作るという目的で、美への追求がより一層深まることによって、日本における木版画の技術が世界中のどの国よりも遥かに向上したのです。

私の版画仲間には、世界中の不公平を正したいと黙々と版木に向き合って制作をしている作家たちがいます。こういった姿勢に対し私はまるで批判的な考えを持っていませんが、自身の版画への気持は違います。私が版木を彫る時に強く望むのは、たったひとつ ― 完成した作品を見た人が心地よい喜びをたっぷりと感じることです。「ああ、何てきれいなんだろう!」と。

意義ある目的だと、私は信じています!

平成23年6月

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