おどり 鳥追い

数か月前に「墨摺絵」(祐信の絵)をご紹介しましたが、今回は日本の木版画技術がそこから数歩進展した例です。多色摺りが初めて行われた時期は定かでありませんが、色版を使った初期の版画のひとつに、青で水路を記した江戸の地図があるようです。意欲的だった当時の版元がその技術を用いて、かなり限られた色彩範囲ではありましたが、色付きの絵も作り始めたのです。

最初は2色に限定していました。たいていは赤みがかった色を、茶や緑(こちらが多かったようです)と組み合わせました。こういった作品は一般に、「紅摺絵」という名で知られるようになります。今回の作品はその例で、絵師は石川豊信です。

彼らはなぜ色を限定したのか、私にはよく分かりません。複数の色を使うのなら、何故もっと力を尽くして、たっぷりとした色使いにしなかったのでしょうか。私の推測では、費用が鍵だったのだと思います。色を増やせばそれだけ費用がかさみますし、版画業界における競争はかなり厳しかったようです。加えて、版画の購買層は金持ちの上層階級ではなく一般庶民でしたから、経費の額は重大な問題でした。

この絵の人物は、女形で名声を博した歌舞伎役者の中村喜代三郎(絵の中にある紋でそれと分かります)です。これは彼が流しの芸人を演じている場面で、最も良く知られた役柄です。その当時、田畑を荒らす鳥獣を追い払う手伝いをする目的で田舎を渡り歩いていた旅芸人がいて、その慣習がやがて祭りの様々な踊りに取り入れられるようになった、という話が背景にあります。(歌舞伎に行く人たちは誰も、この話を良く知っていました。)

つまり、今私たちがこうして見ている作品は、カナダ人の版画家が、日本の絵師が画いた歌舞伎役者の絵、それは鳥追いを踊る女性を演ずる女形で、それを復刻……。

ということになりますかな?

平成23年5月

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