版画玉手箱 #19


花かご

このシリーズでの単文に、しばしば書いていますように、私は、自分の作品の収集家が大きくふたつのグループに分かれることを念頭に置くようにしています。それは、日本文化に精通している人たちと、そうでない人たちです。

たいていは、比較的分り易く装飾性のある題材を選んでいますので、作品を見る人がどのくらい日本文化に精通しているかということは、ほとんど影響がありません。どなたも、それなりの楽しみ方ができるからです。でも、特に次の場合に関してだけは、違いを生じます。それは、書が含まれているときです。

絵の中に書があるとき、先のふたつのグループは完全に違った見方をします。当然のことながら、日本人はそこにある文字が読めて意味がわかりますし、書ならではの美しさも理解することができます。一方外国人にとっては、このどちらも鑑賞を深める要素にはならず、時には書の存在がじゃまとさえ考えることもあるのです。

ほとんどの日本人は気付いていないでしょうが、この国では、初めてひらがなを習うその行程で、誰もが絵の訓練を受けてきているのです。升目の詰まった用紙が与えられて、そこに正しい形の文字を書くという訓練をするだけでなく、一筆ごとの細かな特徴までも教えられます。そして、升目の中にひと文字をバランス良く配置させることは、とりわけ大切です。

「A B C ...」を学ぶ時には、文字の基本形さえ正しければ良いという西洋の標準方式とは、比較にならないほどの違いです。

そんな訳で、この絵を見た時には、こう思ったのです。「西洋の人たちに書の美しさを認識してもらうのに、よい題材じゃないかな。」

筆で書かれた曲線は、意味を持つ文字ではありません。絵のじゃまをせず、それ自体が絵となっているのです!私は、この版画を見ているだけで、墨に筆を浸して自分で試してみたくなり...

David

平成17年10月17日