版画玉手箱 #18


騎牛帰家

今から数年前、摺物アルバムの第5集に、水滸伝の話を画いた魚屋北渓の作品を用いたことがあります。この壮大な物語には、主となる登場人物が108人もいるので、絵師たちに豊富な題材を提供したことでしょう。実際、ここからヒントを得た多くの作品があります。

今回の絵は、葛飾北斎の作品で、水滸伝に出てくる人物を画いた絵本の導入部分にあります。古い中国の教えに基づいて、悟りに達する過程を寓話的に解説した、「十牛図」という話から引用したものです。

牛に乗って笛を吹きながら家路を行く少年の図は、この話の6番目にあります。私は、自分が「悟り」のどの段階にあるかなどと考えたことはまったくありません。でも、この十の過程について知った後、自分がどの段階にありたいかを考えるとすれば、まさにこの6番目になるでしょう。

全人生をかけて、この道を追求する人のいることを考えると、あまりに単純すぎるかも知れませんが、私は十牛図を次のように解釈します。初期の段階は「自分を探して葛藤する」行程、そして後期は「自己を意識から取り去る」行程です。

私個人としては、この第6の段階そのものが、意義のある到達点にあると思うのです。もう勝ち負けに拘泥しなくなり、心は穏やかで快適、諸事の流れにも逆らわずにいられる状態です。

これが現在の私の状態だ、などと言っているのではありません。実際、この事に関して少し掘り下げて考えるならば、ほんの数歩手前の段階に留まりたいところです。まだ立ち向かってゆきたい「戦い」がたくさん残っているのですから。

それにしても、素晴らしい境地ではありませんか、

	家路につく君は、ゆったりと牛の背に乗り
	 赤く染まる夕陽を眺めながら笛を奏でる
	流れ出る旋律はすべて、
		たとえようのない美しさに満ちている
	 言葉など必要なことがあろうか? *
 

*「郭庵禅師(12世紀)の詩に、デービッドの解釈で変更を加えています」

David

平成17年10月3日