版画玉手箱 #8


群盲象を撫ず

このように小さな版画に、一体どの程度細かな内容を詰め込むことができるのでしょうか。私は、老眼鏡がなくては、とうていこの作品を鑑賞することができませんが、みなさんはどうでしょうか。

私のコレクション中に、明治時代に作られた多色摺り木版画集があり、そこに英一蝶(はなぶさいっちょう)(17世紀後期〜18世紀初期)という人の絵が入っています。この画集は、新潟県の版元が明治21年に出版したもので、技術的に幾分ぎごちなさがあり、同じ頃に作られた多くの版画集に見られる優美さがほとんどありません。実に様々な絵の寄せ集めで、多くは当時の小説に出てくる場面を画いたもののようです。でも、この絵にある情景の出所は、時代をはるかに遡ることになります。今から2000年以上も昔に書かれた仏教の聖典にある故事で、この話は1000年の後には、広く西洋や東洋のはずれまでも伝わって行きました。

版画を作っている時、この故事について何人かに話してみたところ、その反応がちょっと意外でした。本来の意味を取り違えている人が多いのです!

みなさんはこの話をご存知と思いますが、目の見えない人達が象を触って、それぞれの印象を述べています。「綱のようだ!」とか「木のようだ!」と様々です。表面だけを解釈すれば、目の見えない人をごまかすのはどんなに簡単か、と言っているように受け取れるかもしれません。でも実際は、目の見えない人のことなど言っていません。このような事は、私にもあなたにも起こりうるのです。私なりに解釈すれば、「いくら自分は心の広い人間だと思っていても、他の人達の見ている物を見ていないかもしれない。そして他人の行為も自分自身の行いと同じくらい正当なことがある、ということを見損ないがちである」ということになるでしょう。

そして、この話が最初に伝えられてから2000年以上も経た今日になっても、私達の理解不足を伝える記事は、日々新聞に掲載されているのです。

ところで余談ですが、象のまつ毛はこんな風でしたっけ?一蝶さんは、本物の象を見たことがなかったのでは...。

David

平成17年5月9日