デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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(題)

近頃私は、電車の中で本を読まない。年齢的に根気がなくなってきたのが一因だが、そのかわりイヤホーンで聴ける音源を用意することにした。目を閉じて音に集中することもあるが、たいていの場合は、用のない目が車内や車外を見渡すようになる。

座っている時に、自分よりも高齢あるいは幼児を抱いた人が近くに来れば、すぐに気付いて素早く立ち上がるようになった。活字に夢中になって乗り越しをすることはなくなった。だが、好ましくないことを目撃する不運もある。車内で化粧をする女性は、見ても驚かなくなったのだが、...。

先日、自分の隣に若い男の子が座っていた。ある駅で彼が立ち上がり、私の目の前を横切ってドアーに向かって歩き始めた時、ちょうど目線に彼の尻の付け根が見えた。ギョッとした次の瞬間、気分が悪くなった。

これが、超ハンサムで超美的な体だったら、私の体は正反対の反応を示したかも知れないが、次の駅で下車する時にはわざわざ遠い別の出口を使ったくらい嫌悪感が残った。

以前から、今にもずり落ちそうなズボン(パンツと呼ぶのが今風かな?)の履き方を見ると、「あんた、自分の後ろ姿見てご覧!」という台詞が、のど元でトグロを巻く。そして、この「ファッション」がまだ続いているのがちょっと不安にすらなる。人間の美観とは移り行くもので、流行る音楽も、服も、はたまた生き方にまで時代の流れがあるが、それでも、動かし難い核となる価値観は存在しないのだろうか。理屈では説明できないが、誰もが共通に持つ感性があって欲しいのだが!

ここで、ある童話を思い出した。ある国では、誰もが逆立ちをして生活しているので、足で立つ人は「妙な存在」になる、というような筋だったと思う。もしも私が、今にも腰からズルリと落ちそうなズボンを履いた若者の中に紛れ込んだら、まさしく私は逆立ちをして歩く世界に飛び込んだような存在になるだろう。

えっ、何? 女性が胸の谷間をチラリと見せるのは男性共に歓迎されるのに、せっかく見せた男性の「谷間」を何故歓迎しないですって? ふむふむ。 そう言えば、チラリとでも見せると「恥ずかしい・だらしない」とされた女性の下着も、近頃は「見せる下着」などといって堂々と見せたりしている。

何が何やらわからなくなってきた。人々はこうして抵抗することに疲れ果て、やがて妥協をするようになるのだろう!

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