デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。

41号から最新号まで

1号から40号まで



Categories:

一里塚

最初のページで、11月1日が特別な日と書きましたね。その訳を、ご説明しましょう!

この日の朝9時頃、私の契約銀行が、指定の口座から自動引き落としをします。きっかり10年前に始まった引き落とし、今回が最終回です!そうです、青梅にあるこの家のローンの支払が完了します。遂に開放されました!

親から譲り受けた家に住み続けてきた人たちにとって、このようなことは特別ではないかもしれません。でも私の場合、40年ほど前に親元を離れてからはずうっと、「家賃」(後には「ローンの返済」)の支払は、毎月欠かさず私が直面する課題でした。

ですから、みなさんお分かりになるでしょう。月々の支払から開放されると同時に、私は「一国一城の主」となったのですから、気分は爽快です。

でも、だからといって御安泰と錯覚などはしていません。今まで目をつぶってきている要修理箇所がたくさんあるのですから。外階段はかなり錆び付いているので、大規模な塗装が必要ですし、屋根まで登るに任せていた藤のツルで樋が歪んでしまっています。また外壁パネルは、継ぎ目にできた隙間を塞いで再塗装が必要です。今は、かなりの額であった月々の支払が終わったので、これからはその一部をそういった補修に当てる予定です。(地元の塗装屋さんは歓迎ですね!)

これを読まれた方々のほとんどは、おめでとうと言ってくださることでしょう。(ありがとう!)このニュースレターの読者は、日本のみでなく海外にも多いので、この家が私の所有物となることの意味をちょっと説明したいと思います。

まず、私の両親の家と比較することから始めましょう。バンクーバーにある彼らの分譲マンションは、ゆったりした2DKで、比較的近代的なビルです。(バンクーバーに行ったことのある人は、スタンレーパークをご存知でしょう。両親の住まいは、そこから歩いてすぐのところです。)その住まいの現在価値がどの程度のものか、市場価格は上下動するので、私にはまるで分かりませんが、彼らが非常に「現金化」の可能な物件を所有しているということは、間違いないでしょう。もしも彼らが、住まいを売ってヨットで暮らすことを選ぶとしたら(これは、家族内でよく言う冗談ですが)、まったく問題なく実行できるはずです。このマンションに住みたいと思う人はたくさんいるでしょうし、価値相応の価格で売るのも簡単でしょう。

ここで、海外の読者が聞いて驚くことと思いますが、日本では事情が違います。私の家は、この辺り一帯の数件と一緒に1995年に建築され、3,600万円で販売されました。ところがほんの数か月前、たまたまここから数件離れた家が(所有者が高齢で亡くなったために)、300万円で売られたのです。ここ20年ほどは、日本中の土地価格は下がり続けていますが、この価格差が起きたのはそれだけが理由ではありません。

海外の人が当然知っていることですが、新車を購入したとき、その車を運転して販売所から出た瞬間から、価値は急激に落ちて行き、その後は日に日に下がり続けます。これと同じ事が、一般の日本の家屋に起きるのです。家の価値は下がりこそすれ、上がることはありません。私の家の場合、耐用年数は30年で、そのうちすでに15年が過ぎていますから、上物無しにでもなっていなければ、購入を考える人などいないでしょう。これが、数件離れた例の家に起きたのです。家は不動産業者によって買い取られた後ブルドーザーでなぎ倒され、そこに新たに家が建てられました。ローンを組んでその家を2,400万円くらいで購入した人は、新たなサイクルの振出し立つことになったのです。

こういった背景を知って、海外の友人はこう聞きくことでしょう。「ほとんど価値無しになることが分かっていながら、一体どうしてその家を買ったんだい?」

それには、いくつかの理由があります。まず、私が購入する時には最初の価格のほぼ半分という1,800万円で、月々の支払は当時払っていた家賃に少し上乗せする程度だったこと。二つ目の理由は、延べ面積がそれまで住んでいたアパートよりもずっと広かったこと。それから、当然のことながら、仕事場を持てますし、周囲には緑が広がり、近くには川もあり……という、経済的な条件以上に魅力ずくめでした。

さて、ここから先はどうなるのでしょうか。いくつかの「将来の可能性」について書いてみましょう。

もしも私の身に何かが起きて、娘達が早く家を処分したいと考えれば、手にする額はせいぜい数百万円でしょう。(私がお話した例と同じ状況です。)

私自身がここを売ってどこかに移ることにしたら、自分が支払った額のかなりの部分を取り戻せることでしょう。これは、すぐに決断した場合の事ですが。(思い出してください、30年の「期限」は刻々と迫っています。)それに、川辺に建つ「一風変わった」家に惹き付けられる、私のような「物好き」が見つかるかも知れません。でも、その場合は、かなりの努力をしなくてはならないでしょう。カワセミや早朝に出没する狐の写真を撮って宣伝したり、近くの森を散策することが気に入るような人を見つけたり、などなど。おまけに販売は、気候が温暖な春や秋に限り可能でしょう。11月になって「凍り付くような寒さ」がやってきたら……。

家の「価値」は心配せずここに住み、生活と仕事のための場所として使い続けること。時が過ぎるにつれて、家のあちこちにガタが来始めれば、維持費が嵩む事は避けられないでしょう。でも私は結構器用なので、少なくとも今後10年かそこらは、なんとか住める状態に保つことはできるでしょう。その先は……、分かりませんね。

当然のことながら、目下のところ現実的なのは3番目の案です。私はここに満足していますし、自分の仕事も気に入っています。それに、こうして経済的な圧迫感がかなり軽減されたのですから、(ローンの支払は私の総収入の4分の1を占めていました)今後のメンテナンスに掛かる費用を別枠に貯金し始めたいと思っています。正直、この家の価値など私にとってはほとんど興味のないところです。今まで、毎月末の数日前になると毎朝通帳を眺めて、収集家たちからの振込額がローンの支払額に足りるだろうかと、気をもむ必要がなくなったのですから!請求書が来ても、蓄えのある日がやっときたと願って……。

みなさんの祝福して下さる声が聞こえてくるようです。この10年間に私の作品を購入して下さった方々全てに、感謝申し上げます。バレンの力で家を自分の物にできる人はまれな現状ですから、私はとても満足しています。でも、このために為してきた仕事のことを考えると……、1枚毎に1色ずつ……1枚1枚、そしてまた1枚……その紙が形を変えて……私の家に。信じられないほど凄いことです。折紙の妙技のようです!

みなさんの応援に感謝!

コメントする