デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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「忘れられた美」 その6

全6話の「想定ドキュメンタリー」シリーズは、今回が最終となります。私にとって一番難しい内容となるでしょう。というのは、今までは過去にあった事実をただ述べるだけだったのですが、ここでは将来を見つめなければならないからです。ご存知のように未来への可能性は単一でなく、無数ですから。さて、どの可能性について述べましょうか?

「伝統木版画の忘れられた美」
「第6話 未来に向けて」

[カメラ] デービッドとインタビューする人が並んで座っている。彼らがいるのは、工房でも書斎でもなく戸外。足を下ろして川岸に座っている彼らは、木々や茂みに囲まれている。会話が聞こえてくる間、カメラは様々な角度から景色を捉えていく。彼らのすぐ下を流れる川、数メートル先にある小さな滝が背景となる遠景、そよ風で揺れる緑の小枝。会話が進み、カメラが二人の背後から景色を映し出すと、座っている場所が川を挟んでデービッドの工房のすぐ向いということが分かる。カメラが後退するに従い、デービッドの家が彼らの前にそびえ立って見える。会話が聞こえてくる…。

[インタビュー] 「デービッドさんが長年制作してきた作品をずいぶんたくさん見せていただきましたが、きっと誇りに思っていらっしゃるでしょうね。一体、全部で何作ですか」。

[デービッド] 「絵の種類ですか? 初期の練習作を除くと、212種類の版画を制作しました。作った版画の総数のことを聞いているのなら、ちょっと計算しなくてはなりませんが、約32,000枚以上でしょう。これは販売目的で制作した分で、もの凄い数になる新年用版画などは含んでいません。どう思いますか? 20年を費やす意義があったでしょうかねえ。」

[インタビュー] 「ちょっと待ってください、質問するのは僕の方ですよ。この質問に、御自分ではどう答えますか?」

[デービッド] 「僕は―できる限りですが―人生を『旅』と考えようとしているんです。最終目的があるというのではなく。だから答えは簡単なはずです。いくつか例を挙げてみましょうか。[考えながら指を折っていく]制作自体を楽しんできたし、娘たちと幸せに暮らし無事に育てたし、過去に存在しなかったものをたくさん創造してきたし、その間多くの方たちに楽しみをもたらしても来ました。また、版画で生計を立ててきたし、税金を含め社会的な義務も果たしてきました。それに、何よりも僕の仕事は本質的にローテクだから、地球を傷つけるということはほとんどせずにやってこられました。

「何か見落としているかな? 意義のある20年間を過ごしてきたか否かと問われれば、きっと答えは『Yes』となるでしょう。」

[インタビュー] 「ちょっと気付いたのですが、列挙された中に『伝統木版画を保全してきた』ことには触れていませんね。」

[デービッド] 「ああ、それは僕が木版画を守ろうとはしていないからですよ。ただ版画を作っているだけなんです! 結果的に保護していることになっているのなら、副産物でしょうね。でも、この話題は止めておきましょう。最近このことについては話し過ぎの感がありますから。」

[インタビュー] 「もうひとつ気付いたのですが、列挙なさるときに『楽しんだ』ことを一番にしましたね。」

[デービッド] 「『楽しんだ』というのは適切な言葉ではないかもしれませんね。意義のある仕事をしてきたと考える理由を列挙したのですから。でも、その裏には話していないことが絡んでいるのです。それは、何故かということ。人生の節々で、版画が僕に生きる意味を与えてくれてきたのです。様々な形でね。たとえば、10年の企画を立てたときには何か大きなものを追い求めていました。自分には『膨大』な何かを成し遂げられるという自信があったのです。こう考えるのは誰でも同じですよね。でも、それを証明する必要があり、実際やってのけました。また、先日は僕の作った版画集を一緒に見ながら話をしましたが、どの企画にもそれなりに制作への動機と意味があったのです。

「とても恵まれていました。自分は『意義のある』ことをしているのだという強い思いがずっとありました。大きな組織の中の一員として事務処理などをしている人たちにはない思いです。でもこの恵みと同時に『苦難』とも言える大変さもあります。それは創造し続けなければならないということです。

クラシック音楽をやっていた頃は、作曲家についてたくさん読みましたが、素晴らしい天才として今日も知られている人でさえも、作曲に苦闘したというのです。それまでの作品にどんなに高い評価を得ていても、再び白い紙の前に座らなければならない時が来るというのです。それまで作曲してきたことを繰り返すわけにはいかず、毎回新鮮で誰もが楽しめ、しかも意義のある作品を創り出さなくてはならない。そして僕もそうなのです。

「僕の作品は予約販売を基本としていますから、収集家の多くは長年共に歩んできてくださっています。処女作から始めた方は20年以上のおつきあいです。新シリーズの構想を練るときには、そんな方たちのことを頭に思い浮かべます。彼らに飽きられないためにはどうしたらいいだろうってね。すでに212以上もの作品を持っている人たちですよ! これはとても難しい課題です。しかも、繰り返しこの難題に立ち向かわなければならないのです。現在も、僕はそんな正念場に立たされています。「自然の中…」シリーズはあと数か月で最終回となりますから、4月からは再び新シリーズを開始しなくてはならないのです。」

[インタビュー] 「もう決まりましたか?」

[デービッド] 「ええ。現在収集している方も、まだ僕の作品を一枚も購入したことのない方も、どなたにも楽しんでいただける短期シリーズの構想があり、すぐにお知らせしなくてはなりません。でも、たとえこのことが解決しても、僕はいつもその先を見ようと心がけています。ずっと先の方です。

「先日、僕の自称『書斎』で棚にある本や作品集を見ていたんです。中には自分が過去20年間に制作した作品も含まれていて、こんなことを想像したんです。もう20年経ったら、この書棚はどんな風に見えるだろうかって。ここにもう212作が加わるのかな? ほんとうだろうか?

「すると思うところがあったんです。僕はほとんどの時間、地下の工房に籠って静かに彫や摺の作業をしています。たいていは音楽を聞きながらですが。なかなかいい暮らしですよ。いつも心穏やかに過ごしています。でも、かなり孤独です。この先20年もこんな状態で過ごすのかなあ、78才までこの狭い部屋にひとりで? それって健全な生き方でしょうか?」

[インタビュー] 「どうしてそんな疑問を投げかけるんですか? さっきおっしゃてらしたけど、あまり先のことを考えても仕方ないって。予測不可能な要素がたくさんあるから思い通りにことは運ばないものだって。」

[デービッド] 「もちろん、そうですよ。でも思い出してください、自分の進む先を定めなければ、決してそこに辿り着くことはできないんですよ。カナダでサラリーマンをしていた頃を思い出します。将来、独立して個人事業主のような立場になることができるかなって思い描いていたんです。それで、慎重に計画を立ててその青写真に忠実にしていたら、それが現実になりました。もしも先を考えようとせず、自分で未来を築くことをしていなかったら、描く未来は絶対に実現しないでしょう。僕は今、そんな人生の次の正念場に立っているように思えます。前方を見つめ、これから先の何年間かをどのように過ごしたいのかを考え、その目的に向かって着実に進むことをです。

「ちょっと前に『人生を旅のように考える』という表現を使いましたが、これは少なくとも、自分がどのような方向に進んでいくのかということは考えなくてはならないと言っているのです。辿り着くことなどできないようなゴールであっても!」

[インタビュー] 「もしそのことをずっと考えていらしたのなら、例を少し話してくれませんか?」

[デービッド] 「ええ、一部をお伝えするのは構いませんよ。ただし、これは計画というよりもむしろ仮説ですよ。『もしも…なら、どうなるだろうか』といったようにね。

  • 木版館。僕が将来のことを考えるとき、この事業のことはいつも中心にあります。予約制で販売している集形式の作品の方は、すべて僕が制作しています。どの版木への彫も、一枚一枚の紙に摺るどの色も、すべて僕の手で作っています。一方木版館から販売している商品は、他の職人さんたちと協同して制作しています。まだ商品の数は少ないので、カタログの内容をぜひ増やしていきたいですね。ところが自分の作品を作るのにたくさん時間を取られて、なかなか思うようにできずにいます。将来はこの2種類の販売方式を、バランス良く保つようにしていきたいと思っています。
  • 展示会。日本国内ではずいぶんたくさん開いてきましたが、東京と関西だけで他ではしたことがありません。僕の作品を見たいと思っている人たちは、ロンドンにもニューヨークにもたくさんいるはずです。現時点では、外国で個展を開く余裕などまるでないのですが、そろそろ実現する方法を考えなくてはいけないと思っています。
  • 版画の可能性や事業を拡大することに関しては、たくさんのアイデアがありますが、僕が『独り舞台』を続ける限りそれを実現するのは不可能です。僕は作業台に鎖で繋がれているようなもので、自分ひとりで制作を続けているという現実のために、活動範囲を著しく狭められているのです。でも、他の誰かと一緒に仕事をすれば、もっとたくさんのことができるようになります。木版館を、―単なる例ですが―ただ出版をする事業としてだけでなく、展示を兼ねた店であり若い彫師や摺師たちが作業をする場所でもあるようにすることも可能です。

「将来自分が取り組んで行けそうな、ありとあらゆる面白い企画が頭にどんどん浮かび、限りなく展開します。」

[インタビュー] 「ちょっと言いにくいんですけど、今日こうして話してきたことは、このドキュメンタリー番組の最終場面として、私が期待していた内容とはかなり違っています。私が予想していたのは、これから先の長い年月を、この静かな川辺にある工房で制作を続けていくことを楽しみにしておられると思っていました。私たちは最後の場面まで計画してあったんです。デービッドさんが彫っているところを映し出してから、カメラを後退させていき、静かに流れる川のさざ波が場面の中に加わってくる。その間、何か静かな曲をバックグラウンドに流してという風に。素晴らしいエンディングシーンになったでしょうに!」

[デービッド] (笑う)「それでいいじゃないですか、まるでその通りなんですから! 僕はこの仕事場で「夢のような暮らし」をしているんです。美しい版画を作り、それを心待ちにしている世界中の収集家たちに送っているのですから。僕が話した計画は、ただの案であって本物ではないんです。夕方になって皆さんたちが帰れば、すぐまた作業台に戻って次の版画に取りかかるんですから。当分の間、僕の生活はこんなものでしょう。

「ちょっと、百人一首の復刻をしている頃に場面を戻してみるといいかもしれませんね。当時のニュースレターで、ジョージ・バーナード・ショーの語録を引用したことがあります。『人生にはふたつの悲劇がある。ひとつは夢が実現しないということ。もうひとつは… それが実現するということだ。』もちろんこれは、欲しいものを手に入れても、まだ満足できない自分があるということを暗示しているのだけれど。僕は皆さんに、自分が『不満』だと言いたいのかな。夢のような暮らしをしているというのに。もちろんそんなことはないですよ。こんなことを考え始めると、いつも近所の人たちが毎朝していることを思うんです。満員電車に無理して乗り込んで都心へ向かうでしょう。そうは言っても、いつも「心の安定を保つ」ことの難しさは否定できません。でもね、ご存知ですか、最近色々と話題になっていますよね、年を取ってきたらどうすべきかって。いつも新しいことに挑戦して緊張感のある暮らしをすることが大切らしいですよ。

「宇宙ロケットのことを考えてみるといいですよ。ロケットはしばらくの間明るく燃えながら空に上がっていく。燃料が切れ始めたらしいと思えるちょうどそのころ、次の段に点火して更に上昇しますよね。これ、とてもいいたとえでしょう。これからはこのたとえを使う事にしよう!

「ま、それはそうと、日が陰ってきましたよ。中に入って番組の最後の場面を撮影しましょう。そして君の考えをちょっと編集しようじゃないですか。僕が彫の作業をしているところを撮影するのは構わないですが、カメラが後退していったら、変化なく流れ続ける川に注目するのは止めて、あそこにある木の上方にある広い空を映し出すんです。僕たちがどこへ飛んでいけるか見ようじゃないですか!」

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