デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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ワイングラス

毎晩グラス一杯の赤ワインを飲む。「今日も一日が過ぎた、あとは眠りに着くだけ」と、スイッチを「動」から「静」に切り替えるちょっとした儀式のようなものである。ワインを口にしたら家事はしない。だから、飲み終えたグラスとつまみの皿は流しに置いて寝る。翌朝、台所に立って一番にするのがそれを洗う作業。時には、紅茶カップも並んでいたりするが、どれも脂っ気のない食器なのでさっと洗えて苦にならない。

先日の朝も同じリズムで一日が始まった。熱めのお湯でグラスを洗い、他の食器と一緒に伏せてから、洗い立ての布巾を引き出しから取り出す。とそのとき、うっかり肘が逆さになったグラスの底に触れてグラッと揺れ、フワッと飛んで床の上に落下。グラスは勢い良く粉々に砕けて、台所の床一面に破片が飛び散った。スリッパを履いていたが、掃除機を取るためにガラスの上を歩く気にはなれない。立ったままの位置で、まずポリ袋を2重にし、その中へ大きな破片を拾い入れる。その後、台布巾を何枚か使ってそろりそろりと破片を寄せ集め…。

黙々と作業をしながら考えたのは、もっと安定感のあるワイングラスはないものかという疑問である。何人かが集うときには構えて洗うから、華奢な形でも割ることはないのだが、毎日の使用となるとどうも自信がない。極論をいえばワインが注げれば何でもいいということになる。陶器のワイングラスというのもあるじゃないか。だが、私の頭はどうにも融通が利かない。唇が当たる縁は薄く、しかもほっくりとした丸みのある透明ガラスでなくては嫌なのだ。

その夜は、どっしりとした貰い物のワイングラスでチビリチビリとやってみるが、どうも美味しくない。口あたりが分厚くてどうもいけない。仕方なく、脚のないグラスはないものかと翌日インターネットで調べ始めた。するとあった、あるではないか!したり顔でさっそく注文したのは言うまでもないが、その夜、クリスタルもどきのワイングラスを手にしながら、複雑な思いで残りのワインを啜った。たかがグラスに今日はどれだけの時間を費やしたことか。なんて実りのない時を過ごしたことか。

しかるに一方デービッドは、「今日という時」を使って苦労していた次回の作品の構想をついに形にした。雑用に翻弄されながら、かじかむ手で思い描くイメージを具体化する作業に没頭していたのだ。彼が今注ぐエネルギーは、作品という形で後々までも生き続けることだろう。

そして貞子は?個体の消滅と同時にさっと跡形もなく消え失せる!

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