デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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可能性の海に溺れて

毎年のことですが、だんだん日が短くなって冷気を感じるようになってくると、ここ「せせらぎスタジオ」での生活パターンは、季節の移りに応じて変わってゆきます。猫のブーツは、しっかりこの変化を意識するようです。びっしりと生えていた黒い毛は、夏の間にどんどん抜けていたために、秋の到来を告げるように突然寒くなったりすると、ものすごく敏感に感じるようです。眠りのパターンも変わって、開け放している窓の近くにある椅子を諦め、私の側でちぢこまるようになります。

私の方もスイッチを切り替えて、どこのお宅でもするような冬支度を始めます。厚手の布団を出し、クローゼットからセーターを引っ張り出して...。でも秋は、あまり他の人たちに運ばないものを私に持ってくるのです。それは、私が決まって陥る「沈溺」です!

もう18年もの間、私の版画制作はしっかりとした決まりを守っています。1年に一集を制作して1月に展示し、翌年にはまた新しい集を制作するというサイクルの繰り返しです。百人一首シリーズを制作していた数年前は、こうした仕事の形態が10年の間ガッチリと決まっていたのでが、その後は毎年新しい企画に取組まなくてはならなくなりました。

「摺物アルバム」のように同じシリーズで集を重ねることはありましたが、最近はまるで違う企画を毎年出しています。もちろん、1月には次の企画を発表しなくてはなりませんから、魅力のある作品集を選んだり、作品を入れる箱をデザインして注文したりと、細部にわたって手はずを整えなくてはなりません。ですから、何ヶ月も前に計画を練り始める必要があるのです。そんな訳で秋の深まりは、「来年はどうしようか」という一大課題に再び直面する時でもあるのです。

では、なぜ「沈溺」などという言葉をつかったのか。それは、取組んでみたい版画の企画がたくさんありすぎるからです。自宅の部屋で、所蔵している版画や本を眺める度に自分を抑えることが難しくなります。すぐに「これだ!次はこれにしよう!」となってしまうからです。私の興味の対象が版画でほんとうに良かった。もしもこれが料理で、夢中になって開くのがメニューのページだったら、太り過ぎてドアーを通る事ができなくなりますよ! 版画を次々と見てゆくのは簡単ですが、それを実際の企画としてまとめるのは大変なことです。たとえばこんな具合です...

  • 1790年代に、蔦屋重三郎という版元が、歴史に残る素晴らしい絵本をたくさん出版しました。そういった作品はまれに単独で復刻されることはありましたが、一冊を全部復刻しようとするほど自信のある人はいまだかつて出ていないのです。じゃあ、自分が?でも、並外れて高品質な版木を見つけるのは至難の技だし、和紙も特注になり、彫も摺も含めると一作品に数ヶ月かかるから、お客様には本として完成するまで何年も待って頂かなくてはならないし...。やっぱり無理...。
  • 20世紀に入ってすぐ、松木平吉と秋山武右衛門という、ふたりの東京の版元が、競って素晴らしい12枚構成の美人画集をたくさん発行しました。どれも信じ難いほど繊細な彫で、紙は雪のように真っ白でなめらか、そして最高純度で最小粒子の絵具を用いています。私は、「四季の美人シリーズ」で明治時代の作品の復刻に成功していますから、この画集の一冊を手掛けても良い頃かもしれません。でもここで再び...。1枚制作するのに何ヶ月も掛かりそうだし、材料の調達にはきりのない苦労をしなくてはならず、たとえ実行に移しても、2〜3年でやっと数册しか売れないかも知れない。やっぱり無理...。
  • 摺物アルバムは...。世界中の美術館には、まだまだおびただしい数の美しい摺物が収蔵されています!それなのに、ほんの少ししか自分のアルバムにすることができていない。毎年私の技術は上達する一方なのに、摺物アルバムを制作していた5年間は、売れ行きが下り坂...。

そんな訳ですから、現在の企画である懐月堂安度の掛軸と小品集の制作に、毎日没頭してはいるものの、本棚に戻っては頭から離れない問いの答えを求めているのです。様々な条件を満たす企画として、来年は何がいいのだろうか。技術的な挑戦に価する作品、収集してくださる方たちに喜んで頂けて経済的にも帳尻が合う(相応な収入を得られ、しかも買う方の負担になり過ぎない)、そしておそらく中でも一番大事な点は、取組む意味のある作品。

ほんとうに難題です。今年も解決案にたどり着けるのでしょうか。1月になれば分りますね!

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