デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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散歩しましょう!

私の住まいは東京です。ほとんどの方は、ここがどんなところか知っているとお思いでしょう、でも、ほんとうにご存知でしょうか?ちょっと調べてみると、東京都の人口は1200万人に近づいていますから、私の住むところがどんなところかは、きっと想像できます... よね。

では、ある朝の散歩にご招待しましょう。リュックの中に飲み物とおやつ入れてカメラも忘れないようにして。では出発!


数分も歩けば、裏山への入り口に到着です。朝のうちは、あたりがひんやりしていますが、ちょっと歩き始めればすぐ暖かくなるでしょう。

私の家は海抜180メートル、これから行く裏山の高さは300メートルですから、山登りというほどの高さではありません。でも、ちょっと息切れがするくらい急な登りもあります。 

このような道は、一般の人たちが通行できるように開放されていますが、どの土地もきっちり所有者が決まっています。ちょっと前の世代の人達は、このような場所も平地と同じくらい有効に利用していました。平でさえあればどんなところも開墾して作物を育てていましたしまた斜面には植林をしていたので、杉の木が列を作って整然と並んでいました。


今ではすっかり様変わりして、山の中の畑は随分以前から草ぼうぼう、植林された木もほぼ同じ状態です。あちらこちらには、間引きや枝落としといった手入れが、現在もなされている区画がありますが、ほとんどはかなりなさけない状態です。

ここで横切る秋川街道が、今回のハイキングで出会う唯一の幹線道路です。

安全に横断して再び森の中に入ったら、休憩時間にしましょう。

これから、都内ではあまり知られていない桃源郷ともいえる「大荷田」を見下ろす地区に入ります。このちょっとした谷間にある地域は、戦後の開発が中断したままになっています。聞く所によると、このあたりの木は、戦後の復興に必要な木材として、すっかり切り尽くされ、続いて住宅開発を進める計画があったのですが、東京への水資源との関連などで、うやむやになったままになっているようです。(この谷のすぐ下を流れる多摩川は、東京都の水源となっています)

そういった訳で、谷はそのまま残されています。木が切り取られたまま、不動産会社が周囲を囲っていました。それから50年以上が経過、この近くに住む村人たちが枝広いをしている御陰で、このあたりは、とても心地よく散歩のできる雑木林になりました。

薄暗い杉林であった以前とはまるで違います。

この谷間には、数件の農家が住み作物を育てていますが、ほとんどの所は手を入れること無く自然のままです(写真7)。この地域を所有している不動産会社が、将来どのような計画を持っているのかわかりませんが、ここ大荷田を貴重な里山として注目している市民環境保護団体がいくつかあるので、このまま保存される可能性があるかも知れません。

散歩を続けるために、再び尾根に戻って30分程歩くと、多摩川に向かって少しずつ下って行きます。ここまでくると、自動車道路が出現、もう文明の気配は避けられなくなります。

実際、避けるというよりも、ほら、向こうからやってきました、文明の利器です。このバスに乗って家に帰りましょう!(写真8)

さあ、家に着きました。出発してからちょうど4時間です。お昼ごはんを食べたら、版画制作に向かう前にちょっとお昼寝しましょう。デービッドの自宅近くの散歩、お楽しみ頂けましたか。

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