デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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月のきれいな夜

昔こんな歌詞の歌があった、「月がとっても青いから〜遠回りして帰えろ〜」。子供心に、何て素敵な歌詞なのだろうと思っていた。残念な事に、父を早く亡くして女家族となった我が家では、暗くなればすぐに雨戸を閉められてしまったし、学校の帰りが遅くなって帰り道が暗くなれば月どころではなかった。叱られるのが恐くて、ころばないように必死に走って帰ったから。

けれども幸せな事に、成人してからは、たくさんの人達と月を眺めてきた。のんびり月あかりを楽しめる環境というのは、当然ながら、雑踏の中ではない。月が明るく感じられる程度の闇とほどよい静けさの中だから、ゆったりと素直な心になれる。ルナテックの語源を教えてくださったのは、同僚でもある年輩の先生だった。キャンプファイヤーの火が消えかかっていたっけ、そう、あれは確か山荘での合宿だった。

長い人生の旅路は、山あり谷あり、心の中が暗くなってゆとりがなくなれば、美しい月の存在など忘れてしまう。そして、どんどん闇の中に落ち込んで行く。ところが、そんな月日が続くと、決まって誰かが「ほら、月がきれいだよ」と声を掛けてくれる。ポンと背中を押されたように、窓を開けて月を見ると、どろどろした濁った空気が流れ出ていき、ふっと心が軽くなった。この「誰か」の中のにデービッドがいる。何年か前、うつ向いてばかりいた私に、電話の向こうで「今夜の月見た?」。受話器を持ちながらベランダに出たら、大きな大きな月がそれこそポッカリ浮いていたっけ。

あの人と、この人と、月を眺めながら語り合った人はたくさんいる。で、ほんの最近気付いたことなのだが、月明かりの下だと人はきれいに見える。残念ながら、顔の凹凸が深いデービッドは影も濃くて半分は見えなくなってしまうのだが、日本人の場合は程よいデコボコの為なのだろうか、誰でもきれいに見えてしまう。そんなことを考えていたら、ふと「版画の見方」に思い至った。障子越しとか雪明かりとか、おまけに平らに持ってうんぬん、とデービッドはおっしゃいますけど、こういう状態だと微かな凹凸にやわらかな影ができるから、人間だって同じではないかしら。

あいにく、西洋の女性を月明かりでじっくり拝見したことはないのだが、もしかしたら、和紙と日本人の肌とは、共通した質感があるかもしれない。光源氏が次々と女性に夢中になったのは、月あかりとロウソクの灯火のせいかしらん? 

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