デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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長生きすれば...

人と時を過ごす時、何よりの御馳走は楽しい会話だと思っている。多くの実体験に裏付けされた目上の方達の話は、味わい深く豊かな時をもたらしてくれるし、同世代人との会話は、共通の社会状況を生きたことが背景にあって、くつろいだ気分になれる。同じベビーブーマーであるというだけで、初対面でもすんなり会話が弾むのは、お互いが大木の根を共有する枝同士のような安心感があるからだろう。

もうひとつ、とっておきの楽しさは、若い人達との会話である。自分の娘たちが20代半ばを過ぎてしまうと、分別が付き過ぎて価値観のずれがなくなり、新鮮な緊張感が薄れて来る。その代わり確実に、共感を分かち合う喜びは増えてはいるのだが。

先日、デービッドの長女日実ちゃんとおしゃべりする機会があった。20を迎えたばかりの彼女はまさしくピチピチの娘さんである。彼女の目の前には「未来」が大きく広がり、その若さという貴い宝を贅沢に消費している。眩しすぎるほどに輝いていた。そんな娘と、渋い持ち味の父親が、向かい合って話をしている。

日実ちゃんは、もうすぐ社会に飛び立つ。彼女が直面する課題について、父親と語り合っていたのだが、話が逸れて「女性はきれいでなくてはならない、外観を磨かなくてはならない」という彼女の主張が強く表現された。すると父親は「心の中の美しさ」などと野暮なことを持ち出す。娘は、そんなものは二の次であって、まずは綺麗でなくてはいけないと主張する。そこへ、意地悪バアさんがちょっかいを出す。「ねえ、日実ちゃんが年をとってしわくちゃになったらどうするの?」すると、愛くるしい笑顔が一瞬曇って「あたし、そしたら死んじゃう!」と弾んだ声が戻ってきた。

その夜私は、寝床の中で、二十歳の頃の自分を思い出していた。ツンツルテンのミニスカートを履いて、背伸びばかりしていた私に母親の年令が来るなど、あり得ない事だった。でも今ここにある私は、当時の自分の母親よりも遥かに年を取っている。死ぬ事もなく、平然と荒波を生き抜いて、白髪頭もしわくちゃも、さして苦にせず生きている。

あと数十年、日実ちゃんはどうなっているだろう。その時彼女は、30才以上年下の子供とどんな話をするのだろうか?長生きしてこそのお楽しみである。

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