デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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広江さん

何ヶ月か前、広江さんのお宅 ─ 以前私が住んでいた羽村の近くです ─ に、このコーナーに登場していただけるかどうかを問い合わせるために電話をしました。でも、その時は、御主人が仕事で東京に居ないので無理だとのお返事だったのです。大黒柱が長期に渡って「よその町に」出張している家庭はたくさん知っているのですが、私はちょっと腑に落ちない思いでした。広江氏は定年退職なさっているはずだったからです。でも今回の場合は、退職から起きた任務でした。彼は、国際協力事業団のボランティアとして、外国での職務に就いていたのです。それで、日本に戻ってこられた時に改めて電話連絡をすることにしました。今年の夏の初め、貞子と私はお宅を訪問して次のような話を、おふたりから聞くことができました。面白い話がたくさんありすぎて、このコーナーでは御紹介しきれません。広江氏が海外ボランティアで働くというのはどのようなことか、みなさんに向けて御自分のニュースレターを作られても良いのでは!

彼が、このボランティアの仕事に関わろうとした動機は、理解できます。まだ十分若くエネルギーもあるのですから、この先何十年も、鉢の手入れのような気楽な仕事ばかりでは満足しきれないことは、目に見えています。持てる能力と経験を使って、人々の生活を良い方向に変えられる場で仕事をしたい。この思いに抵抗しきれなかったのです。家族の反対もなかったので、彼はJICA(国際協力事業団)に応募しました。何段階かにわたる審査を通過し、広江氏は任務の指示を待っていたのですが、それが東南アジアにあるラオスという国であることが分かった時、一体どうしたものか、とまどってしまいました。この国のことはほとんど知らなかったからです。でもすぐに、世界地図や百科辞典を広げて調べ、改めて

この国について確認すると、この任務を引き受けることにしました。そして、そこでの経験は、とても満足のいくものとなったのです。

長年混乱状態にあったラオスですが、今では社会構造も安定し、修復された状態にあります。目前に戦争の恐怖はなく、世界中にある多くの開発途上地域の例と同じく、国際機関による活動が無駄になる恐れもありません。広江氏は、企画能力と英語力を生かして、外国からの医療関係者達とラオスの大学の医学部教授達との調整役として活躍しています。とても意義のある仕事です。

御主人がこうした活動をしている間、奥様は日本で留守を預かるといった形で協力していますが、彼女の方も地域でのボランティア活動に忙しい様子です。今回は、ラオスを訪問した時の話が優先されてしまいましたが!御主人からのEメールを通じて、この国の事を知るだけでは満足できなくなり、御自身も何度かカメラ持参でこの国へ行っています。見せて頂いたアルバムの中には、一連の面白い写真がありました。御主人の現地での知り合いが結婚式を挙げ、御夫婦が招待された時の記録です。そこで奥様は、再びラオスに戻ってくることを約束する糸で参加者達と結ばれているではありませんか!彼女は、地元の織物にも大変興味を持ち、日本に持ち帰った何枚かを見せてくださいました。とても個性のある、私が今まで見た事のない類いの布でした。

たまたまそこに配属されたというだけで、御夫妻が関わることになった国ですが、お二人共かなり親近感を抱いている様子です。こうした活動と現地で育んだ友情のお陰で、そのうち、現在お住まいの羽村近在には、ラオスと聞いて世界地図を広げる人が、いなくなることでしょう!

私の場合は、定年退職をして何か生産的で役に立つ次の仕事を捜すという事はないでしょう。ですから、いつか、いつか、広江御夫妻のような活動をする日が来ることは、まずないと思います。でも、お二人の選択は本当に素晴らしいと感じ入っています。この仕事から得た経験は、御夫婦が離れて暮らさなくてはならない状況を補って余りあることでしょう!

そして、広江氏の方ですが... 、留守宅で彼の帰りを待っている摺物アルバムの事を、時には思ってくださっているでしょうか?恐らくない ... 大事な仕事で手一杯でしょうから!:-)

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