デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。

41号から最新号まで

1号から40号まで



Categories:

ハリファックスから羽村へ

幕間の巻

この連載を始めた当時、私は、こんなにも長く話の糸を紡ぎ続けるとは思ってもいませんでした。話の進め方についてあまり計画も立てず、10回かそこら続けばニュースレターに載せるには 2、3 年程度の内容だろう、羽村に辿り着いて終わりになるだろう、と考えていました。ところが、ファイルを見返してみると、この連載は10年目に入っているのです!そして、話の中で羽村に到着するまでには、まだ3年あります。だらだら書き過ぎてしまったのでしょうか?一体、どんな話が面白かったのか、あるいは、そうでなかったのか、まるで分かりません。次の話を書こうと、今こうしてパソコンに向かうのですが、連載を始めた頃の事を考えてしまい、そうすると、背後にあった主な動機が思い出されて仕方ないのです。

連載開始の1994年、私はすでに8年間を日本で暮らしていて、ここでの生活は、かなり居心地よく思っていました。地域社会の中で、自分を「異質」と意識する理由は、特に見当たりませんでしたから。もちろん、近所の人達にとって、私が、明らかに「違う」人間であることは承知していました(現在もそうですし、将来もずっとそのままでしょう)。でも、ひとつだけ、そんな付き合いをする中で驚いたのは、自分が、何か随分と普通でない「特別」な事をしていると受け止められている事でした。これは意外でした。私自身は、かなり普通の事をしている、普通の人間だと思っていましたから。昔ながらの木版画を専門に作るというのは、ありふれた事ではないでしょうが、私が育った環境の中ならば、こういった類いの事をするのは、ちっとも風変わりではないからです。遥か彼方に移動して、長い事(一生かも!)異国に住むというのは、そう珍しいことではありません。なにしろ、ヨーロッパやアメリカにおける移民は、何世紀にも渡る伝統なのですから。

ところが、近所の人達にしてみれば、きちんとした会社の手堅い職を辞め、家族(まだ幼児だった娘達も)を連れて言葉も話せない遠くの国に渡り、こともあろうに仕事まで持とうなんて...どう考えても辻褄の合わない話だったようです。ところが、自分の周りでは、当時私が教えていた英語のクラスに来ていた若者達の中では特に、高校・大学・就職といった、目前にある人生の選択肢にあまり満足していない人達がたくさんいたのです。

このことが、私に関する連載を始める主な動機でした。自分の人生をどう組み立てていくかについて、誰かに説教するなど、そんなことは私のするべき事ではありません。でも、違う生き方もあると知って、何ら悪い事はないと思ったのです。大学を中退したからといって人生に失敗した訳でなく、もしも今ある状態に満足できないのなら、手堅い職を辞めることが可能なのでなく、決断しなければならないという事。そして何よりも、「大人になったら何になりたいのか?」という問いへの答は、出す必要などまるでないのです。

こういった事を考えたのは、10年以上も前のことでした。当時から比べると、皆さんも御存知のように、生き方への選択肢は驚く程増えてきています。これは、良い事でもあり、また残念な事でもあります。従来の、高校/大学/就職といった図式以外に、様々な道が開かれてきたのは良い事ですが、残念なのは、決まった定義がなくなってきたので、どのように生きて行けば良いのか、かつてないほど困惑している人達が、たくさん居るのです。これは、そういった状況にある人達から直接手紙や電話を受け取るといった、個人的な体験から判ってきました。

最も典型的な問い合わせは、20代初期の人達からのもので、おそらく、卒業間近か卒業後間もない人達でしょう。版画家になりたいと思い、連絡をしてくるのです。できることなら私の弟子になりたいのでしょう。でも、ちょっと話をしてみれば判ります。彼等には、志す何かがあるのでなく、なりたくない何か ... 会社員になること ... があるだけなのです。ほとんどの場合、版画家という職業が自分に向いているかどうかを知るために版画を作ってみる事もせず、電話をしてきても、どうすれば良いのか手取り足取りの指導を期待しているかのようです。ここに座って、この道具から始めて、などなど、といった風にです。

ここで私は、彼等には版画への燃えるような情熱がないと批判しているのではありません。私だって、30才になるまでは、これといって興味を引かれる物などなかったのですから。一部の人達の、「面白いかどうか、取りあえずやってみる」といった考え方も悪くないのかもしれません。この連載で書いて来た通り、私だって、若い時にはたくさんのことをやって来ました。私が、問い合わせて来る若者に懸念するのは、動機の浅さです。どうも、私が学習コースを作り、手を取って版画家になるお膳立てをしてあげることを期待しているらしいからです。

伝統木版画を作る、これは気安く出来る事ではありません。この仕事で生計を立てていくのは、非常に難しいのです。労働時間は長く、労賃は低く、肉体的にきつい仕事です。心底熱中できなければ、成功する見込みなど、皆無でしょう。では、やってくる若者達に、仕事を達成するだけの情熱があるかどうかをどうやって見抜くか?それは簡単、作った版画を見せてもらえばいいのです。でもそれを言うと、答は決まってこうです。「まだ作っていません。作り方が分かりませんから。やり方を教えてください...」

こう言われれば、もう、明瞭です。図書館に行って、版画制作に関する本を探し出し、書かれている指示に従って初歩的な版画を作ってみる。それから、出来の悪い処女作品を見つめて、何がいけなかったのかじっくり考え、少しでも良い作品を作ろうと何度でも試みる...こういったことが自主的にできない人は、すでに、版画家としてスタートする資質を持たないのです。派生する諸問題を払い除ける強い熱意が必須です。

では、熱意があれば何かを達成できる保証となるのでしょうか?いいえ、まるでなりません。「ハリファックスから羽村へ」の話の中に出てくる10年間の出来事を読めば、デービッドが夢中になっては達成できなかった例がたくさん出てきます。大学から落伍し、プロのフルート奏者になり損ね、ポピュラーやジャズのサキソフォン奏者になろうとして失敗、支店長としての責任を果たし切れず...その他にも、完全な敗北とは言えないまでも、脇道に逸れてしまった例がたくさんあります。

でも、どんな時も、情熱は持っていました。少なくとも最初は持って事に当たりました。必要な能力が、常には伴っていなかっただけです。私は、成功への一番の鍵は取り組む事柄への情熱の有無にあるということを、齢を重ねればそれだけ確信するようになりました。

ニュースレターの来月号では、「ハリファックスから羽村へ」の連載に戻り、デービッドの長女が誕生する時点から話は再開します。勤めている楽器店での責任が増え、やがて次女が生まれ、家族の為に家を購入することを考え...推量れるように、こういった事全てが、デービッドの版画への夢を次第に遠くの方へ押しやっていくのです。

でも現在、彼はこうして日本の家に住み、静かな夜に、収集家の方達に向けてニュースレターの記事をタイプしています。一体、こうした様々な出来事をひとつにまとめたのは、何だったのでしょうか?答えは ... 熱意です!

この連載を始めて10年、初めの頃と同じで、ちっとも羽村に近付いていません。でも、話の最も重要な部分はこれからです。一体どのような経過で、何千キロもの跳躍を最終的に成し遂げることになったのでしょうか?(お約束します、話が終わるまでにもう10年かかる、などということはありません!)

コメントする