デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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'ディナー'

日本に渡り、奔放に一人歩きをしてしまう言葉、というのがかなりある。「トレーニングパンツ」などはその良い例で、乳幼児がオシメをはずす練習用パンツを日本の成人がはいてることになる。私は、イギリス生まれのデービッドとの会話の中で、英単語に関する面白い発見をたくさんしているが、中でもたいそう気に入っているのが 'ディナー' という名詞のマジックである。英語の 'dinner' は一日の一番ごちそうのある食事のことで、日本語では夕食に当たるのだが、これをカタカナの「ディナー」にすると、ちょっと気張った豪華な食事という意味になる。このひとつの単語の持つイメージのずれを重々承知の上で、尚かつ楽しんでしまったお話である。

内緒の話だが、デービッドと知り合ってまだ間もない頃、彼がこの言葉を使う度に素敵に見えた。彼がこの言葉を発すると、妙に気品が加わるのである。当時は、まだ小さな娘ふたりを抱えた男やもめ。しかもカナダ人とくれば、どんな食生活をしているのか、私には検討もつかなかった。それにしても、毎日 'ディナー' を作って食べているとは到底思えない。私は「夕飯」を食べ、電話の向こうでは「ディナー」を食べていて、私はこの事をとても楽しんでいた。

やがて二人のお嬢さんがカナダの母もとに移って、私達ふたりで 'dinner' を楽しめる機会も増えるようになった。そこで、どうにも不思議なことなのだが、たとえファミリーレストランで '夕飯' を済ませても、「ディナーを一緒にする」と表現すると、もうこれだけで心豊かで贅沢な食事の時間となるのだ。これは一体なんだろう?

そこで、今度は自分の作る「夕飯」のときも、'ディナー' という単語を使うようにしてみた。最初は照れくさかったのだが、使ってみると、これがイケル。どんなささやかな献立でも、きちんと皿に盛って、「さあ、'ディナー' にしましょう」と向かい合い、同時に箸をとると、改まった気分で豊かな食事の始まりになる。そして、食事に対する感謝の気持ちが一段と深まってくるのだから、言葉って不思議な生き物である。 

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