デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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"Nice Greenery!"

5月、青梅の裏山を歩くと、いたるところに山藤の若木が繁殖している。きっとこぼれ種から発芽するのだろう。木漏れ日の中で、たくさんの若木が蔓を伸ばしては絡まりあい、風が吹くと、まるで藤の子供達が戯れているように見える。

高台から山を、あるいは多摩川沿いのがけっぷちから対岸を見渡すと、艶やかな紫の花が、木々の梢から梢へとうねり狂うように咲き乱れている。優雅に棚から下がる姿も見ごたえあるが、木々の緑を背景に逞しく咲き誇る山藤もいい。

そんな藤を楽しんでぶらついていたら、円錐状に形を整えている藤を見かけた。めずらしいこともあるものだと、近寄ってみると、絡まりあう藤の隙間から、生気を失った茶色の針葉が見える。美貌の妖怪に包まれた骸骨。生と死の対比は衝撃的であった。 

藤は蔓植物だから、日光を求めて、手近な木に絡まりよじ上っていく。ここが勝負所で、力いっぱい、陽の当たるところまで伸びきってしまえばよし、それ以前に力尽きてしまえば萎えることになる。木立の中の湿った腐葉土に落ちた種は、格好の条件で発芽するのだろうが、若木まで生長しても、いくらも育たず消えてゆくのがほとんどらしい。まれに、抜きん出た勢いに恵まれた藤だけが、支えの木をよじ上り、葉を広げる。すると、家主の木は、陽を遮られ、哀れなるかな、廂を貸して母屋を取られる羽目となり、みるみる力を失っていく。

さて、この写真はデービッドの台所。くだんの山藤である。根本は、隣の敷地の一番下、つまり川岸に発していて、地上までは10メートル以上もある。昨年は、木化した蔓が空き地の縁に巡らされた柵に絡まっていて、あまり元気のないままに過ぎてしまっていた。

ところが今年は、あれよあれよと葉が茂り、4月の終わりには、豪華絢爛な花の供宴となった。花は外側から眺めるもの。デービッドは窓からの眺めにしごくご満悦であった。

花が終わると、藤は再び生長期に入る。2メートルほどの距離はなんのその、のたうちまわる蔓の一本が、こちらめがけてみるみる伸びてきた。そしてついに、御覧の通り。

でも、面喰らっているのは私だけ。家主は、ニコニコしながらのたまう。「すごいんだよ、一本が入ってきたら、他の蔓も次々こっちに向かって押し寄せてきているよ。Nice greenery!」

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