デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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ハリファックスから羽村へ

気をつけなくちゃいけませんね....そうしないと、この話は単なる旅行記か何かになってしまいそうですから。私達は、日本にいた3ヶ月の間にずいぶんいろいろな所を旅したのです。彼女の実家を出てから、まず四国を周遊し、その後本州の姫路まで戻って、そこからあちこちを尋ねながら東京へ帰りました。岡山にいた日のことです。私たちの旅にはめずらしいことですが、天気が悪くなって、デパートで2時間ほど雨宿りをしました。そんなことをここで話す意味があるのかですって?ええ、私が実際に版画家になるきっかけのようなものがそこにあったのです。確か2階の臨時の催し会場で、東京の出版業者が木版画の展示会を開いていました。もちろんほとんどのものは一般的な浮世絵の複写でした。歌麿とか広重とか。しかし、一角にまったく違った版画があり、私はその場で立ち止まってしまったのです。

それは現代の版画でしたが、昔ながらの手法で作られていました。すなわち、画家と彫り師、摺り師が別々で、出版者がそれらを統合しているのです。絵は源氏物語の場面を描いたもので、岡田嘉夫氏の作品でした。出版者はそれらの作品に明らかに大変手をかけている様子でした。版画は大変きらびやかで、多くの色版を使って摺られていました。そんなにも美しい木版画がまだ製作されていたなんて思ってもみませんでした。でも購入のための十分なお金を持っていなかったので、そこの販売員と、東京に戻ったらその会社を訪ねる、という約束をとりつけました。

そしてそれはなんという訪問だったことでしょう!出版者ーすなわち、悠々洞の佐伯さんにすれば、私はただの「やっかいな」訪問者にすぎなかったでしょうが、私にとっては目の覚めるような刺激的な経験だったのです。彼は大変親切で親しみやすい人でした。それは単に私が彼の売っている新しい版画を買ったからというだけの理由ではないと思います。彼は日本における版画業界の状況について私たちと話をし、私がカナダに持って帰りたいと思っている版画用の道具をどこで手に入れたらいいかについて教えてくれ、おまけに自分の持っている版木までいくつかくれたのです。私が本当に木版画職人になると彼が思っていたとは思いませんが、とにかく彼にはお世話になりました。

彼の教えてくれた情報にもとづいて、私はいろいろな道具を集め始めました。もちろん私は、手製のばれんのような「特別注文」の道具を使うほどの腕前ではありませんでしたが、中級の彫刻刀、刷毛、プラスティックのばれんなどを買いました。(つまるところ、私は実際、かなりいいものを選んだようです。というのは、その時買った彫刻刀のいくつかは今でも私の道具箱に入っていて20年たった今も毎日のように使っているのですから...)

もうひとつ重要な訪問がありました。東京でたったひとつ残っている版木製作所の島野家の仕事場です。彼らが私からの注文を受け付けてくれるかどうか不安でした。というのは、彼らは、念入りに乾燥させ、用意した桜の木を私のような初心者にむだにされたくない、と思っているのではないかと思っていたからです。しかしそんな心配は杞憂でした。彼らもまた親切で協力的でした。私はいくつかの美しいなめらかな版木をカナダに送ってもらうように頼んで代金を払いました。

荷物をまとめ、カナダに戻ることを考えなければならない時がやってきていました。私が音楽店に導入したコンピューターシステムはそろそろチェックが必要な時期だとわかっていました。それに、私はまだ仕事を持っていなかったので、なんとか生活していくための方法を見つける必要がありました。

しかし、成田向かう準備をする前に、やらなければならない大切なことがもうひとつありました。私はまだひとりの彫り師にも摺り師にも会う機会がありませんでした。日本に3ヶも滞在していて、職人にひとりも会わずに帰る?そんなばかな!私は島野さんにどうしたらいいか尋ねました。彼は複製の製作社がもうひとつあるからそこを訪ねてはどうか、と言いました。そこでは、屋敷の一角にある小屋で、彫り師と摺り師が仕事をしているというのです。

そこで日本で最後の数日となったある朝、私は目白に向かい、あるドアの前でノックしようと立っていました。私が入ろうとしているこの建物の2階には、ずっと会ってみたいと思っていた職人達が作業台にかがみこんで忙しく仕事をしていました...!

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