デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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ハリファックスから羽村へ

日本での最初の一人旅をするのにどうして伊豆を選んだのかはよく覚えていません。多分、川端康成の「伊豆の踊り子」を読んでいたからでしょう。本の中に出てくる場所へ行ってみたかったのだと思います。それは11月の下旬で、こうした徒歩旅行には最適の季節でした。空気は冷たくさわやかで、空には雲ひとつなく...最初に伊東駅に着いてから時計回りに歩いて半島を一周し、修善寺温泉まで行くのに6日かかりました。私は小さなユースホステルや旅館に泊まりましたが、たいていいつもたったひとりの客でした。まだごく初歩的な日本語しか話せませんでしたが、特別困ったということはありません。出されたものは何でも食べました。それが何かわからなくても。そして、人と出会ったり道の曲り角に来たりする度に、新しい冒険が続きました。旅の間に感じたことを書き留めておけばよかったのですが。今となっては日本に来て間もない頃の新鮮な印象は、思い出す術がないのです。でも、当時のことを思い出すきっかけとなる、駅やホステルのスタンプが残っていました。

旅から戻って2、3日ゆっくりした後、私達はまた旅に出ました。予定では、新年までに彼女の実家に行かなければならないことになっていました。それまでにはまだ数週間あったので、その間旅を続けることにしました。まずは北陸地方へ。能登半島を歩き回り(歩き足りなくて!)、本州の中心部をぬけて名古屋へ。そこの、大規模で居心地の悪い都市型ユースホステルでクリスマスを過ごし、ついに目的地である紀伊半島へとたどりつきました。三重県の最南端にある大里という小さな村です。

カナダで旅の計画を練っていた頃、彼女は強調しました。「どうか覚えておいてね。うちはすごく貧乏だから。本当に何もないのよ...」私はうなずくだけでした。彼女の「家柄」なんてまったく気にしていませんでした。私自身、ごく普通の「何も特別なことのない」家の出身です。しかし、その村に到着した次の朝、年末の清掃作業を手伝うために、彼女の家の畑がある奥ノ野に向かいながら、私は彼女の言わんとしたことがわかり始めました。

ここに奥ノ野の場所が載っている地勢図がありますが、地図全体を見ても、これ以上に孤立した地点を見つけるのは不可能です。小さな点が家の場所を示していますが、ここに来るには一番近い道からでも1時間以上歩かなくてはなりません。車では行けないのかって?もちろん行けません。歩かなければ。ガスは?電気は?もちろんありません。このニュースレターの初めのほうの号で、奥ノ野のちょっとした情景を描写したことがあります。「昔々」は人々が住み、活気に満ちた谷間の村だったけれど、今ではひっそりとさびれた場所になっている、と。この時の私達の訪問は、完全に廃村となる数年前のことで、多くの家族が村を離れていくなかで、彼女の家族はまだ野生の猪との戦いを続けていました。私達はその後の数日、猪を畑に入れないようにするため、鉄条網での囲い作りを手伝いました。

新年が近づくにつれ、国内のあちこちにいる他の家族も帰ってきて、夜はそこらじゅうが布団だらけになりました。カナダにいた時、日本や日本の習慣についての本をたくさん読みましたが、そこにはいつも、日本の新年の様子が美しく描かれていました。素晴らしい特別の食事。優雅な着物を着た若い女性達。私の言いたいことはおわかりでしょう。私はこの訪問をとても楽しみにしていたのです...

この後数年、この時の話がでる度に私達は大笑いをしたものです...デービッドが初めて日本で迎えたお正月...はたして優雅な着物や、山ほどのごちそうにはお目にかかれたのでしょうか?...元旦の朝食は汁物と年末に仕込まれたさんまの寿司でした。お昼はさんまの寿司でした。夕食はさんまの寿司でした。...そして次の日もその次の日も、この繰り返しでした...こんな話をして、彼女が気を悪くしなければいいのですが。私と同様、彼女にはわかっていたのです。彼女の家庭は、日本の上流階級でもなければ裕福でもない。でも、一番大事な「新年の習慣」はいっぱい感じられるところだと。それは楽しい家族の集いです。私は、馴染めないんじゃないかとか受け入れてもらえないのではないか、と心配していました。特に戦争を経験した世代の人たちからは。でもそんな心配は杞憂でした。年老いたご両親は、娘がこの男といて幸せなのを見てただ喜んでくれました。その男の髪の色だとか鼻の形なんかはまったく気にとめませんでした(あ...少なくとも髪の色については...)。だいたいにおいて、私が決して忘れることのない素敵な経験だったのです...

その後、囲いの設置や畑のその他の仕事の手伝いを2週間ほどして、「本来の仕事」にもどる時が来ました。また旅をするのです!

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